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天風の剣  作者: 吉岡果音
第七章 襲撃
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第74話 赤目

 森の中を駆ける。

 赤目は、喜びの中にいた。

 真の姿――巨大な黒い犬のような姿――に戻り、土を蹴り、藪の中を突き進む。

 赤目の周りを取り囲むように走っているは、魔の力で操る、森の中に住む犬や狼、イヌ科のたくさんの動物たち。


 ふたたび訪れた、主人のもとで働く満ち足りた日々……!


 赤目の前の主人――四天王――は、その寿命を全うし、死んだ。戦いに明け暮れる魔の者の中で、珍しく長い長いときを生きた四天王だった。

 同じ従者の仲間の中には、主にとって代わろうとするものも少なくなかった。赤目はそういった裏切り者を鋭く嗅ぎ分け、徹底的に潰してきた。

 

『赤目。お前は本当に頼りになるな』


 主人のねぎらいの言葉が、赤目を一層奮い立たせた。

 主人に仕え、主人のために生きる。それが赤目にとっての生きがいだった。

 赤目の主人は、四聖(よんせい)について、また、空の窓に関する命令については、赤目に下さなかった。自分の命がそのときまでもたないということを、その四天王は知っていたのかもしれない。

 赤目の前の主人の晩年の時代には、アンバー、ゴールデンベリル、それから赤目の知らない遠い世界にもう一体の四天王が存在していた。

 赤目の知らぬ世界で生きていたもう一体の四天王は、まだ幼子だったが、年老いた狡猾な従者に殺され、その老いた従者が四天王にとって代わっていた。しかしそれも束の間、老いた新王の世界を謳歌する時代ははかなく、やがて海の底で密かにパールが生まれる。

 赤目の前の主人の魂が地上から消えたその瞬間、新しい命がどこかで生まれた。

 それは、女の子だった。名をシトリンというが、赤目は知る由もない。

 四天王亡きあと、残された他の従者たちは、従者としての運命を捨て、それぞれ独自の生きかたを始め、散り散りになった。

 赤目は、自らの魂に刻まれた従者の刻印を捨てなかった。


 アンバー、ゴールデンベリル、名も知らぬどこかの四天王、そして――、我が主の代わりに新しく誕生した四天王の赤子――。


 赤目は、新しく仕える主を探すことにした。

 あてのない、旅が始まる。

 魔の者同士が繋がることはほぼないが、そんな旅の中でも、ゴールデンベリルは殺され、新王が誕生した、そんな話を耳にした。


 従者として生まれた魔の者は、魔の者の世界の中で栄誉ある、選ばれた魔の者なのだ――。


 赤目は、運命を信じた。

 主は、誰でもよかった。きっと、運命の風が自分を新しい主人へと導いてくれるはず、そう信じていた。実際、従者とは四天王に自然と引き寄せられるものである。そうして、生まれたばかりの四天王にも大勢の従者がつくのだ。その従者を引き寄せる力は、純粋な四天王が強力で、四天王を討って四天王へと変貌を遂げた者の力は、それに比べると微弱である。

 赤目は、アンバーの波動を本能で感知し、その地を訪れていた。

 しかし、赤目が初めて出会ったのは――、ゴールデンベリルを殺して生まれ変わった黒髪の四天王だった。


 オニキス様――!


 赤目は、願い通り新しい主を見つけた。


『天風の剣を見つけよ』


 初め、新しい主はそう命じた。しかし、すぐに訂正した。


『……いや。今の言葉、取り消す』


 主の顔は、あきらかになにかを恐れているようだった。


『そうだな……。赤目……。お前は、四聖(よんせい)四聖(よんせい)を見つけるのだ』


 どうして主の命令が変わったかはわからなかった。


「オニキス様。私は他の魔の者の誰より、鋭い嗅覚、探索能力を持っています。遠くからでも、四聖(よんせい)の特殊な臭いをかぎつけ、追跡するのは可能と存じます。どんな品かわかりませぬが、天風の剣、それが独自の力を持っているのなら、その特徴をお教えいただければ、それもきっと私が――」


『いや。いい。それは忘れてくれ』


 あきらかに、主の命令の変更は不自然だった。本当は天風の剣が欲しいのに、天風の剣について、触れられたくないようだった。

 赤目はひざまずき頭を下げ、天風の剣についてはそれ以上触れず、すぐさま四聖(よんせい)を探索すべく駆け出した。

 森の中には無数の獣がいた。赤目が移動を続けるごとに、赤目の臣下となる獣たちが増えていく。


 これはなんとわかりやすい……! 四聖(よんせい)が、集まっている……!


 複数の四聖(よんせい)が集まっているようだった。赤目には、追うべき対象たちの移動している方角が、はっきりと見えていた。


,


 キアランとアマリアは、異様な獣の息遣いを感じていた。

 大規模な群れの移動。そこから発する強い魔の空気――。

 それは、キアランとアマリアより後方から迫ってくるように感じられた。


 四天王ではないが、これは、とても強い魔の者……!


 キアランは、腰に差した天風の剣に手を伸ばす。


 魔の者め……!


 にゅう。


 え……?


 身を構えたキアランだったが、思わず目を見開いた。

 突然、空中から「手」が現れたのだ。


 手……!?


 ヒヒーン!


「手」は、フェリックスの手綱を掴んでいた。


「なにっ……!?」


 キアランたちは、「手」に引っ張られ――、そして次の瞬間には真っ白な空間にいた。


「シルガー! お前……!」


「手」の主は、シルガーだった。フェリックスごと、キアランたちはシルガーの作った空間にいた。


「馬ごと引っ張るのは、やはり力がいるな」


 シルガーは、ふう、とため息をつきながら、いかにも我ながらよく働いた、といった様子で自分の肩に手を置き、肩や首を人間のする準備体操のように回した。


「あの異様な気配の群れから、私たちを隠すためか……?」


「見てみろ」


 シルガーは足元を指差す。指差す先は、ガラスのように景色が透けて見えた。どうやらあの森の少し上の空間にキアランたちはいるようで、足元に獣の群れらしきものが見えた。


「突然お前らの姿が消えたのに、群れはまったく動じていない」


「あ……!」


 群れは、一つの方角を目指し走り続けていた。キアランたちのいた場所の近くを、そのまま通り過ぎていく。


「私たちを襲うつもりではなかったのか……?」


 キアランの言葉に、シルガーはうなずく。


「上から見ていた。どうも、そんな感じがしていた。案の定、やつらの標的はお前らではなかった」


「群れの進む方角の先は……、エリアール国……!」


 アマリアが思わず叫ぶ。


「ああ。と、いうより、やつらが狙うのは、四聖(よんせい)だろうな」


「ルーイたちを追っているのか……!」


 シルガーがうなずく。


「このまま、私たちはこの空間を移動しよう」


 シルガーは、フェリックスの目を見つめた。


「馬。お前、ここをキアランの手綱さばき通り走れるな……?」


 フェリックスは、その場で足踏みをした。この白い空間を走ることができる、そうわかったようだった。


「ありがとう……! シルガー……!」


「私の後をついてこい……! キアラン!」


 シルガーは、白い空間を飛ぼうとした。

 うなずくキアランだったが、ハッとあることに気付く。


「ちょっと待て……! シルガー!」


「なんだ……? キアラン」


「こんな芸当ができるなら、なぜ最初からそうしなかった……!?」


 フェリックスは疲れた体に鞭打ちながら、健気に険しい道を駆けていた。こんな楽に走れる方法があるなら、なぜ最初から、とキアランはシルガーを問い詰める。


「……遠慮してみたのだよ」


 腰に片手を当てつつ首を傾げ、シルガーはちょっと笑いながらそう述べた。


「遠慮……?」


「お前たちの時間を邪魔しては悪いかな、と」


 キアランとアマリアは、驚いたように顔を見合わせる。二人とも、顔を真っ赤にして――。


 お前にそんなデリカシーがあったのか……!


 キアランは、シルガーの中の新たな能力――デリカシー――を発見し、驚きを禁じ得なかった。


「行くぞ! 馬……!」


 シルガーの号令に、フェリックスは駆け出す。駆け出す間際、フェリックスは、シルガーの袖に鼻を擦り付けるようにした。


「ああ。そうか。名前を呼んで欲しいのか。わかった。行くぞ、フェリックス」


 空間を飛ぶシルガーの後を追うように、キアランとアマリアを乗せたフェリックスが駆ける。


 ルーイ……!


 キアランは、ぎゅっと手綱を握りしめた。

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