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天風の剣  作者: 吉岡果音
第四章 四聖と四天王
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第39話 顔

 黒い闇が迫る。

 キアランの父と母を殺したその男が、音もなく近付いて来ていた。


「近付けさせない……!」


 刃物の切っ先のような、カナフの横顔があった。

 白い大きな翼を羽ばたかせ、カナフが飛び立った。


「カナフさん……!」


 キアランが叫んだときには、カナフは天高く飛び上がっていた。


 ドン……!


「うっ……!」


 強い閃光。嵐のような衝撃波がキアランを襲う。とっさに顔の辺りを両腕でガードし、重心を落として両足で踏ん張っていたが、キアランは後ろの月桂樹まで吹き飛ばされていた。


 カナフさん……!


 自分に翼があれば、とキアランは思う。あの四天王と戦うべきなのは、カナフではなくこの私だ、とキアランは思う。

 四天王と高次の存在が戦うことはない、という。しかし、尋常ではないエネルギーのぶつかり合いを感じていた。

 物理的な戦闘はないのかもしれない。しかし、強い思い――、たとえば憎しみや敵意といったもの、心と心のぶつかり合いが、この衝撃波の正体なのではないか、そうキアランは思う。

 もし、どちらかの心が暴走し、攻撃に走ったら――。その可能性がないとは言い切れない、と危惧する。

 カナフが無事であるかどうか、キアランの心は焦る。

 そして――、自分の父と母を殺した張本人が目の前にいるという現実――。

 キアランは、ぎりぎりと奥歯を噛みしめた。握りしめた手のひらに、自分の爪が突き刺さる。


 翼が、あれば……!


「いったい、なにが……!」


 アマリアやルーイたち、大修道院の僧侶たち、そしてエリアール国の守護軍たちも、皆起きて外に飛び出した。

 魔法の力を持つ者もそうでない者も、空で起きている異変に気付いた。

 強烈なエネルギー同士の衝突は続いていた。空は稲妻のような光が明滅し、暴風が人々やテントや木々を襲った。


「私に、翼があれば……!」


 キアランは叫んだ。両の拳を強く握りしめ、心の底から強く願った。


 願えば、翼も生えるのだろうか? 私の力が強くなったように――。


 アマリアやダンやライネやルーイ、それから僧侶たち、魔法が使える者たちは天に向かって、それぞれの魔法の力を増幅する魔法の杖などを掲げ、口々に呪文を叫んでいた。


「月や星の聖なる光よ、荒ぶる大気を鎮め給え……!」


「大気の震え、光の潮流、夜のとばりの下に静まらんことを……!」


 人々の祈りや魔法は届いていたはずだった。しかし、夜の深い闇は不気味な渦を描き、恐ろしい閃光が竜のように空を走る。

 キアランの鋭くなった感覚をもってしても、カナフと四天王の様子は見えてこない。


 私が、カナフさんと四天王のところに行くことができれば……!


 キアランは金の瞳で空を睨み続けていた。

 歯がゆかった。見上げるだけで、なにもできない。


 こんな近くに、父と母の仇がいるのに――。


 ただ、見上げるだけのちっぽけな自分。カナフは、すぐに向かって行ったのに――。


「私が、あそこまで飛んで行く……!」


 キアランは、ふたたび叫んでいた。自分の背に、翼が生えることを願って。

 どうやったら、あそこまで行けるのだろう。翼が生えるには、どうしたらいいのだろう。キアランの心は問い続けていた。

 なにかを手にするには、なにかを捨てるしかないのか、そんな思いに囚われ始める。

 翼の生えたひと。魔の者と、四天王と、高次の存在。いずれも、人間ではない。当たり前だが、人間に翼は生えない。

 だとしたら、とキアランは思う。

 だとしたら――。

 キアランは、ある答えにたどり着いていた。


「人間の姿など、捨ててやる……!」


 キアランは、喉から血が出るのではないかと思われるほど、叫んだ。

 衝撃波の嵐の中、その声はカナフや四天王のいるところまで届くのではないかと思われた。


「もとより、私は人間ではない! もっと完全に、目覚めてみせる……!」


 キアランは、漆黒の四枚の翼を強く思い描いていた。


 会ったことのない父の姿、私がその姿を引き継いでやる……!


「人の魂を捨て、私がそこに行く……!」


 遠くで、あるいは近くだったのかもしれない。ルーイの声が聞こえた気がした。


『だめだよ! キアラン! キアランは、キアランなんだよ……!』


 誰かが自分の腕を掴んだ気がする。小さな手。きっと、ルーイだ、キアランは意識の片隅で、そう認識した。

 

『キアラン……! そんな怖い顔をするのはやめて……!』


 今の自分の顔は、悪魔のような顔をしているのかもしれない、キアランは思った。漆黒の翼、金の瞳、まるで悪魔のような姿になっているに違いない、と思った。


『ばけ……、もの……、め……』


 キアランがかつて倒した、呪術師になりすました魔の者の、断末魔の呪いのような言葉をキアランは思い出した。


 そうだ……! 私は、化け物だ……! あの言葉が真実だったのだ……!


「私は、四天王の息子……! 私の背にも、父と同じ四枚の翼を……!」


 キアランは、ついに願っていた。あれほど恐れていた、四枚の翼が生えることを――。


 ごうっ。


 風のように、なにかがキアランの前に出た。

 それは、銀色の風だった。

 キアランの視界は、唐突に銀色でいっぱいになっていた。


 え……?


 暴走し、錯乱しつつあったキアランの意識が、そこでいったん止まった。

 輝く銀色。先ほどまで、カナフの生み出した金色を覚えていた瞳が、突然の銀の輝きに戸惑っていた。


 なんで、銀……。


 キアランの脳が情報を処理しきれず、呆然としていると、すっかりおなじみの声がした――。


「キアラン。ずいぶん無理をさせる。私は、重傷の身なんだぞ」


 銀の瞳が、笑っていた。


「銀の、竜だ!」


 ルーイや皆が、驚きの表情を浮かべ口々に叫んでいた。


「シルガー!」


 それは、竜の姿のシルガーだった。


「案内くらいはできる。乗れ」

 

 シルガーは、キアランに背を向け、乗るように促した。


「シルガー! 大丈夫なのか……?」


「お前らこそ、大丈夫なのか。ずいぶん、天風の剣に無理をさせていたな」


「え」


 お前ら、とシルガーは言っていた。天風の剣に無理をさせて、とも。どういうことなのだろう、とキアランは疑問に思う。


「気付かなかったか? 天風の剣が、お前を必死で止めていた」


「なに……?」


「今までもそうだと思うが、今回もお前の動きを止めていた。天風の剣が、だ」


 キアランは、腰に差した天風の剣、アステールに目を落とす。


「アステール……!」


「特に、今のはひどかった。蒼井との戦闘のときは、天風の剣も調整くらいのスタンスだったと思うが、今のお前の暴走ぶりは、さすがに天風の剣が気の毒に思えたよ」


 アステールは、淡い光を放っていた。


 アステール……! お前、私のために――!


「キアラン。乗るのか? 乗らないのか? 乗らないなら、私は帰って寝るぞ!」


「シルガー! 悪い! お前の力、借りるぞ!」


 キアランはシルガーの背にまたがった。キアランを乗せ、シルガーは、力強く羽ばたいた。

 吹き荒れる暴風の中、シルガーはまっすぐ飛んで行く。


「やれやれ。これじゃ正義の味方みたいじゃないか」


 シルガーがため息を吐く。地上から、人々の魔法を唱える声が聞こえてきた。


「……人間どもの魔法が、私の翼にもかけられている。なんだか、ものすごく応援されている」


「応援……?」


「ああ。やつら、私を味方だと思って、私にも加護の魔法をかけているようだ」


 不本意だ、とばかりにシルガーは首を振る。

 キアランはシルガーの迷惑そうな様子を見て、少し可笑しくなった。


「……よかったじゃないか。人々に、好かれているぞ」


 シルガーはぎろり、とキアランを睨んだ。


「さっきまでのお前の叫び、うるさくて仕方なかった。せっかく寝ようとしていたのに、あれじゃ眠るに寝られん」


「それは、そもそも、お前が私にトカゲを植え付けたから――! それに、なんでもかんでも盗み聞きしてるわけじゃないんだろう! 聞かなきゃよかったじゃないか!」


「お前の叫びが無茶苦茶過ぎて、正さずにはいられなかった」


「無茶苦茶……?」


「四天王は遺伝ではない。お前には四枚の翼は生えない」


 四枚の翼は、四天王の象徴、四天王だけの特徴である。


「一対でもいいんだ! 空を飛べればいいと思ったんだ!」


「……だから、来てやったじゃないか」


 シルガーの銀色の翼は、混沌の風を切り開いていく。


「翼が欲しいと言うから、わざわざ来てやったんだ」


 エネルギーの激しい潮流が、キアランの髪を乱す。夜の闇を超えた暗闇に、辺りは包まれている。

 胸が、熱い。

 キアランは、自分の胸に手をあてていた。

 言葉が、あふれようとしていた。熱い思いと、共に。

 願いは、叶えられていた。

 

「……ありがとう」


 激しい風が吹く。キアランと、シルガーの間を吹き抜ける。

 シルガーの耳に、言葉は届いたのだろうか。キアランは少し心もとなく思う。それと同時に、安堵もしていた。


 シルガーが調子づいても、むかつくしな。


「うむ。素直だな。いい傾向だ」


 大切なことは、確実に届けられる。

 キアランの心からあふれ出た言葉は、激しい風の中でもきちんと届けられていた。

 シルガーは、満足そうにうなずいていた。


 やっぱり、ちょっと、しゃくにさわるな。


 キアランは苦笑する。笑みを浮かべてから、キアランは、ふと思う。


 私は――。私の顔は今、人の顔をしているのだろうか――。


「シルガー……」


「なんだ」


「私は、まだ――」


 人なのだろうか。


「私は、今――」


 どんな顔をしている……?


 肝心の訊きたいことが、声に出てこない。シルガーは、キアランを見やる。


「なんだ。また泣くのか? なぜ情けない声を出す?」


 私が、泣いている……?


 キアランは一瞬ぽかんとし、それから大至急で訂正することにした。


「泣いてないっ!」


「……泣いているのかと思った。ふむ。人間というものは、実によくわからないな」


「……泣いてない」


 シルガーは、「人間というものは」と言った。

 それは、キアランの声にならない問いに対する完璧な答えだった。それで、充分だった。

 シルガーは、首を後ろに回した。


「今は、泣いているな」


「……うるさいっ!」


 涙が、こぼれ落ちていた。

 アステール。ルーイ。シルガー。三つの存在のおかげで、キアランは人間であり続けていた。

 いや、実際は、最初からキアランはキアランでしかないのかもしれなかった。人ではなく、魔の者にもなりきれない、中途半端な生き物、それが自分なのかもしれない、キアランは思う。


『キアランは、キアランなんだよ……!』


 たとえ中途半端でも、それを認めてくれる人々が、受け止めてくれる存在がいる。


「泣いて……、ない」


 声が震えてしまっていた。胸も、顔も、熱い。


「そういう現象を泣く、と言うのだ。私でもわかるような事象を、なぜ認めないかがわからない」


「……笑って、いるんだよ」


 キアランの視界は、にじんでいた。

 キアランは、泣きながら、笑っていた。


「うむ。笑っているな」


 シルガーは、前を向く。


「忙しいやつだ」


 シルガーは、ちょっと不思議そうに首をひねったが、キアランの言動が面白かったのか、低く笑い声を立てた。

 キアランは、シルガーにしがみつくように乗りながら、その鱗を見ていた。やはり、傷だらけで、ところどころ鱗が剥がれ落ちている。あちこち血がこびりついており、見るからに痛々しい。


「……全然、大丈夫じゃないんじゃないか……!」


 閃光が空を走る。シルガーは、その光の衝撃が当たらないよう、かろうじて避けた。


 動きも、おそらく本来のシルガーの動きとは程遠い……!


「シルガー……、お前――」


「……今の私では、戦いは無理だ。やつらに追いついたら、自力でなんとかしろ」


「ああ……!」


 キアランは、うなずいた。

 キアランたちが、向かい合うカナフと四天王に近付いた、そのときだった。遠くの空が、金色に輝いていた。


「今度は、金色……?」


 金の光の集団が、近付いて来ていた。


「あれは……!」


「団体で、来たな」


「あの一団は、いったい……」


 無数の金の光をまとう者たちが、飛んでこちらに向かってきている。それは、皆、白い翼を有していた。

 

「……カナフのやつ、まずいことになったかもしれないな」


 シルガーが、低い声で呟く。


「なに……?」


 金色の光の集団、それは、高次の存在だった。

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