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天風の剣  作者: 吉岡果音
第六章 渦巻きの旋律
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第55話 誰かと共に歩く未来

 ニイロは、小屋の扉に手をついていた。


「ニイロ――」


 キアランの呼びかけに、ニイロが振り返る。


「……今まで世話になった家に、挨拶をしていた」


 それから、楓の木、育てていた苗、花々、空を飛ぶ小鳥、吹き渡る風――。島のすべてをニイロは見渡す。ニイロは島のすべてに、心の中で別れの挨拶をしているようだった。


「戻れるかどうかわからない。最後のお別れになるかもしれないからな」


「戻れるさ」


 風に黒髪を躍らせながら、キアランは微笑む。


「あなたがそう望むなら――」


 それから、キアランは言葉を付け足す。


「でも、この島は一人じゃ広すぎるな」


「うん?」


「この島では、賑やかな暮らしのほうが、あなたに合っているんじゃないんだろうか……?」


 みんなで食卓を囲んだ、朝の光景がキアランの目に浮かんでいた。先ほどは、自分やシトリン、蒼井や(みどり)、ルーイやフレヤだったけれど。次はきっと、ニイロに微笑みかける女性と、無邪気にはしゃぐ子どもたち、そんなあたたかな光景が広がっているのではないかとキアランは思う。


「あなたはきっと、地に足をつけた暮らしを営めると思う」


 ニイロは、キアランになにかを言おうとした。しかし、ニイロは言葉を飲み込む。

 ニイロは、少し陰のある笑みを浮かべる。


「行こう――。出発を待たせて、すまなかったな」


 ニイロの背に背負われた大ぶりの弓。それは、ニイロの背負う重りのようにも見えた。


「ニイロ――」


「……大丈夫だ。キアラン。どこにいようが俺は俺だ。俺の歩く道は、自分の手で切り拓いていく」


 通り過ぎるニイロの横顔。あきらめている、そうキアランは感じた。自分の幸せを、誰かと共に歩く幸せを、ニイロはきっと、遠い昔からあきらめているのだと――。

 

「シトリン。待たせてすまなかったな。俺を、キアランの仲間たちのところへ連れて行ってくれ……!」


 キアランの瞳は、使い込まれ、少し古びてきているニイロの弓を映し続けていた。

 

 いつまで、あの弓を背負い続けなければならないのだろう。


 あの弓がなければ、もっと身軽になれるだろうに、そうキアランは考える。

 手入れの届いたニイロの庭を、キアランは歩いていた。

 門は、なかった。島全体が、いわばニイロの庭でもある。

 ニイロが振り返らない代わりに、キアランが振り返ってニイロの家をもう一度見た。


 今度はきっと、誰かと一緒に――。


 手作りの食器たち。ふたたび、誰かのための料理で賑やかに彩られる日が来ることを、キアランは切に願った。


 


 空を飛ぶ。今までいた島が、遠く小さくなっていく。

 シトリンがキアランを運び、(みどり)がニイロを運び、蒼井がルーイとフレヤを運ぶ。

 潮風を全身に受けながら、キアランの思考は自然とアマリアのもとへと飛んで行く。


 アマリアさん――。


 早く、アマリアの無事をこの目で確認したいと思った。その声を、微笑みを、早く全身で感じて安堵したい、そう思った。

 ニイロの弓。唐突に、ニイロの弓が、寂しそうな微笑みがキアランの心をよぎる。それと同時に、キアラン自身の歩んできた記憶が、流れる雲のように浮かんでは消え、とりとめもなく心の中を過ぎていく。


 私は四天王と人間の息子――。私の未来に、誰かと共に歩く可能性はあるのだろうか……?


 自分を抱えるシトリンの、小さな手。ルーイの無邪気な笑顔。あたたかな料理。食卓を囲む笑い声――。

 誰かと共に歩けたら、どんなに素敵だろうかと思う。誰かと共に暮らせたら、どんなにいいだろうか。そして、その相手が、自分の最愛の人だったら――。


 私の未来に、家族――、子どもは――。


『ばけものめ……!』


 幾度もなく投げつけられてきた言葉。

 青い海が、青い空が、急にその色彩を失う。

 キアランの記憶が、世界とキアランを切り離そうとする。

 不幸を生むだけなのではないかと思った。

 未来をあきらめるのは、ニイロじゃない、自分のほうだ、そう思った。


「キアラン」


 シトリンの声に、キアランは我に返る。

 キアランは、首を振った。今は、そんなことを考えているときじゃない、と。

 それから、そういったことを考えるのはやめよう、と思った。


 アマリアさんは、とても素敵な女性。私の――、いや、私にとって、大切な存在。ただそれだけ、ただそれだけなんだ……!


 どうかしている、キアランはため息をつく。どうして自分はいつも発想が飛躍しすぎるのだろうか、と自分を恥じる。


 今考えなければならないこと、それに集中せねば――。


「キアラン」


 もう一度、シトリンが名を呼んでいた。


「ごめん! シトリン、どうした……?」


「なんかー……」


 シトリンが口ごもる。


「え」


「なんか……、見つける自信、なくなってきたかも……」


「え!」


 キアランは、シトリンの思いがけない言葉に驚く。


「もともとー……。四聖(よんせい)はすぐ見つけられるけど……、四聖(よんせい)を守護する者だけっていうのは、遠くからは見つけにくいんだよね……」


「えっ?」


「そして、たぶん、なんだけど、その――。(みどり)や蒼井が言ってた、特殊な人間――、ええと、魔導師? って言ってたっけ? が、みんなの存在を魔法で見つけにくくしてるっぽいんだよねー……」


「えええっ!?」


 魔導師が見つけにくい魔法をかけ、皆を守る。それは、本来とてもありがたいことなのだが――。


「シ、シトリン、それじゃあ……!」


「うん。探しても、なかなか見つけられないかも」


「シトリン……! な、なんとかして、見つけることは――!」


「うーん。まだ距離があるからなんともいえないけど、結構難しい気がするー」


 シトリンは少し首をかしげる。


「もしかしたら、ユリアナおねえちゃんのほうが、探しやすいかも」


 エリアール国に向かっている、四聖(よんせい)であるユリアナを探すほうが容易ではないか、そうシトリンは言う。


「エリアール国……」


 キアランは考え込む。もし、皆のいるところが探せないのなら、先にエリアール国へ向かうのもよいのではないか、と。


「そうか……。それなら――」


 キアランが、そう言いかけたときだった。


「……それから、あのね」


 シトリンが、今感じていることを打ち明けようとしていた。


「ちょっと遠いんだけどね。今進んでる方向とは反対の方向に、やばいものを感じるんだけど」


「えっ」


 キアランは思わず聞き返す。


「やばい……? やばいって……?」


 シトリンが言う「やばい」。普通にやばい存在のシトリンが言う「やばい」とは、いったい――。「普通にやばい存在」という表現もどうかと思うが、キアランはただならぬものを感じていた。


「うん。たぶん――」


「たぶん……?」


 シトリンは意識を集中し、なにかを探っているようだ。


「……たぶん、四天王と、高次の存在。対立してるっぽい」


「え! なんだって!」


 シトリンは、キアランの顔を覗き込む。


「ユリアナおねえちゃんと、キアランおにいちゃんのおともだちのところと、四天王のところ。私、これから、どこに行けばいい?」


 キアランは、振り返る。

 なんの変哲もない青空が続いている――、はずだった。

 遠い空で不気味な黒い雲が、渦を巻いていた――。




「キアランさん――」


 アマリアは、空を見上げていた。


「ルーイ君……! フレヤさん……!」


「アマリア! もう少し横になっていたほうが……!」


 アマリアに呼びかけた女性。深い葡萄色の長い髪と瞳を持つ、不思議な雰囲気の女性だった。長い髪は後ろで一つに編んであり、七色に輝く宝石の髪飾りがついていた。美しい形の耳を飾っているのは、揺れる赤の宝石、そして胸元にも赤く輝く大きな宝石。腕にも宝石の腕輪、しなやかに伸びる右足にも宝石のついた飾りが付けられている。

 数々のまばゆい宝石は、女性の美しさを引き立てる飾りではなく――、魔法の力を強めるためのものだった。


「オリヴィアさん……!」


 女性の名は、オリヴィアといった。


「おかげさまで私はもう大丈夫です! ソフィアさんも、ライネさんも、兄も大丈夫のようですから、出発できます……!」


 オリヴィアは、低めの穏やかな声でアマリアに告げる。


「私の占術では、四聖(よんせい)たちは無事のようです。もう一晩、ここで体も魔法の力も回復させたほうが――」

 

「いいえ。日が高いうちに、出発しましょう……!」


 アマリアの瞳は、揺るがない。

 オリヴィアは、ふう、とため息をつく。


「……困ったお嬢さんね」


「お願いします……! オリヴィアさん! 私たちに、どうかお力を貸してください……!」


「……彼を、助けたいのね」


「え」


 アマリアは、頬を真っ赤に染めていた。一瞬の間の後、大急ぎで訂正する。


「ち、違いますっ! よ、四聖(よんせい)のルーイ君とフレヤさんの、ことを……!」


 オリヴィアは、アマリアの慌てた様子を見て目を細めた。


「わかってるわよ。四聖(よんせい)のルーイ君、フレヤさん、そして、彼を、助けたいのよね」


 アマリアは、一瞬言葉に詰まったが、ゆっくりとうなずく。


「でも、残念ながら、皆、海を越えてるみたいなの――」


「え! う、海を……!?」


 オリヴィアは、真剣な表情でうなずく。


「心配でしょうけれど、私たちはこれから予定通り、エリアール国へ向かいましょう」


「でも、それでは……!」


「大丈夫。きっと、エリアール国で落ち合えるはずです」


 アマリアの表情に広がる不安の色。それを打ち消すように、オリヴィアは凛とした声で励ます。


「彼らは生きている……! 生きていれば、必ず合流できる……! 魔導師オリヴィアの言葉を信じて……!」


 オリヴィアは、ひらり、と白い虎にまたがった。

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