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天風の剣  作者: 吉岡果音
第五章 最後の四聖
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第53話 他愛もない、かけらの輝き

「……事情を、説明してもらおうか」


 ため息交じりにニイロは呟く。そして、ニイロは皆に背を向けた。


「ニイロさん――」


 歩き出した、たくましいニイロの背が揺れる。そして、その背に背負われた大ぶりの弓。自らの名を名乗り、笑顔を見せたニイロだったが、自分や皆に対して強い不信感を持っているのではないか、そうキアランは危惧した。

 キアランがニイロにどう声をかけようか迷っていると、


「……ゆっくり話を聞こう」


 低音に響く、ニイロの声が耳に届く。


「ニイロさん……!」


「俺の家で」


 ニイロは大きめの歩幅で歩きながら、キアランのほうへ横顔を向けた。


「俺に『さん』付けはなしだ。ニイロでいい。キアラン」


「うん! わかった! ニイロ!」


 なぜかキアランではなく、シトリンが元気よく答えた。

 さらにシトリンは、後ろを歩くルーイとフレヤへ、


「あのおじさん、ニイロって言うんだよ! 呼びかたは、ニイロでいいんだって!」


 親切に教えてあげていた。ルーイとフレヤを囲むようにして歩く、(みどり)と蒼井もうなずく。彼らもそのまま「ニイロ」と呼ぶつもりでいるようだ。


「…………」


 ほがらかなシトリンの声に、あきらかにニイロは動揺しているようだった。


「キアラン。あの四天王は、本当に――」


 キアランは歩く速度を速め、ニイロの隣に並んだ。


「四天王ではあるが、あいつはどうも、ああいうやつのようだ」


 パキン。


 踏みしめた、木の枝が折れた。

 ニイロは、声を潜めた。


「だからといって、気を許すな。姿かたちは幼い子どもだが、あれは、紛れもなく四天王だ」


「もちろん、私も気を付けている」


「それなら、なぜあの二人の四聖(よんせい)から離れて歩く?」


 ニイロの問いに、キアランは即答できなかった。

 助けられ、会話を重ね、時間を共有しているうちに、いつの間にかシトリンと蒼井、(みどり)に対する警戒感がすっかり薄れていた。それは、危険なことなのではないか――。

 キアランが、そう自分自身に問いかけたときだった。後ろから、シトリンの弾けるような笑い声が聞こえてきた。振り返ると、シトリン、フレヤ、ルーイが手を繋いでいる……!

 その後ろを保護者のように歩く(みどり)と蒼井。森の木漏れ日に包まれた彼らの顔は、かすかに微笑みをたたえているように見えた。


 ああ。そうか――。


 朝日の森。小鳥の唄。雨上がりの緑の匂い。すべてが、穏やかな調和の中にあった。

 魔の者である四天王とその従者、そして人間である四聖(よんせい)たち。なんの違和感もなく同じ空間に存在し、歩いていた。そして、四天王と人間の間に生まれた自分自身も。

 四天王だから。魔の者だから。四天王の息子だから。人間だから。そんな枠組みよりも、過ごしてきた時間、交わしてきた思い、それらがごく自然に、それぞれの言動に表れているのだとキアランは気付く。そして、それは、信頼に値するものだと――。


 今は、危険なときではない。少なくとも、今は……!


 確かな感覚として、キアランはそう思ったが、それをニイロに確実に伝えられるかは疑問だと思った。少なくとも、ニイロと自分との間の信頼関係が築かれていない今は。


「……あなたも、四聖(よんせい)だ」


 キアランは、ニイロに微笑みかける。少し、ぎこちないように自分でも感じたが、それでも構わない、そうキアランは思いながら。


「……俺は、自分の身は自分で守れる」


「うん。あなたは強い」


「……守護する者は、俺には必要ない」


「そうかもしれない」


 キアランは、ニイロの筋肉質の腕を見やる。


「……おじさん呼ばわりは、まだ早いな」


 キアランは、先ほどのシトリンの言葉について言ってみる。


「……まあな」


「でも、私はルーイにとっては、おじさんだ」


 自嘲気味にキアランは言う。


「……あんたは、俺より年下だろう」


「たぶん。でも、私には若さがないらしい」


 木漏れ日が躍る。

 探るように、キアランはニイロの反応をうかがう。


「まあ、あの子にとっては、あんたはおじさんには違いないかもしれんな」


 ルーイのほうをちらりと振り返りつつ、ニイロは言う。


「うん。その通りだ。でも私は、シトリンには、一応、おにいちゃん、と言ってもらえた」


 待ってましたとばかりに、胸を張るキアラン。


「それを言いたかったのか!」


 思わずニイロは破顔した。少年のような笑顔だった。

 ごくささいな会話だった。しかし、キアランは安堵する。

 他愛もない時間の積み重ね、一見必要のないと思われるような会話。それらひとつひとつが、取るに足らないまるでかけらのようなものたちが、互いの心を近づけていく大切な輝きになっていくのだと、キアランは身をもって知っていた。




「おかわり!」


 シトリンが、皿をかかげた。


「魔の者も、人間のような朝飯を食うのか! しかも、そんなに!」


 目を丸くするニイロ。

 ここは、ニイロの家。木で組まれた、ごく簡素な小屋の中だった。

 ニイロは落ち着いて話を聞くには、まず朝飯が重要だと考えたのか、家に着くなり、てきぱきと全員の分の食事を作り出していた。

 

「私も手伝わせてください!」


 フレヤが名乗りを上げ、フル稼働で調理が進む。豊かな島の食材は、見る間に湯気の立つ料理へと変貌していく。

 ただ、ニイロは島でずっと一人暮らしをしているので、食器はちぐはぐ、ありったけの自作の皿や茶わんを総動員して皆の分の朝食をよそった。それでも足りない分は、大きめの葉っぱに乗せた。


「ああ! おいしいねえ! 来てよかったね、(みどり)、蒼井!」


 遠慮なくごはんを頬張りつつ、シトリンが(みどり)と蒼井を巻き込んで料理に高評価を付ける。


「うむ。うまい」


「うん。もっと欲しいものだ」


 (みどり)と蒼井も、もぐもぐと口を動かしながら、仲良く皿をかかげた。


「来てよかったって、お前らこのために来たのか……!?」


 そう言いつつ、ニイロは律儀におかわりをよそう。

 食後のお茶を飲むころ、やっとニイロに今までのおおまかないきさつについて、説明し終えることができた。

 おおまかないきさつ、そうは言っても、シトリンたちがいる手前、人間側の細かな情報は極力避けた。ただ、四聖(よんせい)が集まることで世界の危機を救えること、四聖(よんせい)を集めようと国を越えて協力し合っていること、信頼のおける仲間たちがいること、それからキアラン自身の生い立ち――自分でも生まれについて詳しい話はわからないが、自分が人間として生きてきたこと――、そういった話を中心にして説明した。

 話の間ずっと、フレヤは普通に振る舞っていたが、ルーイはとても顔色が悪く、目がとろんとしてきていた。


「寝ていないのだろう。あなたたちは、少し休んだらどうだ」


 心配したニイロが提案した。

 フレヤもルーイも遠慮していたが、


「私が、子守唄を歌ってあげる!」


 シトリンが嬉々として勝手に二人分の寝床のしたくを始め、フレヤとルーイを強引に寝かしつけた。


「ちょっと、いいか」


 シトリンと蒼井、(みどり)がフレヤとルーイに気を取られているすきに、ニイロがキアランに小声で話しかける。


「外で、話そう」


 ニイロの提案に、キアランはうなずき、外へ出る。

 穏やかな風が吹く。日のよく当たる場所に、様々な苗が植えられていた。きちんと等間隔に植えられた苗は、いずれニイロの食卓を彩るのだろう。

 大きな楓の木の前で、ニイロの足は止まる。


「ニイロ。あなたがこの島に一人で暮らしているのは――」


 ニイロは、キアランに背を向けたまま、ゆっくりと口を開く。


「……あんたが察してる通りだ」


「誰も、巻き込まないようにするためか――」


 ニイロはうつむく。深いため息が、キアランの問いへの返答だった。


「……今まで、たくさんの血が流れた」


 楓の葉が、さわさわと、揺れる。


「俺のせいで、だ――」


「あなたのせいじゃない」

 

 ニイロの、握りしめた拳が震えていた。


「俺のせいで、周りの――。家族も――」


「あなたのせいじゃない……!」


「占い師が、言ってた……! 四聖(よんせい)を守護する者を名乗るやつも、大勢来た……! 四聖(よんせい)は守るべき存在だと……!」


 どこに隠れていたのか、梢の中から鳥たちが飛び立った。


「もう、たくさんだ……!」


 ニイロはキアランに向き直る。黒い瞳に、涙がにじんでいた。


「俺は、生まれるべきじゃなかった……!」


「でも、あなたは逃げなかった!」


 キアランは、ニイロに向かって叫んでいた。


「逃げ……? 俺は、この島に逃げて――」


「あなたは、生きていた。深い苦しみと悲しみの中でも、生きていた」


「俺は――」


「あなたは、自分の命の尊さを知っていた」


 キアランは、まっすぐニイロを見つめた。ニイロの瞳を、ニイロの魂を。


「生き抜いていてくれていた。それは、自分のためだけじゃない、世界のために――」


「俺は……」


「大ぶりの弓。大ぶりの剣。それは、あなたを守るためだけじゃない。世界を守るためなのでしょう……?」


「俺は――」


「あなたが死ねば、他の誰かが四聖(よんせい)として生まれる。だから、あなたは辛くとも生きていた――」


 ニイロは、答えなかった。頬を、一筋の涙が流れ落ちた。


「大丈夫です。これからは、私たちがあなたを守る……! だから、私たちと、一緒に……!」


「俺に――」


 ニイロは、自分の手を胸に当て、少し顔を歪めた。

 言葉が胸につかえて出てこない、そんな様子で。

 キアランは待つ。ニイロの感情の発露を、静かに待つ。キアランは、黙してただ、ニイロを見つめ続ける。

 やがて、ニイロは、絞り出すようにして言葉を紡ぐ。


「俺に……、世界を救う、そんな力が本当にあるのだろうか――」


 キアランは微笑む。心からの、笑顔で。


「あなたは、四聖(よんせい)です……! 紛れもなく……!」


四聖(よんせい)……」


「いえ。四聖(よんせい)だから、だけではありません」


 ニイロは、キアランを見つめ返す。キアランより年上で、鍛え上げられた立派な体躯のニイロ。しかし、キアランの瞳に映るニイロは、まるでかすかに怯える少年のように見えた。


「あなたという人間は、世界でただ一人だからです」


「俺は――」


「一人一人が、違った魂を持つ存在……! 世界中の誰もが、かけがえのない貴重で大切な存在なのです……!」


 キアランは、アマリアの言葉を思い出していた。


「生きていてくれて――、ありがとう……! ニイロ……!」


 朝日のぬくもりを、キアランは感じていた。

 ニイロは、眩しいような目でキアランを見つめる。

 それは、差し込む朝日のせいだけではなかった。


「キアラン――」


 キアランは、ニイロに向かって右手を差し出した。

 ニイロは、戸惑いながらもキアランの手を握った。


「ありがとう――」


 キアランも、ニイロも、同時に同じ言葉を発していた。

 二人とも少し驚いた顔をし、同時に二人とも笑い声を立てた。


「こちらが、礼を言うべきだ……!」


「いや、私のほうこそ……!」


 キアランとニイロは笑い合う。そこには、なんのためらいもなかった。

 風が吹き抜ける。爽やかな緑の香りを運んで。


「そーだよ、私たちが守るよ! 人間世界がどうこうは知らないけど、ニイロのおじちゃんは元気でいてもらいたいから!」


 いつの間にか傍に来たシトリンが、満面の笑みを浮かべていた。その背後には、(みどり)と蒼井もいる。


 私たちって、シトリンたちではないんだけどな……。


 キアランはそう思ったが、そこはそのままにしておいた。


「私たちで、四聖(よんせい)を守ろうー! そして、朝ごはんも守ろうー!」


 シトリンが小さな拳を上げる。


「うまかったな。ごはん」


「来てよかったな、(みどり)


「シトリン様が守りたいものは、私たちも守るべきもの」


「シトリン様が守りたいものは、私たちも守りたいもの」


 (みどり)と蒼井の様子を見て、シトリンが尋ねる。


(みどり)! 蒼井! 私がどうこうよりも、本当はただ素直に守りたいんでしょ?」


 (みどり)と蒼井も顔を見合わせ、一瞬沈黙する。


「正直に、言いなさい?」


 腰に手を当て、シトリンが追及する。


「はい」


「守りたいです。また、食べたい」


 (みどり)と蒼井は、図らずも声を揃えていた。


「また、食べたい!」


 結局、そこか……!


 単純な動機から、新たな方針を勝手に打ち出した四天王とその従者たち。

 ニイロとキアランは、微妙な笑顔を浮かべた。

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