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天風の剣  作者: 吉岡果音
第七章 襲撃
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第71話 満天の星

 海の中、深いところを進む。

 キアランたちは、シリウスと別れ、ルーイたち皆のいるもとへと急ぐ。

 警戒しながら進んでいったが、パールの潜む気配はどこにもなかった。


「大丈夫か。カナフ、アマリア」


 シルガーは、キアランとライネを支えながら、後方からついてくるカナフたちを案じた。


「シルガーさん。私たちは大丈夫です。シルガーさんこそ――」


「もうすぐ陸地だ。耐え抜け」


 ゆっくりと、浮上する。黒の世界から、青の世界へ。

 シルガーやカナフは、おそらく急な浮上でも平気なようだが、キアランたちの体を考え、努めて緩やかな上昇にしているようだった。

 

 ザバア……!


 見えたのは、星空だった。


「夜になっていたのか……!」


 いつの間にか、すっかり夜になっていたことにキアランは驚く。

 波間に浮かびつつ空を見上げていたら、ばちん、と大きな割れる音。


「あ……」


「もう必要あるまい?」


 シルガーが、キアラン、カナフとアマリア、それぞれを包み深海の中守ってくれていた巨大な泡を、消してくれた。

 キアラン、ライネ、アマリアは海に浮かびながら、久しぶりとなった新鮮な外の空気を、肺一杯に吸い込んだ。

 

 やっと、皆のいるもとへ……!


 キアランたちは、顔を見合わせ、そっと笑い合う。

 

「さあ。陸地に上がるぞ」


 シルガーの後を続き、岸辺まで泳ぐ。陸までもう目と鼻の先だったが、体が思うように進まない。


 思った以上に、疲労が激しい――。


 キアランは、ライネとアマリア、そしてカナフのほうを振り返る。


 皆も同じだ……。すっかり疲れ切ってしまっているようだ――。


 立てる深さまでになったとき、キアランはアマリアに手を差し伸べた。

 アマリアは嬉しそうに微笑み、キアランの手を取る。


「キアランさん……。ありがとう……」


 自分で手を差し伸べておきながら、その手のしなやかさ、柔らかさにキアランはどぎまぎした。

 動揺を隠すように、キアランは急いで言葉を探す。


「アマリアさん……。本当に、大変だったな――」


 思ったより、すんなり言葉が出てきた。キアランは密かに胸をなでおろす。少し声がぎこちない気もしたが、気にしないようにした。

 アマリアは、左右に小さく首を振る。


「いえ……!」


「もう少し、頑張ろう。あともう少しで陸に出る」


 アマリアを支えながら、キアランは一歩一歩進む。凍えた体を寄り添わせつつ――。

 波の音。波間に映る、星のきらめき。


「もう少しだ。もう少しで――」


「はい――」


 アマリアの顔を、キアランは直視できなかった。流れ星が、目の端に見えた。

 ただ前を向き、ゆっくりと、励まし合い歩く。確かな陸地を目指し――。


 しゅっ……。


 ん?


 突然、銀色の長いものがキアランの目に入る。


 なんだ? この長い銀の――。


 と、思った次の瞬間――。


「うわっ!」


 キアラン、アマリア、そしてライネ、カナフまで宙に浮かんでいた。


 なんでーっ!?


 空を飛ぶ。わけもわからずに。


「私は気が長いほうだが――、まどろっこしくて見てられん」


 先に陸地にたどり着いていたシルガーが、髪の毛を巻き付けさせて皆を持ち上げ、強引にまとめて陸地へ引き上げていた。


「シルガー! お前、なにすんだよっ! あぶねーじゃねーかっ!」


 着地するやいなや、ライネが速攻で食ってかかる。


「それぞれ、安全に置いたぞ?」


 置く、という表現も妙だが、皆無事着地していた。


「置きゃあいいってもんじゃねー! せめて、一言言ってから、心の準備をさせてからやってくれよ!」


「私にそこまで要求するか」


「いや……! まあ……、ありがてーけどよ……」


 ライネは、ぶつぶつと口ごもりながら頭をかく。

 キアランは、ため息を吐く。


「ライネ」


 キアランが、ライネのほうへ向き直り、真剣な表情で語りかける。


「シルガーに文句を言うときは、もっと徹底したほうがいい」


「なるほど」


「真顔でなにを助言しているんだ。そして、納得するな」


 シルガーがすかさずツッコミを入れた。アマリアとカナフは三人のやり取りに目を丸くしながらも、思わず吹き出してしまっていた。

 シルガーは、皆の顔を改めて見回した。


「……お前ら。まとめてその辺で寝てろ」


「は?」


「休め。そう言っているんだ」


 シルガーは、長い銀の髪をひるがえし、背を向ける。そしてそのまま、歩き出した。


「シルガー! どこへ……」


 シルガーは一瞬立ち止まり、横顔を向ける。


「私は、なにか食えるものをとってくる」


「え」


「それまで、体を休めてろ。それぞれ、疲労が激しいようだ」


「シルガー……!」


「でないと、明日の朝出発も難しいかもしれんぞ?」


「お前は……」


 お前こそ、休まなくて大丈夫なのか、そうキアランは尋ねようとした。


「なんだ? 子守歌でも歌って欲しいのか?」


「誰がだ!」


「それとも、添い寝でもして欲しいのか?」


「欲しくねえ!」


 欲しくねえ!

 

 キアランは声を上げて叫び、そして心の中でも叫び、ご丁寧に二度叫んで全力拒否した。

 シルガーは振り返りもせず、右手を軽く振って挨拶をする。そしてそのままさっさと真っ暗な森のほうへと歩き去っていってしまった。

 

「シルガーさんのおっしゃる通りです。皆さん、少し横になりましょう」


 シルガーが言ったままなら、なんとなく素直に従えない気がしたが、カナフが改めて提案したことで、キアランとライネも休むことに同意した。

 体が、鉛のように重い。今にも倒れそうだった。


「それでは、皆さんがゆっくり休めるようにしましょう」


 カナフが大地に手のひらを向ける。そして大きく円を描くようにした。たちまち、地面が金色に輝き、辺り一面金の絨毯を広げたようになった。


「わあ! 派手にすげえ!」


 以前、「地味にすごい」とキアランが表現したカナフの魔法を、ライネは「派手にすごい」と絶賛した。


「キアラン」


 カナフが微笑みながら、キアランの前に立つ。


「これを……!」


「アステール……!」


 天風の剣だった。キアランはカナフから受け取り、それを抱きしめるようにした。

 その感触を、重さを、キアランは全身で感じた。


「ようやく再会できましたね」


「はい……!」


 キアランは、カナフに深く頭を下げた。


「カナフさん……! ありがとうございました……! 本当に……!」


「いえ……。キアラン――」


「え……?」


 キアランは、顔を上げカナフを見つめた。


「天風の剣は、ヴァロさんが連れてきてくれたのです――」


「ヴァロさんが……!」


 星が、またたく。ふたたび、流れ星が流れた。暁色の長い尾を描いて――。

 キアランは夜空を見上げ、呟く。


「どうして……、あのとき、ヴァロさんは悲しそうな顔をしたのだろう――」


「あのとき……?」


 カナフは、その瞳に涙をたたえながら聞き返した。


「はい……。アステールが私の手を離れたとき、黒い髪の高次の存在が、『……時が満つれば、また会えます――』、そうおっしゃっていました。すると、ヴァロさんの表情が悲しげなものになったのです。それはどうしてだったのか、気になって――」


 カナフの顔色が変わった。長いまつ毛を伏せる。そして、ゆっくりとため息をついた。


「カナフさん……?」


 カナフは顔を上げ、意を決したようにキアランを見つめた。


「キアラン」


 カナフの柔らかな髪が、夜風に揺れる。


「黒髪の高次の存在が、そう言ったのですね……?」


「はい」


「『時が満つれば、また会える――』。それは、定められた運命のときに、あなたと天風の剣は共にあるべき、それは、今や高次の存在皆にとっても総意となったということ――」

 

 カナフは、悲しい目をしていた。


「キアラン……」


 カナフは、まっすぐキアランを見つめる。

 カナフの唇は、かすかに震えていた。真実を告げるその責任の重さに、懸命に耐えている、そんな様子で――。


「それは――、天風の剣との永遠の別れを意味しているのです」


「え……!?」


 ライネが、アマリアが、息をのんだ。


 なんだって……!?


 満天の星。信じられないくらい、美しかった。

 波の音が、キアランの胸に押し寄せる――。

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