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天風の剣  作者: 吉岡果音
第六章 渦巻きの旋律
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第65話 いつも、誰かに助けられて

 初めてだった。初めて、パールがその美しく整った顔を歪めた。

 パールの巨大な体に、しっかりと巻き付く黒い鎖。


「こ、れは……、な、んだ……?」


 パールの顔に、戸惑いの色が広がる。


「アンバーのおじちゃん!」


 シトリンは、アンバー、白銀(しろがね)黒羽(くろは)の姿を認め、顔を輝かせ、嬉しそうに叫んだ。

 パールの手が震える。パールは無意識に、手首を上に向けた。わずかに、カナフとアマリアを握りしめた指が緩んでいる――。


 今だ!


 今が、そのときだ、と思った。

 キアランは、力を込め炎の剣を投げつけた。あらわになった、パールの手首に向け――。


 手首の腱を攻撃すれば、反射的に指を広げるはず……!


 炎の剣が、パールの手首を突き刺そうとした、そのときだった。


「きゃあっ……!」


 パールは素早く手のひらを握りしめ、腕を引く。パールが力を込めたことで、アマリアが悲鳴を上げていた。


「しまった!」


 炎の剣は宙をかすめ、大きく弧を描いてキアランの手元へ戻る。


「封印の……、鎖……。そういう、術か……」


 うつろな表情で、パールが呟く。


 ド、ドドドド……。


 急に、パールの巨大な体が沈み始めた。鎖に全身を封じられ、身動きが取れないようだった。パールの巨体は見る間に沈んでいく。まっすぐ、海中へと。

 しっかりと、その手にアマリアとカナフを掴みつつ――。


「アマリアさん! カナフさん!」


 カナフとアマリアの足が、海面につく。


「キアランさん! 私は当面海の中でも平気ですが、アマリアさんが――!」


 カナフが叫んだ。


 アマリアさんが、沈んでしまう……!


 ドンッ! ドンッ! ドンッ!


 パールの体に、続けざまに激しい光が当たり、爆発の煙が上がる。光線や魔法などによる遠距離の攻撃をかけられる皆――キアラン、カナフ、ヴァロ以外――が、一斉に攻撃していた。

 あっという間に、アマリアとカナフは腰まで海に浸かる。そして、ついに海水はふたりの首のあたりまで――。

 キアランは、たまらずアンバーへ向かって叫んだ。


「アンバーさん! なんとか、やつの手を緩めさせることはできないか……!? このままでは、やつと一緒に、アマリアさんとカナフさんまで沈んでしまう……!」


「……やつの力は計り知れません。きっと、封印の鎖もそう長くはもたないでしょう。いずれ、やつは活動を再開させます。そのときに、きっとチャンスが――」


 皆の攻撃は続く。しかし、パールの手が、緩むことはなかった。


「そんな! いつ解けるかわからない術を待っていたら、アマリアさんの息がもたない……! カナフさんだって、きっと――!」


 アマリアは、ずっと魔法の呪文を唱えていたようだったが、それも途絶えた。頭まで、海中に沈んでしまったのだ――。

 そのときだった。キアランの思考に、一筋のひらめきが走る。


「シトリン!」


 キアランはシトリンに向かって叫ぶ。


「あの、さっきの泡、作れるか!?」


「え? 泡?」


「あれの中なら、きっと、アマリアさんとカナフさんも呼吸ができるはずだ!」


 シトリンの作った泡。空気の入った泡に包まれれば、少し時間がしのげるかもしれない、そうキアランは考えた。


「なるほどー! あいつの手の辺りだけ、さっきのでっかい泡で包めばいいのね!」


 ザッパーン!


 そう叫び返すや否や、シトリンは一度海に飛び込む。


「でっかい泡、作ったよー!」


 すぐさま、シトリンは空へと戻る。両手で、自分の身長の何倍もあろうかという巨大な直径の、一つの泡を掲げて。


「えいっ!」


 ばしゃーん!


 そして、その泡を勢いよく海中に放り投げた。


「ちゃんと念じて投げたから、あのおねーちゃんたちのとこに届いたはずだよー! それに、さっきと違って、水の中ならずっと長く持つはずだよ!」


「ありがとう! シトリン!」


 それから、キアランはシルガーを見上げた。


「私は、海へ飛び込む!」


「お前一人、飛び込んで、どうするつもりだ?」


 バシャーン!


 盛大な水しぶき。シルガーが問うている間に、ヴァロとライネが海に飛び込んでいた。


「お前より向こう見ずな連中がいたな」


「私も、行く!」


「いや。だめだ」


「なぜだ!」


「お前やヴァロ、そして、ライネとやらが追いかけていったところで、どうにもならんだろう」


「離してくれ! 私は行く!」


 どうやったら救出できるのか、どうやってパールの急所を見つけ、攻撃できるのか、キアランにもわからない。しかし、それでも行く、キアランの心にはその決意しかなかった。


「いや。待て。キアラン」


「どうしてだ! 離せ! 離してくれ……!」


「それは、私も一緒に行くからだ」


 えっ。


 キアランが、疑問に思う間もなく――、シルガーは、キアランごと海に飛び込んだ。


 結局飛び込むのかっ……! それならそうと、先に言ってくれ……!


 不意に海の中。少々海水を飲んでしまった。

 泡で、よく見えない。

 たくさんの泡の柱が上がっている。きっと、空からの攻撃なのだろう。キアランたちに当たらないよう、シトリンたちはパールの尾の辺りを重点的に攻撃しているようだ。

 金の長い髪が広がっている。パールの頭は、その先だ。


「シトリンの泡、確かに無事カナフたちを包んでいるようだな」


 キアランは驚く。水の中でシルガーが会話できることと、海中深くまでシルガーの目が利くこと、両方に。


「やはり、キアラン。お前は海面に戻れ」

 

 シルガーは、キアランから手を離した。


 なっ、なんで今更……!


 あれほど離せといったときに離さず、なぜ今になって離すのか、キアランは苛立ちを覚える。


 シルガー!


「カナフがしばらくは平気だと言っていたから、同じ高次の存在であるヴァロも海の中で当面活動ができるのだろう。そして、あのライネとかいう男は、魔法が使える。おそらく、有効な道具もなにか持っているはず。キアラン。お前の場合は、四天王の血が目覚めたとはいえ、そう長くは息も体も持つまい」


 キアランは、首を左右に振る。どんどん深く潜るシルガーに、キアランは置いて行かれる形となる。


 シルガー! 私をパールの元へ引っ張っていってくれ!


 キアランの心の叫び、そしてキアランの伸ばした手は、シルガーには届かない。シルガーとの距離が、みるみる大きくなる――。


 アマリアさん! カナフさん! アステール!


 暗い海。暗闇で目が利くようになったキアランだが、前を行くシルガーの姿もよく見えなくなっていた。


 アマリアさんたちを助けたいんだ……!


 キアランは、必死に潜り続ける。シルガーに比べ、早く潜っていけない自分がもどかしかった。

 息も、苦しくなってきた。でも、戻る気はなかった。

 手を伸ばす。暗い海に向かって。


 アマリアさん……!


 キアランの目に浮かぶ、沈んでいくアマリアの姿――。


 そのままになんてできない……!


 息が、苦しい。キアランは、潜り続ける。帰り道のことなど考えずに、ただ、ひたすら進む。


 誰か……!


 無力だと思った。自分一人で行くと言いながら、結局誰かに、なにかにすがるしかなかった。


 誰か、私に、力を……!


 情けなくてもいい、ただ、キアランは祈った。アマリアたちのためなら、なりふり構わず命を繋ぐ、そうキアランは思った。


 ぼがっ。


 奇妙な音がし、目の前が一瞬白くなる。なにが起こったのか、キアランにはわからなかった。


「シトリンさんの、真似です」


 落ち着いた、低い声。

 目の前に、アンバーがいた。


「アンバーさん!?」


 キアランは、大きな泡の中にいた。アンバーと、一緒に。


「これは……!」


「これ以上、大切な衣服を汚したくなかったものでしてね、泡に入って来てみました。ついでに、あなたを見かけたので、あなたも一緒に入ってもらったのです」


 衣服を汚したくない、それがアンバーの本心でないことは、アンバーの涼しい顔が物語っていた。


 私を助けるために、わざわざ……?


「あ……! ありがとうございます……! アンバーさん……!」


 胸に熱いものがこみ上げる。思わず、声が震えてしまっていた。


 私はいつも、誰かに助けられて――!


 アンバーは、感謝の気持ちを伝えるキアランに対し、軽く会釈で返す。それから、独り言のように呟く。


「……私の術でこうなったとなると、なんとなく気分が悪いと申しましょうか。仕事は最後まで綺麗に仕上げたいものですからね」


 アンバー、キアランを包んだ泡は、勢いよく潜っていく。


白銀(しろがね)と、黒羽(くろは)、そしてシトリンさんたちには空で待機してもらってます」


 光が、明滅する。誰かの攻撃なのだろう。


「全員海に潜って、全滅させられる。それではお話になりませんからね。希望は、常に残しておくものです」


 キアランは、アンバーの顔を見た。


「もっとも彼らには、海に入らず待っていてください、そう申し上げただけですけどね。作戦の意味を伝えたら、シトリンさんたちはともかく、白銀(しろがね)黒羽(くろは)は私を追ってきかねません」


 全滅――。アンバーは、自分の死をも覚悟している……?


 キアランの驚く顔をよそに、アンバーは続ける。


「――ところで、キアランさん」


 アンバーの真紅の瞳は、意外にも穏やかに見えた。


「あの男は、四天王になろうとしているのでしょうね」


 シルガーのことを言ってるんだ、キアランは気付く。


「……そのようです」


「彼には、確かにとても大きな力があるようですね」


 光。シルガーの攻撃かもしれない。


「……利害が一致しているのでしょうか」


「え」


「四天王になりたいものと、四天王から助けたいもの」


 どうやらそれは、シルガーとキアランのことを指しているようだった。

 アンバーの口元に、笑みが浮かんでいる。


「表面上は」


「え」


「そういうことなのでしょう。でも、本当のところは――」


 アンバーは、なにを言おうとしているのだろう。キアランはアンバーの横顔を見つめる。


「……よき友を、得ましたね」


「友!?」


 キアランの声は裏返る。


「しかも、『よき』!?」


「四天王の座を狙うなら、手っ取り早く私でもシトリンさんでもいいはずです。それを、あんな化け物に向かっていくとは――」


「『よき』!?」


「おや。そんなに『よき』が気に入りませんか?」

 

 キアランは大いに、「よき」に引っかかっていた。

 光と、泡の柱。誰かの攻撃は、きっとアマリアとカナフの救出に繋がる、そうキアランは思いたかった。


「なんとか、手だけでも切り離せたらいいのですが――」


 アンバーが、右手を高く上げる。


「断裂――!」


 アンバーは、右手を勢いよく振り下ろす。


 カッ……!


 攻撃は、泡を超え、光の柱となり海中深く進む。

 光が、大きく花開いた。キアランの顔も、アンバーの顔も、強い光に一瞬照らされる――。


 どうなった……!? アマリアさんたちを、解放することができたのか……!?


「おや」


 アンバーは、眉をひそめる。


「硬いですねえ。びくともしません」


 暗い海の底、パールの手は、アマリアたちを捕えたままのようだった。

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