第42話 シルガー
「シルガー! 高次の存在たちを、追うことは可能か!?」
高次の存在に持ち去られた天風の剣。天風の剣を取り返そうと焦るキアランは、シルガーに向かって叫んでいた。
「……あいつは、自分から向こうに行ったぞ」
「え……!?」
「あれは、アステールの意思だ」
「シルガー! なにを言って……!?」
キアランは、シルガーが言っていることの意味を理解できないでいた。
「アステールは、自分から高次の存在の元へ飛んで行ったのだ」
キアランは、天風の剣が高次の存在の力によって奪われたもの、そう認識していた。シルガーの意外な言葉に、キアランは動揺する。
「まさか……! なぜ、アステールが!?」
「守ろうとしたのだろう」
「守る……!? 私たちを守ろうとした……、というのか!?」
「……まあ、それもあるだろう。あの四天王の狙いは、お前というより天風の剣にあると見た。アステールの気持ちとしては、お前を思ってお前から離れたほうがいいと判断した面も、多分にあるのだろう。でも、それより――」
「それより、なんだ!」
アステールが、キアランを守るために自ら離れようとしている――、キアランは、そんな考えを認めたくなかった。
アステールと共に生きてきた……! 離れるなんて、そんな――!
キアランは、空になった剣の鞘を強く握りしめていた。
「おそらく世界を守るため……、だろうな」
「世界を守るため……!?」
「アステールは、鍵となる存在。そうカナフが言っていた」
「鍵……? アステールが?」
キアランは、天風の剣の神秘的な輝きを頭に思い描く。世界でただひとつの、育ての母から託された、特別な剣――。
「アステールが……。鍵……。それはいったい……」
シルガーは長い首を回し、自分の背に乗っているキアランのほうを向いた。
「……キアラン。高次の存在は、魔の者や人間と違って、破壊的な行動を取らない。アステールの身は安全だろう。それは、戦いの中にいるお前といるよりも、はるかに、だ。追えるか、とお前は問うたが、それよりこのまま様子を見るのも一計かもしれない」
「様子を見る!? アステールは、私の大事な――!」
「あの高次の存在、ヴァロもなにか考えがあるようだ。必ず、また接触の機会があるはずだ」
「しかし――!」
「そのときを待て。キアラン。そう遠くはないはずだ」
「シルガー! 頼む……! アステールを……!」
「……キアラン。少しは私の身も案じてくれ」
キアランは、ハッとした。アステールを取り戻すことに気をとられ、シルガーの体のことは、すっかり頭から抜け落ちていた。
「……ごめん……!」
「私も魂のある身。不死身ではないのだぞ?」
シルガーは笑う。疲労の色がにじんだ、少しかすれたような笑い声だった。
「ごめん……」
「……一度言えば通じる」
シルガーは、地上に向け下降し始めた。
朝日が、地平線を照らし始める。
銀の鱗が、暁の色を映す。
「本当にすまなかった……。シルガー……」
キアランは、シルガーの首を両腕で包み込み、銀の鱗に頬を寄せた。
「……おいおい。寝る気か」
キアランは、傷だらけで疲弊したシルガーの体をいたわるようにしたつもりだったが、シルガーはキアランが眠くて寄りかかったのだと勘違いしていた。
「違うっ! 少しでも癒してやろうと思ったんだっ!」
「お前にそんな力があるのか」
「ないっ!」
キアランには魔法の力はない。
キアランは顔を真っ赤にし、姿勢を正す。
「……いや。あるのかもしれないな」
「ん?」
「……人間同士が、触れ合うのを目撃することがある。意味がよくわからなかったが、そういう効果があるのかもしれない」
「…………」
キアランは、もう一度シルガーを包み込むようにした。
「魔の者同士の場合、繁殖の場合に限られるが」
キアランは、急いで体を離した。尋常ではない素早さで。
「なんだ? 癒すのはやめるのか?」
「変なことを、言うからだっ!」
「お前は人間だろう。魔の者同士の話とは違う」
「…………」
キアランは、シルガーの首を優しくなでてやった。ただ、頬をつけるのだけは、やめておいた。
「……ありがとう」
「……いや。こちらこそ――、本当に、無理をさせてすまない……。シルガー」
冷たい銀の鱗。あちこちに見える固まった血の塊。ルーイやアマリア、ダンやライネのように魔法の力はないけれど、わずかでも痛みの軽減に繋がればいい、とキアランは鱗を手でさする。
「……お前の手のひらは、あたたかくて――、心地よいな」
「……そうか」
冷たい風の中でも感じる、あたたかな、日の光。アステールを失い、不安に駆られていたキアランの心は、いつしか落ち着きを取り戻していた。きっと、なんとかなる、いや、自分が絶対になんとかするんだ、そんな前向きな気持ちも生まれていた。シルガーの背に乗りながら、万物を照らす太陽の光は、心の中までも照らしてくれるんだ、キアランは自分でも知らずに微笑みを浮かべていた。
素直に日の光の恵みを感じられたのは、一人ではなかったからなのかもしれない。心を通わせることのできる誰かと、シルガーと共にいたからなのかもしれない。キアランは、癒すことで癒されていたのかもしれない――。
「……人間だから、癒す力があるのだろうか? それとも、お前だけが特別なのだろうか?」
「……心が、あるからだと思う。たぶん――」
アステールは、頬に流れる涙を、優しく指で拭ってくれた。カナフは、キアランを抱きしめてくれた。四天王の父は、人間の母と愛で結ばれていた。人間も、それ以外の存在も、きっと関係ない――。
「魔の者も、互いに癒すことはできるはずだ――。魔の者も、きっと――!」
キアランの言葉に、シルガーの返事はなかった。どんな状況であっても、相手の発した言葉にはすぐさま反応する饒舌なシルガーが、同意することも、反論することもなかった。
反論することはない、それがシルガーの答えだったのかもしれない。
「キアラン――!」
地上に降り立つと、アマリア、ルーイ、ライネ、ダンが駆け寄ってきた。
その後ろには、ソフィアやその妹フレヤ、そして、テオドル、ユリアナの顔も見える。
皆、キアランの無事を喜び、そして心配そうな表情も浮かべている。
皆がいる前で、四天王の息子であることを堂々と白状してしまった――。
シルガーの背から降り立つと、キアランの心に不安が渦巻く。キアランが四天王の子であると知らない人々の、自分を見つめる目が、怖かった。
「キアラン」
キアランが皆に向かって口を開く前に、シルガーが呼びかけていた。
「お前を、解放する」
「え」
突然のシルガーの宣言に、なんのことかわからずキアランは呆然とした。
バサッ……。
シルガーが大きな翼を羽ばたかせた。
「うっ……!」
それを合図に、キアランの胸からなにかが飛び出す。
炎のトカゲ……!
シルガーに植え付けられた、炎のトカゲだった。
炎のトカゲは、赤い光の塊となりシルガーの元へ飛んで行き、シルガーの胸の辺りに吸い込まれるように入っていった。
「これで、お前は自由だ」
「シルガー……!」
炎のトカゲを外す。それは、キアランへの監視をやめるということを意味する。
「シルガー! な、なぜだ!? なぜ急に……!」
あれほど願った炎のトカゲからの解放。キアランは、自分の胸に手を当てた。そこにあるのは喜びではなく、なにか――、ぽっかりと穴が開いたような、心もとない気持ち――。
シルガーは、皆を威圧するような目で辺りを見渡す。それは、凶暴な魔の者そのものの鋭い視線だった。
「……カナフにも、飛び去る寸前のアステールにも、キアランをよろしく頼む、と頼まれてしまった」
「……シルガー……?」
刃のような、銀の瞳。キアランは、シルガーがなにをしようとしているのか、なにを伝えようとしているのかわからない。
「まったく、迷惑な話だ……!」
吐き捨てるように、シルガーは叫ぶ。
「私は、魔の者だ……! 誰の意思にも従うものか……! 私が動くのは、自らの意思のみ……!」
「シルガー! 急に、いったい……!」
キアランは、シルガーのほうへ一歩踏み出す。
ドッ……!
いつの間にか、シルガーの口にはなにか棒のようなものがくわえられていた。
シルガーはキアランが近付いたとき、長い首を振りその棒のようなものをキアランの手に打ち付けるようにした。
「なっ……?」
それは、傍目にはキアランを攻撃したように映っていた。
しかし、それは攻撃ではなかった。キアランは、棒状の物をシルガーから受け取らされたのだ。
これは、いったい……?
シルガーから渡された棒状の物体を手にし、シルガーの意図をはかりかねるキアランの耳元に、シルガーの口が近付く。
「お前なら、使えるはずだ。キアラン」
「シルガー……?」
「お前にそれをやる。お前も、それを覚えているはずだ。使いかたがわからなければ、あの女にでも聞け」
「あの女って――」
「あのときの魔法使いだ。あの女の加護の魔法、一番強く私の翼に感じたぞ……? ふふ。あいつは魔法の使い手としていい筋をしている。後で代わりに礼を言っておいてくれ」
アマリアさんのことだ――! キアランは、そう感じた。
「まあ、私というよりお前を案ずる気持ちなのだろうな。でも、おかげで力が湧いた」
「シルガー! なぜ、こんな……!?」
シルガーは、再び銀の翼を羽ばたかせ、キアランから離れた。
「キアラン……! お前のお守りはもう終わりだ……! ふふ。さらばだ……! 人間ども……!」
風が、シルガーのほうへ集まっていく。冷たい風が渦巻きのようになり、シルガーの全身を包み隠していく。
「シルガー!」
キアランは、叫んだ。その名を。
「シルガー!」
シルガーを中心にし、渦を巻く風。竜巻のようになったその中に、銀の色は認められない――。
「シルガー! お前……!」
もう一度キアランが叫んだとき――、あれほど集まっていた風は、幻のように霧散していた。
朝日がすべてを照らす。
シルガーの姿は、もうどこにもなかった。




