第3話 魔法使いの少年、ルーイ
キアランは、朝日に輝く雲を見ていた。それは、美しい金の色を宿していた。
頬に当たる冷たい風が心地よい。あれほど一晩中吹き荒れていた風も、今は穏やかになっていた。
「おはよー、キアラン! 今日はいい天気になりそうだねっ」
うん、と伸びをしながら、ルーイが隣に並ぶ。ルーイが目覚めないようにそっとテントから出たつもりだったが、起こしてしまったか、とキアランはルーイの顔を見た。まだ夢から抜け出せないような寝ぼけまなこかと思いきや、ルーイはにこにこと晴れやかな顔をしている。
「……お前は、私の目が怖くないのか」
キアランは、朝の挨拶を返さずルーイに問いかけていた。それは、昨夜の出会いから密かにキアランが抱いていた疑問だった。
暗闇で光る金の右目。昨晩は自分の命を助けられたから、怖がる暇もなかっただろうが、朝の明るい光の中で改めて恐怖を感じないものか、あまりに警戒心のない無邪気な表情に、質問せずにはいられなかったのだ。
「うん! 怖くないよ。キアランの右の目、綺麗な色してるね!」
キアランは、ルーイの思いがけない返答に一瞬絶句した。
「私の目が……、綺麗だと……?」
「うん! でも左の黒い瞳も、かっこいいね!」
キアランはさらに面食らった。左右の目の色が違う、しかも片方が普通にはない金色、それは人を恐れさせる異常な姿かと――。
「お腹すいちゃったなー、朝ごはん食べよー!」
キアランの驚く顔をよそに、ルーイは手ごろな石を拾い集め始めた。かまど作りの準備だ。
今までキアランの瞳を見て、少しも動揺しなかった者はいなかった。ましてや、褒められたことなど一度もない――。
いや――。母さんは、いつも褒めてくれていたな――。
キアランを育ててくれた母が褒めてくれた両の目。そして、そんな母の優しい笑顔を映し続け、記憶するかけがえのない両の目。それは、魔の者を見抜く金の目――。それは、悲しい結末を招く要因になったのだが――。呪術師に操られた村人から襲撃を受けたあとも、母のキアランへの愛は変わることはなかった。あの日の前も、そのあとも、母はキアランの瞳を誇りに思うように称えてくれていた。
「キアラン。あなたの瞳は、あなただけの特別な光を宿しているの。その右目は、私の大好きな、朝日の色よ。あなたの瞳は、もしかするとあのときのように恐ろしいものを見てしまうこともあるかもしれない。でも、世の中は果てしなく広く、美しいわ。だから恐れることなくあなたの瞳に世界中のたくさんの素敵なものを映していってね――」
母はそう語りかけ、キアランの黒髪を優しくなでた。
キアランは、どんなに他人から気味悪がられようと、金の右目を隠すことはしなかった。
これが自分の姿だと胸を張って堂々としていることで、表立ってあれこれ言う者はいなかった。
年齢を重ねていくと、次第にそれが便利にさえ感じるようになった。他人と余計な関りを生まないことが、あてもない旅暮らしを続けるキアランにとってちょうどよかった。キアランのその外見と身にまとう雰囲気は、悪人さえ一目置いて避けて通り、厄介ごとに巻き込まれることはなかった。
ルーイは、せっせと石を積んでいく。てきぱきと働く小さな後ろ姿は、そんな作業すら楽しんでいるように見えた。キアランは、はっと我に返った。
「あ……。ああ……。それなら私は、燃やせるものを取ってくるか」
さすがに昨日の魔の者を焚き木にするのは気が引けるので、キアランはなにか草葉や風で飛んできた枝などを拾って集めようとした。
「大丈夫だよ! 魔法で、火をおこせるし、魔法の炎は短時間なら燃え続けるから!」
ルーイが、にっこり笑いながらキアランを呼び止めた。
「そんなことも出来るのか」
「うん! まっ、座って僕の魔法を見ててよ!」
ルーイは得意げに満面の笑みを浮かべると、息を大きく吸い込んだ。そして、打って変わって今度は集中するように神妙な顔つきになる。
「我は召喚する……! 火の精霊、ここに集いたまえ……! 我の命の源となる糧をあたため、見守りたまえ……!」
ぽっ……!
ルーイが呪文を唱えながら手をかざすと、石のかまどに、小さな炎が灯った。
「……ずいぶん、火力が弱いようだが……?」
キアランが、率直な感想を述べた。
「だっ、大丈夫だよ! 時間はかかるけど、ちゃんと食材をあたためることが出来るんだから……!」
ルーイは鋭い指摘に動揺している様子を見せつつ、自分の荷物から朝食となる携行食を取り出し、かまどの上に並べた。キアランも自分の持つ食料を並べる。
見張り番の鷹の魔法はまだ有効らしく、テントの上の小さな鷹は、そんな二人の様子を首を傾げながら眺めていた。
「僕の旅はね、立派な魔法使いになるための修行の旅なんだ……!」
キアランがなにも尋ねてはいないのに、ルーイが自分の旅について話し始めた。
「そうか……。修行の旅か――」
それで、子どもの身でありながら、危険な一人旅をしているのか、キアランが納得し、そう呟いたときだった。
ピイーッ!
見張りの鷹が、突然鋭く鳴いた。
「なにか、悪いものが近くに来たみたい……!」
ルーイが叫ぶ。
「そうか……!」
見渡す限りの荒れ野。視界を遮る大きなものはない。キアランの目は、異変を捉えられずにいた。
しかし、キアランは腰に差した剣――天風の剣――を構えた。
空に、黒い影が見えた。
「! あれか……!」
黒い影は、まっすぐキアランとルーイのほうへ向かってきていた。
キアランの金の目が、キアラン自身に告げる。
魔の者だ――!
しかし、キアランはそのとき違和感を覚えていた。
だいぶ、距離があった。それなのに、黒い影は尋常ではない速度で狙い定めたようにこちらに向かってきている。
荒れ野の中にいる、人間というか弱い生物。それを素早く自分の獲物として察知したからなのだろうか。しかし、それにしてもこの距離の大きさは不自然だった。
「なぜ……、なぜだ……!? まるで、なにかに引き寄せられるように――」
黒い影は、鳥ではなく大きな翼の生えた獣の姿をしていた。犬のような顔をし、全身黒い毛に覆われている。そして翼の他に、四本の逞しい足が生えていた。獣のような足だが、足先は鳥のようになにかをしっかり掴める形状になっていた。
黒い翼の魔の者が、咆哮をあげる。キアランとルーイを目がけるようにして急降下していた。
それはキアランとルーイ、というより――。
「ルーイ! ルーイに狙いを定めている!」
キアランは、素早くルーイの前に出る。天風の剣を振り上げながら――。
こいつの急所は、首か――!
キアランの金の瞳は、魔の者の急所を捉えていた。
天風の剣は弧を描き、勢いよく魔の者の首を切り裂く。
しかし、魔の者の外皮は固く、手ごたえが鈍い。
「浅いな……!」
鮮血がほとばしる。魔の者は、咆哮を上げながらいったんは離れる。旋回し角度を変え、ふたたび襲いかかってきた。魔の者の長い爪が、キアラン目がけて風を切る。
長い爪の攻撃を避けることは、キアランにとってたやすいことだった。しかし――。
下手に避ければ、すぐ後ろのルーイに、攻撃が当たってしまう――!
キアランは一歩踏み出し、魔の者の前足を斬りつけた。
「ルーイ! 逃げろ! こいつの狙いは、お前だ……!」
「キ、キアラン……!」
ルーイは、その場から動かなかった。と、いうより足が震えて走り出せないようだった。
魔の者の牙が、キアランの頭を噛み砕かんばかりに迫る。
「ちっ……!」
これ以上深く間合いに入って攻撃するには、あの爪が危険だ……。しかし、早くとどめをささないと、ルーイが……!
キアランは、意を決した。
キアランは、ルーイを抱えて逃げるより、この場で決着を付ける方法を選択した。キアランの選択に、ルーイの存在を考慮しない、というものはなかった。
「失せよ……! 魔の者……!」
朝日を受けた天風の剣が、魔の者を貫く。そのまま、キアランは渾身の力を込め、天風の剣を深く突き立て続けた。
そのとき、キアランの背に、激痛が走る。
「うっ……!」
絶命する寸前の魔の者の爪が、キアランの背を引き裂いていた。
「キアランッ……!」
魔の者が大地に崩れ落ちると同時に、キアランも大地に膝をつく。
ルーイが悲鳴を上げる。
血が、流れた。キアランの、背から、足へ。足から、荒れ野へ。血が流れ続けていた。
「大丈夫だ……、ルーイ……。かすり傷だ……」
平静を装うつもりだったが、声が震える。
「大変……! 早く、手当てを……!」
ルーイはキアランの背に手をかざし、呪文を唱えた。それは治療の魔法のようだった。
「ごめん……! ごめんね、キアラン……!」
呪文の合間に、泣きながらルーイは謝り続けた。
「ルーイ……」
キアランは、背中にあたたかいものを感じながら、笑顔を作ろうと試みた。激痛のため、どうしてもうまく笑顔を作れそうもなかったが、なんとか少しだけ微笑みらしい表情を作ることが出来た。
「ルーイ……。私の治療より……、朝ごはんは、大丈夫なのか……?」
「あっ……!」
辺りに、焦げた匂いが漂っていた。
小さな炎でも、さすがにいつかは焦げるものだ――、そんなことをぼんやり考えたのを最後に、キアランは気を失っていた。