第23話 ただ借りを返したかっただけ
「さすがに、眠いな。力を使い過ぎた」
シルガーは、けだるそうに長く息を吐き出すと、大地に体を横たわらせた。
「ふふ。倒すなら今だぞ。キアラン」
シルガーは、銀の瞳を閉じた。まったくの無防備な姿だった。
「……いったん体の回復の助けをしておいて、改めて殺すやつがいるか」
キアランはそう答えつつ、ほんとにそうだな、今がチャンスだ、そう思う。
魔の者の中でも大きな力の持ち主のシルガー。急所はわからない。でも、今なら殺せる。たぶん――。
キアランは、立ち尽くしていた。天風の剣を手にすることもなく。
皆のことを助けてくれた礼は述べた。体の修復の手助けもした。借りは返した、もう気がかりはないはずだ。こいつは、私たちや、ルーイたち「四聖」、そして人間にとっては敵――。
風が全身をすり抜けていく。足元の草が、シルガーの長い銀の髪が、風に吹かれるまま踊る。
シルガーは、大きく息を吸い込み、そしてゆっくりと吐き出した。
「さて。帰って寝るとするか――」
シルガーの輪郭がぼやけていく。この場から移動しようとしていた。
「シルガー!」
キアランは叫んでいた。シルガーに、聞きたいことが山ほどあった。
同時に、迷いもあった。知らないほうがいいのではないか――。しかし、なにかに突き動かされるようにキアランは叫ぶ。
「教えてくれ……! 四天王とは、なんだ?」
「これから移動しようとしているときに、訊くか」
シルガーは目を開けた。薄れかけた輪郭が、戻る。
シルガーは、ふっ、と笑う。
「関心を持つのは、いいことだ」
「なに……!?」
予想外のシルガーの返答に、キアランは当惑する。
シルガーは、謎めいた笑みを浮かべる。
「どういう……、意味だ……!」
声が、かすれる。思ったように声が出ない。
シルガーは、細く長い人差し指をキアランに向けた。
「キアラン。お前の秘めた力――」
キアランは、シルガーの次の言葉を待つ。
「それは、おそらく四天王と関係がある」
「…………!」
キアランは、絶句した。自分が恐れていた答えを、シルガーが伝えようとしている――!
「四天王とは、魔の者の中で突出した力を有する特異な存在。四つの頂点といえるだろう」
「私と、四天王との、関係とは――」
シルガーは、じっとキアランの目を見つめた。そして、ゆっくりと言葉を続ける。
「四天王でありながら、人間の娘を愛した者がいる、そんな話を聞いたことがある」
キアランは、雷に打たれたような衝撃を受けた。シルガーの言葉が、深く、重くキアランにのしかかる。
「それでは……!」
「キアラン。焦るな」
「なに……!?」
「私も多くは知らない。正しい情報を、自分で手にしろ――」
シルガーは、キアランの心を見透かすようにして微笑む。
「お前は、危惧しているのだろう」
「…………!」
「あの男が、お前の父かもしれない、と」
キアランの舌は乾いた口の中に張り付いたようになり、なにも言えないでいた。
「だから、ここに戻ってきたのだろう」
「え」
「自分の父かどうか確かめたい、そんな理由でお前はわざわざ引き返してきた」
違う、とキアランは思った。あのとき、キアランの心を占めていたのは、あの四天王とやらが父かどうかという問題ではなかった。
顔も名前もわからない、そんな父親よりも、私は――。
キアランは、急いで首を振った。それ以上、考えるのはやめておくことにした。ただ、借りを返したかっただけだ、それに、あのまま皆を守った形でシルガーが一人犠牲になったのでは寝覚めが悪いから、ただ単純にそれだけなんだ、そう思い直した。
「そして、強いもの、勝者を見極めたいという欲求も、お前を動かした」
違う、とキアランは思った。
シルガーは、誤解している。魔の者と人間の心の違い――、キアランはそれを見たような気がした。
勝者を見極めたい、そんな欲求などない――。
しかし、キアランはあえて黙っていた。ただシルガーが生きていることを願った、そんなことを知ったら、どれほどシルガーがつけあがるかわからない、そう考えたからだ。もっとも、それも「人間の考えかた」に過ぎないのだが。
シルガーは、ゆっくりと言葉を続ける。
「あの男は、お前の父であるかもしれないし、そうではないのかもしれない」
「どういう、ことだ……!?」
「……私が思うに、あれは――」
キアランは、シルガーの言葉を、一言も漏らすまいと耳を傾けた。
突然、シルガーは大声を放つ。
「ああ! だめだ!」
え……?
固唾をのんで見守っていたキアランだったが、次の瞬間、耳に入ったのはシルガーの大きなあくびだった。
「まったく、眠いな……!」
キアランは、当惑した。
眠い……、だと……!?
怒りを覚えた。
ここまで話して、ここにきて、眠い、とは……!
キアランは自分勝手だとは思いながらも苛立つ。
キアランの苛立ちを知ってか知らずか、シルガーは淡々と続ける。
「このままいては、ここで長い睡眠に移行してしまう。私は、もう、戻る」
「シルガー、待て……! 教えてくれ! お前が今、思っていることを……!」
シルガーは、笑う。
「今、思うのは眠いということだ」
「そうじゃなくて――」
シルガーは愉快そうに笑い、片手を上げ、キアランを制した。
「焦っても正しい答え、正しい情報は得られんぞ――」
シルガーの輪郭が、ふたたびぼやけ始めた。
「待ってくれ……! 一言、一言でいいから、教えてくれ……!」
「四天王は、四聖とは違う」
「え」
「四天王の座には、二つの道があるのだ」
シルガーはそれだけ告げると、黙ってキアランを見据える。そして、中指と人差し指だけ揃えて伸ばし、顔に近付けて一回だけ振った。
その仕草の、意味は……?
キアランは、シルガーがなにかのまじないをしているのかと思った。
「では――。お休み。キアラン。しばらく会えないと思うが、寂しがるなよ」
は……!?
キアランの予想に反し、それは、ただの軽い挨拶だった。
ざあっ……!
「うっ……!」
渦を巻くように、強い風が吹いた。思わずキアランは目を閉じる。
キアランがふたたび目を開けると、そこにはもうシルガーの姿はなかった。
「シルガー!」
キアランは、叫んだ。見渡す限りの荒野で。思いのたけを、叫んだ。
「挨拶、いるか……!?」
あの挨拶をする時間があるんだったら、もっと重要なことを色々言えたのではないか、そうキアランは考える。
「誰が寂しがるかっ……!」
シルガーは、キアランの要求通りちゃんと一言だけ教えていたわけだが、キアランは納得がいかない。
「なあ! フェリックス!」
キアランは傍に来たフェリックスに問いかけていた。
フェリックスは、ただ不思議そうに首をかしげていた。
「キアラン……!」
キアランは、皆と合流した。
「心配してたんだよ……! また一人でどこかへ行っちゃうんだもん……!」
キアランの姿を認めるや否や、ルーイが抱きついてきた。
「大丈夫だ。ルーイが心配してくれてるってこと、わかってるって言っただろう? 私も、無茶はしない」
「あの魔の者は? シルガーは?」
「……どちらも生きている。そして、どちらも激しく消耗しているようだ。どちらもしばらくは襲ってこないだろう」
皆、顔を見合わせた。そして、厳しい表情のまま、黙り込んだ。当面は安全でも、それがいつまで続くかはわからない。
「……アマリアさん。ダンさん。四天王について、知っていることを教えてくれ――」
日が落ちる。
暗い森の中で、アマリアは語り始めた。




