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天風の剣  作者: 吉岡果音
第七章 襲撃
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第72話 めぐる時間

『星を頼りに、旅をしていた』


 ずっと、キアランは一人だった。

 孤独な旅暮らしの中、アステールが、いつも傍にいた。

 キアランが、天風の剣に名付けた名前、アステール。


『これは、どこかの国で『星』を意味する言葉なんだそうだ』


 今、カナフは悲しい真実を告げようとしている。

 吸い込まれてしまいそうなほど、美しい星空の下で――。




 波の音が心地よいリズムを刻む。

 キアラン、カナフ、ライネ、アマリアは、金の輝きを放つ地面に座る。


「キアラン」


 カナフは、キアランの瞳をまっすぐ見つめた。


「天風の剣。それは――」


 ザザーン、ザザーン。


 体の芯まで響くような波音。

 キアラン、ライネ、アマリアは、カナフの続く言葉を待つ。


「天風の剣は、キアラン、あなたのご両親と私、その三人の力で創り出されたものなのです」


「え……」


 風が吹いた。カナフによってあしらわれた金色の大地がきらきらと光る。


 私の父と母、そしてカナフさんが……!


 キアランは驚く。


「つまり、天風の剣とは、魔の者、人、高次の存在、三つの存在の力の融合体ということなのです」


「魔の者、人、高次の存在――」


 キアランは、天風の剣に手を添えていた。大切な宝物を、そっと慈しむように。

 キアランは、思いを馳せる。いったい、三人の中で、どんな会話がなされていたのだろう、どんな時間を紡いできたのだろう、そして、アステールは、どんな思いで彼らの時間を見つめていたのだろう、と――。

 カナフは、静かに問う。


「キアラン。『空の窓』の話は、もう耳にしましたか?」


「はい。アマリアさんから聞きました」


「ああ。そうでしたね。アマリアさんは、シリウスさんをご存知でしたから――」


 カナフの言葉にアマリアがうなずく。

 カナフは安心したように微笑み、話を続ける。


「『空の窓』が開く――。百年に一度起きる、星々の特殊な配置。その影響で、世界に流れるエネルギーは、とても繊細なものとなります。その特別な自然現象のたび、世界の均衡は魔の者によって脅かされ続けておりました」


 濃紺の空の星たちは、キアランたちの頭上で優しい光を投げかけ続ける。そんな世界の異変が近付いているなど、微塵も感じさせない。


「長い歴史の中、均衡を守ることを使命とする私たち高次の存在は、『空の窓』のたび繰り広げられる人と魔の者の争いには干渉しないようにしておりました。自然現象に端を発した戦い、その結果長い期間魔の者の君臨する暗黒の世界になろうが、人の祈りが無事に天へと届き、今までと変わらぬ世界になろうが、どちらにせよそれは自然の流れとして我々は受け入れる、それが高次の存在の総意だったのです」


 カナフは、正面からキアランを見つめた。


「しかし、世界を掌握することを望む魔の者の中で、まったく異質な存在が現れたのです」


 カナフは、あたたかな微笑みを浮かべる。


「四天王ゴールデンベリル。あなたのお父上です」


 通り過ぎる潮風。キアランの肌を抱きしめるように優しく触れ、あたたかな余韻を残していく。

 カナフは一呼吸を置き、そしてまた話を続けた。


「高次の存在には、それぞれ担当する地区があります。それは、激しい人同士の争いや、魔の者の破壊活動などによって、荒れたエネルギーを整えるためです。私の担当地区は、ちょうどゴールデンベリルやその従者たちの暮らす地域となっていました」


 カナフは、懐かしそうに笑う。


「普通、四天王は一か所に留まることなく、活発に動き回るものです。しかし、彼らはその地を出ることはありませんでした。そして驚くべきことに彼の周りは、平穏そのもの。彼らは他の魔の者を殺そうとすることもなく、四聖(よんせい)を見つけようとすることも、それ以外の人を傷つけようとすることさえもありませんでした。他の魔の者が彼らのテリトリーに侵入を試みようとしたとき以外、まったく戦う姿勢を見せませんでした」


「アンバーさんからも、父のことを少し教えてもらいました。自然の中でひっそりと生きる風変わりな四天王だったと――」


 キアランの言葉に、カナフは嬉しそうにうなずく。


「私は、そんな風変わりな四天王ゴールデンベリルに強い興味と関心を覚えました。まあ、私もこの通り高次の存在の中で、とても風変わりな存在ですからね。彼と話がしてみたい、そう思うようになったのです。彼が私の担当区域に君臨してくれているおかげで、私の仕事は暇そのもの、彼の心に近付く時間はたっぷりありました」


 カナフはいたずらっぽく、くすり、と笑う。


「まあもっとも、互いに親しくなるのにそんなに時間は必要ありませんでしたけどね」


 カナフは、両腕で自分の膝を抱えるようにして座っていたが、膝の前で組んだ指を、そっと組みかえた。


「ゴールデンベリルは、魔の者、人、高次の存在、それぞれが多少の争いはあっても、共存していける世界の実現を望んでいました。彼は、そのためには、『空の窓』を永遠に閉ざすこと、それが必要なのだと私に語ってくれました」


「『空の窓』を永遠に閉ざす……!?」


 カナフは、真剣な表情でうなずく。


「はい」


 そして、カナフは慎重に言葉を続ける。

 大切な、重要な告白をしようと――。


「その鍵となるのが――」


 ザザーン……。


 打ち寄せる、波の音。そのとき、キアランの心に、はっきりとある像が結ばれていく。

 青白く美しく光る、その剣先を――。


 天風の剣……! アステール……!


『アステールは、鍵となる存在。そうカナフが言っていた』


 シルガーの言葉が、キアランの脳裏に浮かぶ。


 アステールとは、空の窓を閉ざすためのもの……!


「……そうです。キアラン。天風の剣は、そのために私たちが創ったのです」


 カナフは、キアランの表情から、キアランが天風の剣について悟ったことをうかがい知ったようだった。


「カナフさん! それで、さっき話してた、永遠の別れって、いったいどういう……!?」


 今まで黙っていたライネが、これ以上待っていられないとばかりに叫んでいた。


「……『空の窓』を永遠に閉ざす、つまり、エネルギーの影響を受けず、ただの星々の配置に過ぎない状態にするためには、三つのエネルギーの集合体、その非常に特殊で強い力を、そこに投じるしかないのです」


「そこに……、投じる……?」


 カナフは、拳をぎゅっと握りしめた。カナフの固く握りしめた拳から、伝えたくはないけれど、今どうしても伝えなければならない、そんな強い決意がひしひしと感じられる――。

 カナフの声はいつもより低く、かすかに震えていたが、凛とした力強い口調だった。


「『空の窓』を永遠に閉ざす、その方法とは――。『空の窓』が開いているそのとき、四天王と人、両方のエネルギーを併せ持つキアランが天風の剣を高く掲げるのです……!」


 潮騒。実際より、遠いところで響いているような気がしていた。

 とても、遠い。キアランは疑問に思う。自分はちゃんと耳で音を聞いているのだろうか? 耳でも脳でもなく、心臓が、音を聞いているのではないか? そんな奇妙なことを考える。

 ずっと続くリズミカルな音。はるか遠い昔、途方もない遠い昔から響き続けるその音。キアランは思う。永遠とは、こういうものなのだろうか――。


「そうすることで、天風の剣のエネルギーは空へと吸い込まれ、文字通り、窓を閉ざす鍵となるのです……!」


「そんな……!」


 ライネとアマリアは、同時に叫んでいた。

 キアランは、ただ茫然としていた。

 キアランの瞳に映る星々。キアランは、自分の体が空へ吸い込まれるような気がしていた。


『空の窓』の開くとき――、それはこんな美しい夜空なのだろうか――。


 キアランの頬を、熱い一筋が流れる。

 キアランは、声も上げずに、自分でも気付かないまま涙を流していた。




 いつの間にか、眠っていたようだった。

 疲労はいつしか極限に達し、結局生命維持のための体の要求に負けてしまったようだ。

 深い眠りだった、とても深い眠り。

 目の前に、アステールが立っていた。


「キアラン」


「アステール!」


「ずっと、黙っていてごめんなさい」


「なにを、謝って――」


「あなたのご両親のこと。あなたが育てのお母様に預けられたときのこと。そして――、私について――」


「アステール! お前がいなくなるなんて、そんなことないだろ? またこうして、眠りの中にいるとき、会いに来てくれるんだろ……!?」


 アステールは、寂しそうに微笑み、ゆっくりと首を左右に振った。


「アステール!」


「でも、私の体……、『剣』としては残ります。そして、あなたと共にあり続けます。私の魂はなくなりますが、普通の剣、いえ、きっとそれ以上の働きはできるでしょう。私は今後も、きっとあなたを守り続けます」


「アステール……! お前は……!」


 それでいいのか、キアランは問いかけようとした。謝りたいのは、キアランのほうだった。

 アステールは、輝くような微笑みを浮かべる。


「私は幸せでした。誕生から今まで、ずっと。あなたや、あなたの周りのかたがたに囲まれて――」


「犠牲になるために創られて、お前は……!」


「生きて、感情を持って、たくさんの経験ができる。こんな幸せなことはありません……!」


「アステール……!」


「『天風の剣』。この名は、キアラン、あなたのお母様が名付けてくださったのです」

 

 アステールは、キアランの髪をそっと撫でた。かつて、そうしてくれたように。

 

「天の風となる剣。風のように敵を斬り、やがて天へと還る。そして、いつも天からあなたを包むように寄り添う。とても素敵な私の名です」


「アステー、……」


「アステール。私はあなたの付けてくださった名前も愛しています」


「アステール……!」


「星のように、見守り続けます。永遠に」


 星を頼りに、旅をしていた。

 孤独の中、闇の中、キアランはアステールと共にいた。

 キアランは、アステールを抱きしめて泣いた。




 明けがた近くになっていたようだ。

 キアランは、ふと目が覚めた。

 上半身を起こしてみると、カナフもアマリアもライネも眠っていた。


「おや。朝まで眠っているのかと思った」


 シルガーがいた。


「あんなによい匂いがしていたのに、よく寝るものだ、と思っていたが」


「え」


「植物や肉、魚などを大量にとってきて、皆でもう食った。そして、皆寝た。お前だけ眠り続けていた」


 シルガーはキアランに説明しながら、たき火で色々な食材をあぶり始めた。


「お前の分だ。腹に入れとけ」


「…………」


「人間の場合はどうか知らんが、お前は人間の体と違っている。エネルギーを消耗したら、いつでも早めに補充していい。他の連中がなんと言うかわからんが、私は常に戦える体にしておくことを勧める」


 とても食欲のある状態ではなかったが、シルガーの言葉を聞き、キアランは口に入れることにした。

 うまかった。栄養を体が欲していたようで、いったん口に入れると、夢中で食べ続けた。


「天風の剣のこと、私も詳しく聞いた」


「…………」


「あの黒髪の高次の存在たちは、『空の窓』のときまで天風の剣を自分たちで保管しておくつもりだったようだ。ヴァロは、ぎりぎりまでとっておき、そしていよいよ最期の瞬間になったらお前に返す、それで終わり、そんな考えが許せず、たまらなかったのだろうな」


「…………!」


 だからあの黒髪の高次の存在のあの言葉の後、ヴァロは助力を約束してくれたのだ、キアランはそう気付いた。


「必ず、いつかは別れが来る。この世の摂理だ。それが、早いか遅いかの違いだ」


「…………」


 シルガーは、キアランの反応を気にもかけず、淡々と話し続ける。


「月並みなことを言っているが、真理だ」


「…………」


 たき火のまきがはぜた。炎が大きく揺れる。


「与えられた時間をどう過ごすか、どう生きるか、それが重要だ」


「…………」


「それもまた月並みだな。今のお前に届かなくてもいい。私が言いたいから言っているだけだ」


「…………?」


 シルガーは大きく息を吸い込み、そして吐き出す。


「……よくわからんが、お前と天風の剣の横に私がいる今、私はお前と天風の剣になにかしら声をかけたい、そう思っているのだ」


「……つまり……?」


 あたたかい食事が体に染みわたるようだった。たき火のあたたかさも、キアランに力を与えてくれていた。


「今を生きているということなのだろうな」


「は……?」


 キアランは、シルガーがなにを言っているのか今一つわからない。ただ、わかることと言えば――。


 私を励まそうと、してくれている……?


 キアランは、シルガーの横顔を見る。なにかを考えているような、珍しく少し戸惑っているような、そんな横顔だった。

 シルガーは、少し首を傾け、長い髪をかき上げる。


「私もずいぶん変わったものだ」


「え?」


「退屈はしないし、興味は広がるばかり。生きるとは変わり続けることなのだな」


 さて、とシルガーは立ち上がる。


「食ったら、お前も寝ろ。朝までまだ時間がある。お前の心も体も健康な状態、それがお前を守る天風の剣にとっても喜ばしいことなのではないかな?」


 体があたたまったからだろうか、キアランの心は意外にも穏やかだった。

 アステールと話せてよかった、キアランは心からそう思う。

 目が覚めて、シルガーが起きていてくれてよかった、キアランはそう思う。

 

「……ありがとう。シルガー」


 シルガーは、笑った。珍しくはにかんだような笑顔だった。

 星は、見えなくなっていた。

 もうすぐ、あたたかな日が昇る。

 リズムを刻み続ける波音。

 めぐる時間。

 天風の剣は、キアランたちの時間を見つめ続ける。

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