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天風の剣  作者: 吉岡果音
第四章 四聖と四天王
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第30話 怪物の口

 ルーイ……!


 キアランは、心の中でその名を叫ぶ。キアランにとって大切な響きの、その名を。

 乾いた心に、あたたかな灯をともしてくれたルーイ。忌まわしいと人から恐れられ、蔑まれ続けた金色の瞳を、いつもまっすぐ見つめてくれたルーイ。キアランを想って笑い、そして泣き、楽しいときも苦しいときも、ルーイは全力で、全身でぶつかってきてくれた。

 ゆく当てもなく人と距離を置き、自分は誰の人生とも関わることはないと思っていたキアラン。

 食や衣類など必要なものを入手する、宿をとる。訊かれたことに、必要な返事をする。旅暮らしに必要な程度の会話しか、人と交わすことはなかった。

 笑うことすら、なかったのだ。

 アマリア、ライネ、ダン。いつの間にか、笑顔を交わし合えるようになっていた。ごく、当たり前のように。ルーイと交わす笑顔が、そうさせてくれたのだ。

 キアランは思う。夜の湖を見て、朝日を浴びた湖はきっと美しいだろうと想像する。そしてその景色を皆に見せてあげたいと思う。そんな心の動きが、今までの自分にあっただろうか、と。

 ただ生きることだけを考えてきた自分の中に、他者を想い、他者が喜ぶことを願う、いつの間にか、そんなあたたかな心が芽生えていた――。


 ルーイのおかげで、私は変われたのだ……!


 ふと、ソフィアの言葉が心をよぎる。


『あたしが守りたいのは、『四聖(よんせい)』じゃない! あたしの妹よ!』


 キアランも、同じだ、と思う。


 私が守りたいのは、ルーイという唯一無二の存在だ――!


 キアランは、シルガーを追って白の世界を駆ける。全身を巡り脈動する血潮が、熱くキアランを鼓舞し続けていた。


「四天王の居城に着いたぞ」


 不意に、前を飛ぶシルガーが声をかけてきた。


「なに!?」


 キアランの目には、相変わらず濃い霧の中のような、真っ白の景色しか映らない。


「結界が張られている。内部までは行けない。ここを出るぞ」


「ここを出るって、どう――」


 キアランが最後まで言い終えないうちに、視界いっぱいに緑が飛び込んできた。


「森の中の静かな城だ」


 シルガーはそう呟き、梢の向こうに見える建造物を指差した。

 その先に見えたのは――、石造りの古城だった。


「人間の建てた古い城跡を、自分の住まいにしているのだろう」


 衛兵が、門の前に立っている。衛兵は、兵士のように武装した格好をしているが、頭部は犬のようであり、そしてその体も大きく全身のバランスも奇妙で、キアランではなく普通の人間が見たとしても、一目で人間ではないとわかる姿だった。


「シルガー。あれも、四天王の従者か」


「生まれつきの四天王は、従える数が違う。中にはもっとたくさんいるだろうな」


 蒼井と(みどり)、あれは別格の強さの側近で、おそらく雑魚が大半だろうが、とシルガーは付け足す。


「生まれつきの――」


「ああ。あいつとは違う」


 あいつ、それはすなわち、初めて遭遇したあの――キアランと同じ黒髪と金色の瞳の――四天王を指していた。


「シルガー! あの男は……!」


 キアランがそう言いかけたときだった。


 ドガガガッ!


 土埃を上げ、馬に騎乗した兵士たちの一団が道を突き進んでくるのが見えた。彼らはまっすぐ古城に向かっていた。


「ほう。新たな人間ども――。さっきの連中やお前の仲間たちとは別口か」


 シルガーもキアランも、予想外の兵士たちの登場に目を見張る。

 キアランは、兵士たちの姿に注目した。


「あのいでたちは、大修道院の僧兵ともう一つの……、軍隊……?」


 兵士たちは、服装の特徴などから一つの軍隊ではなく、二つのグループであるように見えた。同じカラーのローブを身にまとった僧兵たちと、甲冑や兜をつけ剣や槍、弓矢などを手にした兵士たち、その二つのグループが連携しているようだった。兵士たちが一つの集団と思える理由は、馬具や甲冑には、なにか同一の紋章らしきものがつけられているからだった。


「魔の者め! 我らが四聖(よんせい)を返してもらうぞ!」


 一団の先頭の、剣を手にした兵士が叫ぶ。それと同時に、僧兵たちが呪文を口々に放った。

 爆発音がする。キアランには正確なことがわからなかったが、おそらく衛兵が攻撃をしかけ、僧兵の呪文がそれを防いだのだろう、閃光が走り、轟音が鳴り響いた。


「突撃―っ!」


 兵士たちは突き進んでいく。

 キアランも天風の剣を手にし、その場を駆け出していた。


「キアラン!」


 シルガーが呼ぶ声が背後に聞こえた。キアランはそのまま城を目指し全力で駆ける。


「やれやれ。まあ、これからは楽しい自由行動、かな?」


 キアランの背に、シルガーの笑い声が追いかけるように聞こえてくる。キアランは振り返ることなく、走り続けた。

 キアランの頬を、銀色の輝きがかすめていく。シルガーの長い髪だ。


「先に行くぞ。キアラン。お前のお守り(おもり)はしないが、大丈夫かな?」


 シルガーの言葉に、思わず、かっ、となる。


「貴様の力など、あてにしていないっ!」


「私は、あの兵士どもの助力もせんぞ?」


 それはそうだろう、とキアランは思う。別にシルガーは人間の味方でもなければ、正義の味方でもない。


「正直――、私は人間の文化が好きだ――」


「?」


 なにを言っているのだろう、とキアランは思う。


「人間の営み、働きぶりも面白いと思う。中でも素晴らしいものは、宿屋の上質なシーツと至高の料理だ」


「なにを――」


「知っているか? キアラン。上等な宿屋の朝食の素晴らしいこと……! 豪華なディナーもいいが、なんといっても私は朝のシンプルで上品な食事を愛している。まるで、絵画のような美しいひとときを」


「…………」


 キアランがどうでもいい、と聞き流そうとしたとき、低い声でシルガーは呟く。


「魔の者の君臨する世界、それを私の手で果たすことにも興味がある」


 キアランは、シルガーの横顔を見た。


「ふふふ……! お前の出る幕もなくすべて終わらせてしまったら、すまんな……! すべて、とは四聖(よんせい)の坊やの始末も含めて、だ――!」


「シルガー!」


「いや、すまん。中にいる四聖(よんせい)は、あの坊やだけじゃないな」


「なんだって!?」


 ソフィアさんの妹か、とキアランは思った。


「一網打尽、とはこのことかな……?」


 高笑いを残し、シルガーは衛兵と兵士たちの戦闘の渦の中に消えていく。


「シルガー!」


 キアランは、舌打ちした。もともと、四聖(よんせい)や自分たちを滅ぼそうとしたシルガーである、本気でルーイやソフィアの妹の命を奪う気なのかもしれない。


『あの四聖(よんせい)の坊やを助けたいんだろう!』


 今までの言動、ここまでキアランを連れてきたこと――。キアランに余計と思えることを言うのは、奮起させるためなのか、キアランの心を波立たせ反応を愉しんでいるのか、それとも言葉通りの意味なのか――。

 すべて、本心のような気もしてきた。

 

 シルガー……! いつか、ぶっ飛ばす……!


 キアランは気付かない。そうした雑念に意識が向けられていることで、緊張や過剰な気負い、四天王という強大な力への恐れなど、自分の力を自分で縛ってしまう要素がどこかへ吹き飛んでいることに。


 いや、違う! 私が今考えることは、ルーイやソフィアさんの妹を助け出すこと……!


 キアランは、改めて「今」に心を向ける。自分で不思議に思うくらい、体は軽く、心は落ち着いていた。




 無残な光景が広がっていた。

 門の前にたどり着くと、数名の兵士とその馬たちがすでに絶命していた。

 しかし、衛兵たちも息絶えており、シルガーも残りの兵士たちも、内部への侵入を成功させていた。


 あの僧兵や兵士たちも強い……! きっとあの僧兵たちがソフィアさんの言っていた、大修道院を出ていった者たち……! 大修道院の中でも戦いに長けた精鋭たちに違いない――!


 キアランも、門をくぐる。


「うっ……!」


 魔の者と、兵士や僧兵、馬たちの死体が混然と折り重なっていた。


 私がここに着く、わずかの間に――!


 城の中から、衝撃音と叫び声が聞こえてくる。

 攻撃の呪文と、怒声と、悲鳴。そして、それからおそらく断末魔の――。

 剣や槍、弓の鋭い音。なにかを叩きつけ、もしくは引き裂く音。

 笑い声も聞こえてくる。

 それは、シルガーの? 蒼井と(みどり)の? そして、四天王の――?

 

 狂っていやがる。


 キアランは突き進む。臆することなく。

 開け放たれた城の入り口が、巨大な怪物のようにぽっかりと黒い口を開けていた。

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