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天風の剣  作者: 吉岡果音
第一章 運命の旅
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第7話 夕餉の煙

『殺セ、殺セ、殺セ……!』


 地の底から響くような、不気味な声。

 そこには、数えきれないほどたくさんの異形の者たちの蠢く影が見えた。黒くざわめく影の中に、形も大きさも様々な異形の者たちの目が光る。


『殺セ、殺セ……! 四聖(よんせい)ヲ、ソシテソレヲ守ル者ドモヲ殺セ……!』


 異形の者たちの影は、大きくばねのように伸びあがり、縮み、それからひしゃげたり膨れ上がったりし、動くごとに形を変える。


『ソシテ――! 裏切リ者ノ子ヲ殺セ……!』


 裏切り者の、子……?


 キアランは、宙を漂っていた。

 深紅の、空間だった。

 漂いながら、異形の者たちの黒い影を眺め、その声を聞いていた。


『キアラン――』


 キアランがその声のしたほうに首を回すと、そこには水色の髪をした涼やかな青年が立っていた。


「天風の剣――!」


 景色が一変した。

 鮮血のような深紅の空間から、純白の空間へと様変わりしていた。異形の者たちの姿も声も、そこにはなかった。

 場所が変わったことを認識した途端、キアランの体は宙を漂うのをやめ、足はしっかりと大地に着いていた。大地といっても、やはりどこまでも純白で、本当にそこが大地なのか空中なのか判別し難いものがあった。しかし、立っている感覚があるということは、一応そこが地面には違いないだろう、そうキアランは思った。

 それから、キアランは理解した。人の姿をした天風の剣を目にする、それはすなわち自分が意識を失っている状態なのだ、と。


「天風の剣、私は死んだのか……?」


 キアランは、念のため現在が最悪の事態になっていないかどうか、尋ねてみる。


『いいえ。キアラン。あなたはちゃんと生きていますよ。ただ、気を失っているだけです』


「ここは……? 夢……? 私の夢の世界か……?」


『はい。まあ、そんなところです』


 キアランは、ハッと我に返った。


「ルーイは!? アマリアさんは!? 二人とも、無事かっ!?」


 キアランは天風の剣の両肩を掴み、真剣な表情で問いただした。自分の状態よりも、そちらの確認のほうが大事と言わんばかりの勢いだった。


『もちろん、無事ですよ』


 天風の剣の微笑みから紡ぎ出された言葉を聞き、キアランは安心したように深い安堵のため息を漏らした。


「……天風の剣、さっきの異形の者たちは、魔の者たちのように見えたが――。あれは、いったいなんだ……? 今はいないようだが――」


『あれは、あなたの無意識が生み出した、魔の者の姿です』


「じゃあ、単なる私の夢、幻想か」


『……いえ』


「……どういうことだ?」


『あなたの無意識が感知した、魔の者の思考の一部を具現化したものです』


「私の無意識が感知した……?」


『はい……。キアラン。あれは、あなたの心がとらえた魔の者たちの思念です』


「魔の者たちの思念――」


 キアランは、天風の剣の、宝石のようなきらめきを持つ水色の瞳を見つめた。


「天風の剣。魔の者たちは、世界中いたるところに存在するという。しかし、やつらにはなにか共通の思いがあるのか……?」


『……共通の、といったら語弊があるかもしれませんが、多くの者たちが持つ考えはあります』


「それが四聖(よんせい)を殺すこと、そしてそれを守る者を殺すこと、ということか……?」


『はい』


 天風の剣はゆっくりとうなずいた、


四聖(よんせい)とは、この世界を危機から救う存在と聞いた。と、いうことは、魔の者たちの目的は、世界を滅ぼすこと、もしくは掌握することなのか……?」


 天風の剣は、まっすぐキアランを見つめ返す。


『はい。魔の者たちの目的は、この世界を魔の者の君臨する世界にすることです』


 キアランは、自分や自分の育ての母を襲った魔の者の姿を思い出していた。


「幼いころ私や母を襲ったのは、そのためか――!」


 アマリアは、キアランのことを「四聖(よんせい)を守護する者」と語っていた。あの呪術師、魔の者の狙いは最初から自分と天風の剣だったのだ――、キアランは呆然としながらそう思った。


「なぜっ……! なぜ『翼を持つひと』とやらは、私を非力な母に預けたりしたのだっ!? なぜ母を選んだ!? そんなことをしなければ、母はあの村で平穏な一生を過ごせただろうに……!」


 キアランは拳を握りしめ、張り裂けんばかりの声で叫んだ。キアランの頬を涙が伝う。天風の剣を責めてもどうしようもないことはわかっていた。彼はあくまで剣であり、彼も自分と一緒に預けられた身であるのだから――。

 天風の剣は、悲しそうな顔でキアランを見つめ続ける。ただ静かにキアランの怒りを受け止めているようだった。


「私のせいで、母は――!」


 天風の剣は、ゆっくりとキアランのほうへ手を伸ばした。それはどこか、ぎこちない動きだった。

 そして、キアランの黒髪をそっと撫でた。まるで、キアランの育ての母がキアランにそうしたように――。


「天風の剣……?」


 涙でにじんで見えた天風の剣は、優しい微笑みを浮かべていた。透明で、あたたかな、美しい笑み――。

 キアランは不思議に思う。今の自分は、肉体を伴った自分ではない。意識の、魂の部分だけの自分である。それなのに、熱い涙が流れ、その涙で映る映像までにじんで見える。固く握りしめ、手のひらにくいこんだ爪が、痛みを持って感じられる。そして、天風の剣の手が、本来手があるはずもないのに、とてもあたたかくぬくもりを持って感じられる――。

 天風の剣の細い指が、キアランの涙をそっと拭った。これも、まるで母のような仕草だった。


「天風の剣――」


『……私は、人ではありません。真似事しかできませんが――』


 天風の剣の、精一杯の慰めだったのだ。天風の剣は、キアランとずっと共に過ごしてきた。人の生活を、人と人との触れあいを、傍で見つめ続けてきた。怒りと悲しみに震えるキアランの髪を優しく撫でる、そうすることが、今のキアランに必要なのではないか、そう天風の剣は判断したのだ――。


「……天風の剣――。お前は、どこまで知っている……? そして、なぜ私に話しかけてくれるのだ……?」


『私は、あなたに仕える剣です。私のできる限り、あなたのお役に立つつもりです。ですが、私が知っていることも限りがあります』


「……すまなかった」


 キアランは、天風の剣に頭を下げた。


『キアラン……?』


「……お前に、怒りをぶつけたりして――。お前は、私をずっと守っていてくれたのに――」


 そう自分で言って、キアランはあることに気付いた。

 

「どうして――。どうして、魔の者はあの呪術師以外、私を狙ってこなかったのだろう……? あの翼を持つ魔の者も、巨大な虫のような魔の者も、狙いはルーイだった。なぜ、なぜ私を狙ってこなかったのだろう……?」


 一人旅の間、魔の者に遭遇し、天風の剣で戦ったこともあった。しかし、それは偶然遭遇したような感覚だった。明確にキアランを狙ってきたのは、あの幼いころの呪術師の姿をした魔の者のみ――。


『魔の者も、様々な種類があります』


「種類……?」


『たとえていえば、動物と人間のような――』


「姿形の話か? でも、呪術師は人間の姿をしていたが、正体は蛇と魚を合わせたようだった」


『いえ。種が違うのです。そして、知能、と申しましょうか』


「知能……?」


『あの呪術師の姿をした者は、魔の者の中でも人間のような存在です。知能が高く、四聖(よんせい)とそれを守る存在を滅ぼそうと考えています。彼らは、人間の姿をとることができ、村に潜伏した呪術師のように策略や長期戦も使います。それを楽しむ傾向すら感じられます。対して、この荒れ野で出会った魔の者たちは、動物のような存在です。ほぼ本能のみで行動しています。彼らは出会った敵は殺すという短期戦しか考えません。四聖(よんせい)を察知する能力は高いですが、それを守護する者に対しては、普通の人間程度の認識で襲います』


「あの呪術師のような魔の者は、それであのような――」


『人間のような存在の魔の者は、それ以外に対し数が少ないです。だから、あのとき以外、私たちは出会っていなかったのです』


「と、いうことは――」


『今後は、あの呪術師のような魔の者に出会うこともあるでしょう。彼らは非常に難敵です。どうか、お気を付けて――』


「天風の剣――」


 まだまだ、知りたいことがあった。訊かねばならないことがあった。

 キアランは、もっと尋ねようとした。


「天風――」


 胃を刺激する、おいしそうな香りがしていた。

 なぜだろう、なぜ急によい匂いが、とキアランが嗅覚に意識を向け、そして――。

 

「あっ! キアラン!」


 目の前に、天風の剣ではなく、ルーイの弾けんばかりの笑顔があった。


「よかった……! やっと意識が戻ったんだね……!」


「私は――」


 天風の剣の姿は、もうどこにもなかった。

 辺りは紫がかった空になり、星が瞬き始めていた。


「よかったです……! キアランさん……! 気が付いて、本当によかった……!」


 アマリアの輝く笑顔もそこにあった。その後ろには、アマリアの馬の姿もあった。

 馬も、キアランを優しい瞳で見つめていた。


「キアラン! 具合はどう……? 晩ご飯、食べられそう?」


 ルーイが大きな目にいっぱい涙を浮かべながら、畳みかけるように尋ねてきた。


 そうか――。晩ご飯の匂いだったのか――。


 キアランは、自分の腰にある天風の剣にそっと手を添えた。


 ごめん。食欲に、負けた――。


 キアランは、心の中で天風の剣に詫びていた。

 それから、ふと思う。


 天風の剣、って呼び名だけでは、なんだか味気ないな。


 キアランは、ルーイとアマリアに微笑みを返しながら、いつか天風の剣に名前を付けようと決意していた。

 聞き出せなかったたくさんの疑問より、それがなにより大切なことのように思えていた。


 お前が気にいるような名前、私に思いつくだろうか……?

 

 キアランは、天風の剣に笑顔を向ける。

 紫の空は、次第に深い色合いを増し、星の数も増えていく。

 夕餉の煙がゆっくりとたなびいていた。

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