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天風の剣  作者: 吉岡果音
第六章 渦巻きの旋律
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第58話 王者の責任

「あっ! 忘れてた!」


 キアランを抱えて空を飛んでいたシトリンだったが、突然なにかを思い出したのか、短く叫んでその場に停止した。


(みどり)―っ! 蒼井―っ!」


 キアランの耳をつんざくばかりのシトリンの大声。名を呼ばれた(みどり)と蒼井が、こちらに近付いて来る。


「これ! お願いねーっ!」


 いつの間にか、シトリンの髪に二つのなにかが絡みついていた。絡みついていた、というよりは、正確には、髪がまるで手のような役割をし、物をしっかりと掴んでいるのだった。


 びゅん!


 シトリンの髪が鞭のようにしなり、力強く二つの物体を投げ飛ばした。それは、シトリンの作った棒のようなもの――魔法の杖にも剣のようにもなる武器――だった。

 (みどり)と蒼井は、それぞれシトリンが投げてよこした武器を受け取る。そして心得たとばかりに黙ってうなずいた。


「誰か、それを使いこなせそうな人間にあげちゃってー!」


 シトリンはそう大声で(みどり)と蒼井に命ずると、またキアランを運び海の上を飛び始めた。(みどり)と蒼井の姿もあっという間に見えなくなった。


「! 見つけたーっ」


 シトリンが嬉しそうに叫ぶ。


「私って、優秀―!」


 なにが、優秀……?


 シトリンの自画自賛に、思わず引っかかるキアラン。


 いや。まあ、優秀……、なんだが。


 無邪気に宣言されると、なんとなく認めがたいものがある。

 シトリンは高度を落とし、サントアル公国内と思われる海岸に降り立つ。

 海岸といってもその範囲は狭く、すぐに険しい岸壁が迫る。そしてその岸壁には、波により侵食されてできたような洞窟が、ぽっかりと巨大な口を開けていた。

 

 ザッ……!


 真っ暗な穴の中から、キアランとシトリン目がけ、二つの人影らしきものが飛び出してきた。


白銀(しろがね)……! 黒羽(くろは)……!」


 洞窟の奥から響く男の声。即座に、二つの人影は動きを止めた。

 キアランとシトリンの目の前に現れたのは、アンバーの従者の白銀(しろがね)黒羽(くろは)。そして洞窟の声の主は――、アンバーだった。


「……なんですか。あなたがたは。私はまだ、傷の修復途中なのですが……?」


 ゆっくりとした低音の声が洞窟中に響き渡る。その声は、キアランとシトリンの来訪に気分を害した、というよりは、どこか楽しんでいる、そんな響きがあった。


「さっきの異変、あなたも感じたでしょー!」


 口元に両手を添え、アンバーに向かって大声で尋ねるシトリン。でしょー、でしょー、でしょー、と幼い声が暗い空間に反響していた。

 白銀(しろがね)黒羽(くろは)は、キアランとシトリンを睨みつけたままその場を動かない。アンバーの命令さえあれば、いつでも攻撃するような体勢で、じっとその機を窺っているようだ。


 ザッ、ザッ、ザッ……。


 ゆっくりとした足取りで、こちらに向かってくる。赤いたいまつのような瞳だけが、闇の中らんらんと光る――。


「やれやれ――。おてんばお嬢ちゃん。年配者に対する敬いの心というものを、少しは学んでいただきたいものです」


 アンバーが姿を現した。炎の剣に貫かれた胸元に手を添え、困ったように眉をしかめ小首を傾けつつ。しかし、その口元は笑っていた。


「大切な衣装がこの通り、血で汚れて台無しです」


 ふう、と大げさにアンバーはため息をついた。


「でも結構元気そうだね、おじちゃん」


「おじちゃん、ですか」


「うん。アンバーのおじちゃん」


 ふうむ、と歌うようなため息をつき、アンバーは、少し肩をすくめた。


「さっきの大きな異変――、それで、なぜ私のところを探してきたのです? まさか、わざわざ私の見解を尋ねにきたわけじゃないでしょう?」


 アンバーは、近くの大きな岩に腰を下した。傷を修復中、とは本当のことで、傷はふさがってきているようだが、まだ体に強いダメージを受けているようだ。


「あれ、やばいよね」


「ああ。四天王ですか。どうも、高次の存在を吸収してしまったようですね」


「おじちゃんは、あいつ知ってる?」


「いえ――。あなたともうひとりの四天王の話は聞いておりましたが、あの四天王についてはまったく」


 シトリンは、じっとアンバーの瞳を見つめた。


「おじちゃんの力、あいつにすごく効くと思うんだ」


「私の力――?」


 アンバーの赤い瞳が、刃のように鋭くなる。

 シトリンは、アンバーの反応に構わず続けた。


「おじちゃんの、大きな力を食べちゃう能力。それがあれば、巨大化したあいつを倒すことも――」


「あいつを、倒す?」


 洞窟内にアンバーの笑い声が響いた。


「どうして、私にそんな話を……? 世界の危機は、みんなの危機、それを回避するために、一時的に私の力を貸してくれ、まさかそんな虫のいい頼みごとをしにきたわけじゃないでしょうね……?」


「あっ。全部わかっちゃった?」


 しれっと答えるシトリン。あまりにあっさりとシトリンが白状したので、アンバーの笑いは止まった。


「……前代未聞ですね」


「前代未聞なことが起きたんだもん。前代未聞な対応しないと」


「四天王と四天王が手に手を取り合う。あなたには王者としてのプライドはないのですか?」


「プライドってなに?」


 シトリンはきょとんとし、聞き返していた。


「……誇りです」


「誇りは自分の考えでしょ? 他のひとの考えかたは関係ない。自分の中だけの話。どういう行動をしても、自分が納得した上での動きなら誇りなんて減るもんじゃないでしょ?」


「……自分が納得できない場合はどうするのです」


「あ! そうだねえ、だめだねえ!」


 そこでシトリンはハッと気付いたようで口ごもる。本人の誇りが許さない場合、考えを変えることは難しい。


「そもそも――。やはり青い。見た目のまま、あなたは幼いのですね。危機のときは、誰でも協力し合い、助け合うことができる、そう信じて疑わないとは――」


「む! シトリンのこと、ばかにしてる!?」


 アンバーは首を振り、笑い声を立てた。


「だから、あなたは強いのですよ」


「え」


「純粋で、まっすぐで、しかしながら柔軟でみずみずしい、しなやかな心――。それはあなたの強みです」


 潮騒が耳に届く。満ち潮が近付いてきているのだろうか。いつの間にか足元にわずかではあるが海水がきていた。

 キアランは、アンバーとシトリンのやり取りを黙って見ていた。四天王同士の会話。しかし、それは人間のように血の通ったものだった。

 キアランは思う。人間にとっての四聖(よんせい)と、魔の者にとっての四天王。意味づけは違うのだろうが、きっと四天王という存在も四聖(よんせい)のように、魔の者にとって重要な意味のある特殊な存在なのではないか――。

 キアランは、アンバーをまっすぐ見つめた。


「アンバー……! アンバーさん……!」


「……おや。呼び捨てではなくなっていますね」


 アンバーは、眉を上げ少し驚いた顔をしてから微笑む。


「それでは私も、キアランさん、そう呼ぶことにしましょうか」

 

 ほんの少し海水を含んだ小石を跳ね上げ、キアランはアンバーに歩み寄る。


四聖(よんせい)とは祈りによって世界全体の均衡を守るもの……! アンバーさん! 四天王の存在意義とはなんですか……? 魔の者の世界にとっての、四天王の役割とは、いったい……!?」


 アンバーも、まっすぐキアランを見つめ返していた。


「……血は争えませんね――」


「なに……?」


「昔、あなたの父君にも同じことを問われましたよ」


「え……!」


 思いがけないアンバーの言葉――。アンバーは、昔を懐かしむような顔をしていた。まるで、キアランにキアランの父の姿を重ねているような――。


「父を……! 父をご存知なのですか……!」


 アンバーは少し目を細め、うなずく。


「変わった男でしたよ――。強力な力を持ちながら、それを行使することもなく自然の中で従者たちと共にひっそりと暮らす、風変わりな四天王でした。人間の娘と出会い、恋に落ち、さらに彼は変わったようです」


 キアランは、アンバーの言葉を一語一句漏らさぬよう、食い入るよう聞き入った。


「その娘の影響なのでしょうね――。人間と魔の者、高次の存在、三つの存在の調和を夢見ていた……。あなたの父君は、どれか一つの存在を頂点とした世界ではなく、それぞれが共存できる理想世界を心に描いていたようでしたね」


「そ、それで……!」


「彼は、一度だけ私のもとを訪ねてきました。そして、先ほどのあなたのようなことを問うてきたのです。四天王が大きな力を持つのは、魔の者の世界を守るためにあるのではないか、と。魔の者の世界を守る、それは魔の者だけを守るのではなく、世界全体の調和を図ることによって達成されることなのではないか、と――。そして、四天王にはその理想を現実にする責任があるのではないか、と、彼はそう熱く語っていました」


「父が――、そんなことを……」


「私は、はっきり申し上げて自分の力を高めることしか興味がありません。彼の話より、彼と闘ってみることのほうが興味深かったです」


 アンバーは、ふふ、と自嘲気味に笑う。


「……結果、私の負けでしたけどね」


 洞窟内の海水の水位が上がっていく。冷たいという感覚が脳に伝わる。心地よいリズムを刻む波音。しかしキアランの脳も心もその情報を遮断していた。


「彼とはそれきりです。風の噂で聞いたのは、卑怯な手を使い彼を殺した魔の者がいたということ。私を負かした男を、愚かしい方法で葬り去った者がいたということ、しばらくは腹の虫が収まりませんでしたよ。まあつい先日……、その者にちょっとばかり仕返しができたので、少しは心が晴れましたが」


「仕返し……!? 仕返しって……!?」


「たぶん……。先ほどの異変の影響で、術が解けるのも時間の問題かもしれませんが――」


「私の父の仇に、なにか……!」


「封印の術をしかけました」


「封印の――」


 シトリンは、アンバーとキアランの話に関心がなく、飽きてきたようで、ぱしゃ、ぱしゃ、と入り込んできた海水の上で足踏みをして遊んでいた。


「高次の存在がたくさんうろついてましたからね。面倒なのであまり派手なことはしたくなかったのです」


 アンバーと父、父母の仇の四天王――。キアランは驚きを持ってそれらの関係性を心に受け止めた。

 アンバーは、キアランの表情を興味深いといった面持ちで見ているようだった。


「アンバーさん……。教えてくださり――、ありがとうございました」


「礼を述べられるほどのことは申しておりませんが……。あなたにとっては、重要な情報なのでしょうね」


「はい……! とても……!」


 シトリンはその場で一周しながら、海水のはねる足音を楽しんでいる。

 アンバーは、自分の服に手を添えた。


「この衣装、きらびやかで、とても心惹かれるでしょう……?」


 アンバーの思いがけない質問に、キアランは戸惑う。キアランの趣味ではなかったが、素直に感想を述べるのははばかられるので、


「はい。とても」


 アンバーの趣味趣向に合わせてみた。


「人間の仕立てです」


「え……」


 アンバーは、口元を緩ませる。


「私は、人間社会と少しですが関りを持っています」


 シルガーみたいだ、キアランはそう思った。

 なにをそんなに気に入ったものか、シトリンの足踏みは続いていた。


「……魔の者にとっては、自分の親や出自などの情報は知っていようがいまいが大した違いはありません。でも――、人間社会や人間の心にとっては、そうではないと聞いたことがあります」


 アンバーは、両手の指を組み――キアランによって人差し指一本が切り落とされているが――身を前に乗り出すようにする。


「あなたはご存知ないようですので、お教えすることにいたしましょう」


 ぱしゃ、ぱしゃ、楽し気な水音。


「あなたの父君のお名前は――」


 キアランは、息をのむ。


「……ゴールデンベリルと言います」


「ゴールデンベリル……!」


 シトリンの足踏みが、どこか遠くに聞こえていた。


「――そしてあなたの父を討った男……」


 アンバーの唇が、重い扉のように開かれる。


「その者の名は、オニキスです」


 潮騒も、シトリンの水音も、まるでどこか他の世界のことのよう。


 オニキス――。


 キアランの金の瞳が静かに燃え上がる。キアランは、深く心にその名を刻み込んでいた。

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