第6話 地底からの使者
轟音と共に、大地が激しく揺れた。
「あっ……!」
振り返るルーイの小さな体は、たちまち黒い影に覆われる。土埃を立て、地中から巨大な怪物が姿を現したのだ。
「魔の者……!」
それは、異様な姿だった。
長い鎌首をもたげるように顔を出した怪物。外見といい質感といい、まるで巨大な芋虫だった。
地上に現れた部分だけでもキアランの背丈をゆうに越しており、地中にある全身はその何倍もの長さがあるのではないかと思われた。
大きさ以外の通常の芋虫と異なる点は、眼球、脳、胃、心臓など、器官や臓器が透けて見えていることだった。
「ルーイ!」
キアランは呆然と見上げるルーイを素早く抱きかかえるようにして引き寄せ、自分がルーイの前に出た。
キアランの傷口は激しく痛んだが、キアランは天風の剣を構えて、ルーイとその後ろにいるアマリアの盾となるように立つ。
重心が定まらないが、かろうじてキアランは大地に立っていた。アマリアの治療の魔法により、先ほどよりは体が動くことをキアランは感じていた。
キアラン、ルーイの後ろから、アマリアの魔法の呪文が放たれる。
「日の光より生まれし天の矢よ! 地底からの使者を打て……!」
高く美しいアマリアの声が朗々と青空に響いた次の瞬間。空から現れた無数の金の矢が、魔の者めがけて降り注いだ。
シャアアアアア……!
巨大な芋虫のような姿の魔の者は、金色の魔法の矢が刺さったままの状態で、苦しそうに巨大な身をよじらせ、口から白い無数の糸状のものを吐き出した。
「防御の魔法、我らを守る聖なる盾よ、ここに現れよ……!」
アマリアはすぐさま高く掲げた水晶の杖を大きく振り、防御となる魔法の呪文を唱えた。キアラン、ルーイ、アマリアの頭上に、透明な壁が出現した。魔の者の白い糸は、その防御の盾にぶつかり、したたるように落下していく。
アマリアの防御の盾から落ちた白い糸が、荒れ野の草の上に落ちた瞬間、不気味な音と煙が上がった。白い糸が触れた草は焼け焦げ、地面には黒いしみが残る。
これはきっと、あの魔の者の消化液のようなもの……!
キアランの金の瞳は、白い糸の意味を鋭く見抜いた。
「太陽の力、天の矢よ……! 魔の者に降り注げ……!」
アマリアがふたたび呪文を唱える。金の矢が、魔の者のぶよぶよとした体に突き刺さる。
大地が揺れる。
魔の者は、体中から血を流し、もがきながら地中へ潜ろうとしていた。
「やった! 魔の者を、やっつけたんだ……!」
ルーイが歓喜の声を上げる。金の矢が刺さり、消化液の攻撃も防御され、魔の者は逃げようとしている、そうルーイには見えたのだ。
「すごい……! アマリアおねーさん!」
笑顔のルーイに対し、キアランは魔の者を睨む厳しい表情を崩さなかった。
「アマリアさん……! あの馬を、借りてもいいか!?」
キアランはアマリアの乗ってきた馬を指差し、そう叫んだ。
「え、ええ……!」
キアランの気迫あふれる声に、一瞬アマリアは戸惑っているように見えた。
「アマリアさん! すぐにこの場を離れて! 私はルーイと一緒に馬を走らせる!」
アマリアは、驚いた表情を見せたが、すぐにうなずいた。
「……はい! わかりました……! それなら私は遠隔の守りの魔法で援護を……!」
キアランの意図、それからあまり時間がないということを、アマリアは即座に理解してくれたようだった。
アマリアとキアランがうなずき合うのに対し、ルーイはわけがわからない様子だった。
「えっ!? キアラン! アマリアおねーさん! なに言ってるの!?」
大きな目をさらに大きくし、ルーイは叫んだ。
「説明は後だ! ルーイ! 行くぞ!」
キアランはルーイを抱え上げ、馬のほうへ駆け出した。
キアランの体に激痛が走る。悲鳴を上げる体の声を無視し、キアランは体に鞭打ちルーイを抱えたまま走る。
「キアラン! どうして!? 僕とキアランだけ馬に乗るって、あれはアマリアさんの馬だよ!?」
馬に乗って逃げ出すのは、アマリアさんであるべき、こんなのおかしい、ルーイの瞳はそう訴えかけていた。
「キアラン! アマリアさんは、どうするの!?」
キアランは、ルーイの抗議に答えず、アマリアの馬の傍に立ち、馬の首元にそっと手を触れた。
アマリアと共に過ごしているためか、馬は魔の者の出現にも怯えている様子はないようだった。
馬が落ち着いていることにキアランは安堵し、馬に優しく微笑みかけた。
「ごめんな。急いで私とこの少年を乗せてくれないか?」
キアランは、穏やかな口調で話しかけていた。
「キアラン!」
キアランはルーイを馬の背に乗せた。そして、自分も馬の背に飛び乗る。
「できるだけ、お前のご主人様から離れるよう走ってくれ!」
キアランは、そう馬に話しかけると、合図のように馬の脇腹を蹴った。
馬は、駆け出した。
キアランの言葉が通じたのか、ルーイとキアランを乗せ、アマリアとは反対方向へ走っていた。
「キア……!」
ふたたび、ルーイが抗議の声を上げようとしていた。
「あの魔の者の狙いは、ルーイ、お前だ……! そして、私の見立てでは、あの魔の者の急所は地上に出ていた部分にはなかった……!」
キアランが、早口で叫ぶ。
「え……!」
ズズズズズ……。
地下で、蠢く気配をキアランは感じていた。
「脳も、心臓も、普通に見えていた! でも、あれはあいつの急所ではない……!」
「そ、そうなの……!?」
「私の金の目は、魔の者の情報をとらえることができるのだ……! 間違いない!」
「でも、どうして馬に乗って……?」
「ルーイ! お前は、そのまま馬を走らせ続けろ!」
「え……!?」
キアランは、地中深くルーイを追って移動してきている魔の者の気配を感じていた。
「落ちないよう、気を付けるんだぞ!」
「えっ? なに? キアラン、それってどういう……」
「なにがあっても、絶対に馬にしがみつけ!」
キアランは、魔の者が地中に潜った意図も勘付いていた。魔の者は、いったん地中に身を沈め、人間たちが油断したところで――ルーイの真下にきて――一挙に浮上し、ルーイを一飲みにしてしまおうと考えているのだ、と。
馬は風を切って走る。先ほどいたところより、遠く、遠くへ――。
「ルーイを頼んだぞ! アマリアさんの相棒!」
キアランは、そう叫ぶと強く馬の脇腹を蹴り、走る馬の背から飛び降りた。
荒れ野に、キアランは無事着地――、できるわけもなく、激しく地面に全身を打ち付けられていた。
馬は驚いていななき、一瞬立ち上がるようにして前足を宙にばたつかせた。
「うわあっ!」
ルーイも驚き悲鳴を上げる。馬は今までよりもさらにスピードを上げ、ルーイを振り落とさんばかりの勢いで暴走した。
地面に這いつくばるような格好で土埃にまみれ、気絶しそうなほどの激痛と戦いながら、キアランは顔を上げた。
よし! そのまま、そのまま走ってくれ……!
自分の痛みと戦うのがやっとで、立ち上がることさえ困難な状態だった。まして、剣を振るい怪物に立ち向かおうなど――。
しかし、キアランは立ち上がった。
また揺れ始める大地。
魔の者が、馬に乗ったルーイを追い、ふたたびその姿を地上に現した。
「くっ……!」
キアランは、両足を踏みしめ、倒れそうな体をなんとか保っていた。
遠くから、アマリアの魔法を紡ぐ声が聞こえてきた。魔の者が、ルーイや馬を狙って消化液のような攻撃をしかけたとしても、これできっと大丈夫なのだろうとキアランは思った。
速い速度で移動する馬を、魔の者は一心にめがけていく。今まで地上に隠れていた魔の者の全身が現れ始めていた。
魔の者は長い体をくねらせるようにして、地上を走る。
大地は揺れ続ける。衝撃で、キアランは倒れそうになる。唇を噛みしめ、キアランは地面を睨みつける――。
きっと、現れる……! その瞬間を、逃さない……!
ちょうど、キアランの真横に魔の者の体の半分より後ろが出現した。
あそこだ……!
キアランの金の瞳は、魔の者の急所を見つけた。
透ける体の、真ん中よりも後ろ、それはおそらく腸のような器官――!
キアランは急所目がけて走り、天風の剣を振り上げた。
そこだ……!
キアランは魔の者の急所をめがけ、渾身の力を込めて、剣を突き立てた。
ザアアアア……!
うねるように前進する魔の者の動きに沿って、天風の剣は魔の者を切り裂いていく。魔の者の動きに引っ張られそうになるのをこらえ、キアランは剣を突き立て続けていた。鮮血が、キアランの全身に飛び散る。
「魔の者よ……! 大地へ還れ……!」
風が、キアランの黒髪を揺らす。
魔の者の動きが、いつしか止まっていた。
「……ルーイ……」
キアランは、小さくなった馬、そしてその背に乗るルーイの姿を認め、微笑んだ。
そして、キアランはその場に崩れ落ちるように倒れた。