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天風の剣  作者: 吉岡果音
第四章 四聖と四天王
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第37話 似た者同士

 紫の色を帯びていく空に、一縷の希望のような白い羽――。

 福音のごとく現れたそれは――。有翼の高次の存在、カナフだった。


「カナフさん……!」


 空を仰いだキアランがその名を呟いて初めて、皆がその来訪に気付く。


「おおっ……! あれは……!」


「高次の存在……!」


 大修道院の僧侶も、高次の存在を実際に見るのは初めてのようだった。僧侶たちはいっせいに大地に伏した。エリアール国の守護軍たちは、手を合わせた。惨状に現れた光の使者を瞳に写し、涙を流している者もいた。


「皆様、どうか顔をお上げください」


 地上に舞い降りたカナフは、少し慌てながら訴えた。その様子は、まるで純真な人間の若者のようだった。


「私は、場のエネルギーを調整する者です」


 カナフの良く通る澄んだ声を聞いて、高次の存在について詳しくは知らないエリアール国の守護軍の者たちは、思わず顔を見合わせた。ざわめきも起きていた。自分たちを救い導く天の使いが現れたと思ったのに、実際にカナフの口から語られたその短い言葉は、あまりにも現実的で素っ気ないと感じられるものだったからだ。


「おお……。場の清浄化は、この地上で暮らす我々にとりましても、ここで天に旅立った英雄たちの御魂にとりましても、大変ありがたいことです……!」


 大修道院の年老いた僧侶が、人々のざわめきを一掃するように、朗々とした声でカナフへの礼の言葉を述べた。

 カナフは笑顔でうなずく。


「尊い命が安らかに召されますよう。浄化により、天へ通じる道、そして大地へと通じる道もより大きく開かれます」


 大修道院の僧侶たちは、深々と頭を下げた。天へ通じる道が人の魂の行き先であり、大地へ通じる道が魔の者の魂の行く先である。カナフは、人、魔の者、両方の冥福を祈っていた。

 それから、カナフの慈愛に満ちた青の瞳は、群衆の中にいるキアランを迷うことなく見つけ、微笑みかけた。それは、遠く離れた空からもあなたを見つめていたのですよ、そう告げているようだった。


「キアラン。後でお話の続きを」


「カナフさん! ご無事で本当によかったです――!」


 高次の存在と四天王が戦うことはないと聞いていても、あのとき感じた衝撃波は、キアランにとって気がかりなものだった。


「ふふ。案じてくださったのですね。ありがとう。私もいざ対峙すると平常心ではいられなくて、ついやりすぎてしまいましてね――」


 うっかり本当のところを打ち明けてしまった、とばかりに肩をすくめ、カナフは自分の唇にしなやかな人差し指を、そっと当てる。


「おしゃべりは後ですね。早く浄化いたします。でないと、他の者も来てしまう――。これだけ大きな場の乱れは、遠くにいる者たちにも知られてしまいますからね」


「遠くにいる者たち……?」


「ええ。私の同胞たちです。私は、昔から勝手に動き回ってる問題児なんです。人間の皆さんと違って、私たちの社会には、上の者とか統率する者はおりませんが、全体の規律を乱す者はあまり褒められたものではありませんからね――」


 カナフは、皆に向かって一礼した。


「では、この建物一帯を浄化してまいります。皆様、私のことはどうぞお気になさらずに、皆様の今、そしてこれからのなすべきことをなさってください」


 カナフはそう言い終えると、まばゆい純白の翼を羽ばたかせ、古城の上空高く飛んで行った。


「あ……!」


 きらきらとした、金の光が降り注ぐ。カナフが場を清めている印だった。


「キアラン殿とやら……! いったい、あなた様は……!」


 年老いた僧侶が驚いた顔でキアランの元へと駆け寄る。

 年老いた僧侶は、なんと返答すればいいか困惑するキアランの両手を取った。


「その不思議な瞳……。あなた様からは、まるで魔の者のような、いえ、失礼、大変申し訳ございません……! その――、とても不思議なエネルギーを感じます……。そして、人とほとんど関わることのないといわれる高次の存在とのご関係……。あなた様は、いったい――」


「私は――」


 キアランは、年老いた僧侶と、他の僧侶たち、そしてエリアール国の守護軍の者たちの視線が一身に集まっているのを感じていた。

 キアランは、迷っていた。魔の者の血、力が目覚めた今、以前よりも一層自分は魔の者に近い存在になっているという事実、それを今ここで打ち明けるべきなのかどうか――。

 冷たい風が、キアランの肌を刺す。


「私は――」


「キアランは、キアランだ! キアラン以上でも以下でもなんでもねえ!」


 そう叫んだのは、ライネだった。


「みんな、こいつは優しくて器のでかい、いい男だ! それだけだよ!」


 ライネはキアランの肩に腕を回し、笑った。


「そして、キアランも俺も、ダンもアマリアさんも、それからソフィアも、四聖(よんせい)を守護する者だ! お坊さんがた、そしてエリアール国のみんな、四聖(よんせい)は俺たちが第一線で守る! てなわけで、よろしく!」


 あ、そうそう、とライネは大事なことを忘れてた、と手を打って呟いた。それから親指を自分の胸に突き立て、叫んだ。


「それで、俺の名はライネだ! よろしくな! いまさらだけどな!」


 ライネ――。


 キアランは、胸がいっぱいになっていた。

 人間からは遠ざかっていく自分、異端の自分――。ライネは、それを守ろうとしている。自分の中心に居座る大きな秘密を、偏見と好奇の眼差しから守ろうとしてくれている――。

 ライネが派手に自己紹介をすると、後ろから、つかつかとソフィアが近付いてきた。


「ちょっと!」


「あ?」


 ライネが短く疑問形で反応した。

 

「ちょっと! なんでアマリアさんが『さん』付けで、あたしがソフィアって呼び捨てなのよ!」


 ライネはソフィアの顔をじっと見た。


「そういうところ」


 ソフィアの鼻先に、人差し指を向ける。


「あ?」


 今度はソフィアが短い疑問形で反応する。


「そういうところが、俺にあんたを呼び捨ての気分にさせるんだよ!」


「呼び捨ての気分って、なによ!」


「敬称、いらねーな、って」


「ああっ!?」


 顔を間近に近づけ合い、先に目を離したほうが負け、といった様子でけん制し合うライネとソフィア。まるで猫の縄張り争いのようだった。

 まあまあ、とダンが二人の間に入って引き離す。こんなところでそんなことをしている場合ではない。


「ライネ」


 キアランは、ソフィアとあっかんべーをし合っているライネに声をかけた。


「ありがとう」


 ソフィアに対しては大人げないライネだったが、キアランのほうへ振り返ったときには、はにかんだ笑みを浮かべていた。


「……おうよ」


 それだけ呟くと、ライネは元気づけるようにキアランの背を叩いた。

 カナフは、古城の窓から中へと入って行っていた。エネルギーの乱れは相当なもので、浄化には、時間がかかるようだった。




 太陽が、山の向こうへ姿を隠す。

 一同、古城近くで野営をすることにした。

 大修道院の年老いた僧侶と数名の高位の僧侶、それからエリアール国の守護軍の代表数名、ダンとアマリアが今後の行動について話し合うことになった。

 キアランはカナフが来るのを待っており、エリアール国の守護軍の剣士であるテオドルは、目覚めて間もないユリアナに付き添うことを望み、話し合いの参加は辞退していた。

 ソフィアは、最初から参加する気など毛頭ない。

 フレヤと語らうソフィアの隣に、ライネが座る。


「なによ」


 いきなり、ソフィアは喧嘩腰である。先ほどの続きと言わんばかりに。


「……おめー、少し考え変わったか?」


「なにがよ!」


「考え、変えろ」


「だから、なにがよ!」


 フレヤがなだめるのも聞かず、ソフィアはライネに食ってかかる。

 ライネは、大きく息を吐き出した。


「さっきは、大人げなかった。ごめん」


 ソフィアは目を丸くした。ライネが謝ってくるとは思わなかったようだ。


「……謝ることないわよ。あたしもあんたのこと、呼び捨てにするし」


 なるほど、とライネはうなずく。お互いそのほうが、気が楽ということらしい。

 一番星がまたたく。明るく、力強い光。

 ライネは、改めてソフィアの瞳をまっすぐ見つめた。


「ソフィア。フレヤさん。あんたたちも、俺たちと、一緒に行動しよう」


 ソフィアは、切れ長の目でライネを睨みつけている。


「……フレヤさんは、やっぱ敬称いるだろ」


「……あたしが今つっかかったのは、そこじゃない」


「そうか」


 敬称問題ではなかった。

 ライネは、もう一度、息を長く吐き出した。気を取り直して。そして、ソフィアに強い口調で訴えかけた。


「あいつらの強さ、尋常じゃねえ……! ソフィア、あんたは嫌かも知んねーけど、妹さんの安全のためには、守りは多いほうがいい……!」


 ソフィアは、足を組んで沈黙していた。

 傍で聞いていたキアランが、口を開こうとした、そのときだった。


「……誰が単独行動するって、言ったのよ」


「……あ?」


 ライネが短く聞き返す。


「あたしは! 大修道院に入るのが反対なの!」


「……と、申しますと?」


 ライネが、はて、と首をかしげつつ尋ねる。

 ソフィアが、組んでいた足を組み替えた。

 それから、赤い髪をかき上げ、ぼそっと呟いた。


「あんたたちなら、信用できる」


「ん?」


 ライネが顔を近づける。いったん軽くライネの頭を叩いてから、ソフィアは口を開いた。


「あんたたちとなら、一緒にいてもいいって言ってんの!」


 ソフィアの頬は、少々バツが悪いのか――、赤く染まっていた。

 月の光に照らされた、ソフィアの白いうなじ。ソフィアのハスキーな声が、ゆっくりと夜の風に溶け出す。


「……少し、気になるやつもいるしね――」


 うつむき加減のソフィアの長いまつ毛が、ほんの少し揺れた。


「俺か?」


「ちが―わ!」


 ソフィアの手拳がライネに当たる。

 目が合ったキアランとフレヤが、たまらず吹き出していた。

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