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天風の剣  作者: 吉岡果音
第四章 四聖と四天王
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第25話 おにーちゃんも、一緒に

 ルーイは、夢を見ていた。

 白壁の家々に囲まれた、細い路地。住民の気配はなく、ひっそりと静まり返っている。

 夕日の強い日差し。ルーイの後ろには、長い影法師ができていた。


 ここは、どこなんだろう。


 ルーイは思わず自分の胸の辺りに、小さな拳をあてていた。

 知らない町。半分開いた、家の窓をそっと覗く。

 テーブルに乗っているのは、干からびたパン、薄汚れた食器。

 空っぽの椅子。揺れているのは、色あせたカーテンだけ。

 誰もいない。どの家も、誰もいない。


 町の人は、誰もいないんだ……。


 存在するのは、自分ただ一人――。いいようのない不安に襲われる。


 キアランは……? みんなは……?


 きょろきょろと、辺りを見回す。


 カーン、カーン……。


 突然鳴り響く鐘の音に、ルーイはひどく動揺した。


 どうしよう……。ここ、なんだかすごく嫌だ――。


 駆け出したかった。ここから早く逃げ出したかった。でも、足がすくんで体が動かない。どちらに進んでいいかもわからない。

 振り返ると影法師が、白壁を這いあがって伸びていくのが見えた。影法師は、どんどん、どんどん伸びていく。見る間にルーイの背を超え、屋根の近くまで伸びていく。


 怖い……!


 ルーイはついに駆け出した。迷路のような路地をひた走る。


 キアラン……! アマリアおねーさん……! ライネおにーさん……! ダンおにーさん……!


 ルーイは心の中で叫ぶ。声を上げるのもためらわれた。叫んだら、得体のしれないなにかが物陰から襲ってくる、そんな気がした。

 角を曲がる。すると新たな白壁の路地が現れる。鐘の音が響いている。どこまで行っても人の気配がなく、白壁と夕日のオレンジ、黒い影だけの世界。


 魔法……! 魔法だ……! 僕だって、魔法が使えるんだ……!


 ルーイは走りながら、頭の中から適当な呪文を探そうとした。しかし焦れば焦るほど、呪文が出てこない。

 

「おにーちゃん。大丈夫?」


 いつの間にか、女の子がいた。路地の真ん中に立っていた。

 白地に赤と茶色の刺繍の施された、民族衣装に身を包み、にっこりと微笑む女の子は、長いはちみつ色の髪を二つに分け、緩やかな三つ編みにし、赤いリボンで結んでいた。

 肌は蝋のように透き通り、唇は紅を差したように赤く、大きな瞳は、吸い込まれるような美しい紫色をしていた。


 君は……、誰……?


 ルーイは尋ねる。心なしか、声が震えてしまっていた。

 ルーイは不思議に思う。自分より年下に見える小さな女の子なのに、なぜか――、圧倒的な存在感――、今自分は、視線を下に向けているはずなのに、見上げている、そんな奇妙な感覚を覚えていた。

 女の子は、ただ微笑んでいる。


「おにーちゃんも、こっちに来ない……?」


 ざわざわと、総毛立つような感じがした。


「おにーちゃんも、私たちと一緒に……」


 大きな影――、大きな影が見える……!


 ルーイは、後ずさった。女の子の後ろに、大きな影法師があった。先ほど見た、自分の影法師をはるかに超える、長い長い影法師が――。


 カーン。カーン。


 鐘の音は、いつの間にかルーイのすぐそばで鳴り響く。


 カーン。カーン。


 鐘の音が、迫ってくる。


「おにーちゃん……。行こうよ――」


 カーン。カーン。


 女の子が、笑う。

 女の子の手が、鐘の音と共にルーイへと迫る――。


 助けて……! キアラン……!


 ルーイは、大声で叫んだ。

 ハッと、気が付く。

 次の瞬間、ルーイが見たものは見慣れたテントの天井だった。


 夢……。


 びっしょりと、汗をかいていた。心臓が早鐘を打つ。

 体が、重い。鐘の音が、まだ耳に残っている。

 暗闇の中、目が慣れるのに時間がかかった。まだ真夜中のようだった。ルーイは呼吸を整え、おそるおそる首を回し、寝ているキアランのほうを見た。

 意外にも、キアランも目覚めているようだった。


 キアランも、怖い夢でも見たのかな……?


 そんな感じがした。ルーイは、キアランに声をかけるかどうか迷った。本当は自分の見た夢をキアランに伝え、一刻も早く安心し、不気味な夢のことなど忘れて眠りたかったのだが――、迷っているうちに、キアランのほうが先に寝息を立てていた。


 夢だ。ただの、夢だったんだ。


 ルーイも目を閉じた。

 冷静に考えてみれば夢の内容自体は、迷路のような白い路地に夕日が差していたこと、見知らぬ女の子に話しかけられたこと、それだけだったので、それほど怖い夢でもないはずだった。

 それでも、底知れぬ恐ろしさがあった。ルーイ自身もよくわからないが、なにか原始的な恐怖、自分の信じてきた日常を侵食するような、どこか得体の知れない、しかし強烈な恐ろしさがあの夢には感じられた。

 ルーイは、忘れようと思った。

 眠れば忘れる。そう思い目を固くつむったが、眠ろうと努力すればするほど、先ほどの夢が鮮明に頭の中に蘇る。

 他のことを考えよう、そう思うルーイだったが、するりと夢の断片が頭の中に入ってくる。


『おにーちゃんも、こっちに来ない……?』


 女の子はそう言っていた。


『おにーちゃんも、私たちと一緒に……』


 私たち、って、いったい……?


 女の子は、「私たち」と言っていた。


 いったい、なんのことだったんだろう――。


 考えたくないのに、疑問が心に浮かぶ。


 そもそも、あの子は、何者だったんだろう――。


 ただの夢とは思えなかった。


 でも、夢でないとしたら、いったいなんだというのだろう――?


 もう眠れないのではないか、そうルーイがあきらめ始めたころ、体は自然の要求に逆らえなかったようで――、いつの間にかルーイは眠りについていた。




「ルーイ。キアラン。なんだか具合が悪そうだな」


 ライネは、起きてきた二人の顔色がとても悪いことに気付く。


「……悪い夢を見た……。とても悪い夢」


 ルーイとキアランは同時に同じことを言い、驚いて互いの顔を見た。


「やっぱり、キアランも怖い夢を見たんだ」


「キアランもって、ルーイ、お前もか」


「うん……」


 ライネは、じっと二人の顔を見つめる。


「どんな夢か、教えろ」


「え」


 昨晩は夢の話を一刻も早く話して忘れたいと思っていたルーイだったが、なぜか今は違った。


 話したく……、ないな。


 ルーイは黙ってうつむく。


「ちょっと、話したくない」


 そう先に答えたのはルーイではなく、キアランだった。


 え。キアランも……?


 ルーイは驚いてキアランを見上げた。


「すまない」


「そうか。ルーイは……?」


「僕も……」


 ルーイは、自分でもなぜ急に話したくなくなったのか、わからないでいた。

 

 どうしてだろう……。話したほうが、きっとすっきりするのに――。


 ライネは、二人の表情を真剣に見つめ、それから明るい声で切り出した。


「よし! じゃあ、悪夢除けのまじないをしよう!」


「悪夢除け……?」


「ああ! 元気になれるまじないさ!」


 ライネはそう言うと、足元の穂の付いた草を引き抜き、キアランとルーイの頭上で振った。


「心に隠れる不安よ、横たわる悪夢よ、朝の光にとけて消えろ」


 ライネは草を高く振りながら、キアランとルーイの周りを一周する。


「穏やかな眠りを、豊かな眠りを。天の祝福、我は祈ろう」


 ライネの呪文が終わると、なんとなく晴れやかな気分になった。


「どうだ? 少しは気が楽になったか? これは拝み屋に伝わる、悪夢を封じるまじないなんだ」


 キアランとルーイは顔を見合わせた。互いの顔色が、だいぶよくなっていることに気付く。


「ありがとう。ライネ」


「ありがとう! ライネおにーさん!」


「……あんな恐ろしい敵に出会ったんだ。自分では普通のつもりでも、心の中にはいろんなものがのしかかってきていて当然さ――」


「……ライネおにーさんも、怖い夢、見たの……?」


 ルーイが尋ねる。あの夢は、恐怖心が生み出した、ただの悪い夢なのだろうか――。

 ライネは少し斜め上を見た。腕を組んでなにかを考えている。


「……なにも見なかったのか」


 キアランがすかさず尋ねる。


「……覚えてねー」


「……さすがだな」


「どーゆー意味だっ」


 キアランとライネは小突き合い、笑った。ルーイは二人の笑顔を見て、どこかほっとしていた。

 それから、皆で朝食をとった。


「ルーイ君」


 アマリアが、ルーイにそっと声をかけた。


「気になることがあったら――、もちろん、話せることでいいけれど――、いつでも、なんでも話してね」


「……うん」


 ダンも、ルーイに柔らかな笑顔で語りかける。


「男同士のほうがよかったら、私が聞くぞ」


「ダンおにーさん……」


「大丈夫。大丈夫だからな」


 ダンは、分厚い手のひらで、ルーイの頭を優しく撫でた。

 あたためた携行食を、頬張る。顔を上げれば、皆の笑顔が見える。いつもの朝、旅をして、皆と出会ってからのいつもの朝に戻っていた。

 明るい日の光。心地よい風。高い空。今日も晴れそうだった。


 でも――。


 草木のざわめき、ふとよぎる影、曲がり角の見えない向こう――。

 明るい日常のどこにでも、暗い影は落ちている。


 ふふふ……。


 どこからともなく、女の子の笑い声が聞こえてきたような気がした。

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