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天風の剣  作者: 吉岡果音
第三章 新しい仲間、そして……。
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第22話 挨拶と礼

 太陽を背にし、空に立つ、異形の者。

 背には、大きな四枚の漆黒の翼――。

 空のキャンバスに描かれた不吉な影、圧倒的な存在感だった。


 あの男が、私の――。


 キアランは、自分の本当の両親についてなにも知らない。

 しかし、シルガーの言葉や自分の右目の金色、そして魔の者に対する感覚――キアランにとって、さほど強くない魔の者相手なら、相手の急所を感じ取ることができるという特殊な能力――から、父か母、どちらかが魔の者であるという恐ろしい現実を、キアランは受け入れざるをえなかった。

 今、キアランの前に現れたのは、金の瞳の、翼のある魔の者。


『キアラン。あなたは、翼を持つひとから私に託されたのです』


 育ての母が、亡くなる前に残した言葉。キアランは、「天風の剣」と共に託されたのだという。


 あの男は、「天風の剣」を知っている……!


 心臓が早鐘を打つ。キアランは、痺れたような頭を振り、冷静さを取り戻そうとした。


 落ち着け……! 呪術師を装った魔の者も、「天風の剣」を知っていたではないか……!


 金の瞳であるから、翼があるから、「天風の剣」を知っているからといって、あの男が自分の父親であるとは限らない、そうキアランは考え直す。

 

 それに、今はそんなことを考えている場合ではない……!


 キアランは、上空後方にいる魔の者に伸ばしていた意識を、現在の自分、生きて活動している自分の肉体の中心――つまり、通常の状態――に戻す。


「みんな! 魔の者は上空後方にいる!」


 キアランは、フェリックスを走らせながら叫んだ。


「えっ……! あっ……!」


 皆、息をのんだ。意識をそちらに向け、初めてその存在に気が付いたようだった。


「あれほどの強さの魔の気を、今までまったく気付かねえとは……!」


 ライネは舌打ちし、朱の染料で目のような模様の描かれた右手のひらを、上空へ向けた。


「清浄なる青の大気、見えなき屋根となりて魔の力より我らを守りたまえ……!」


 ライネの呪文に、ダンとアマリアが重ねるように呪文を唱えた。


「清き風、我らに守りを……!」


「光よ、風よ、我らに聖なる加護を授けたまえ……!」


 キアランの意識が、魔の者の動きをとらえていた。

 皆が呪文を唱え始めたそのとき、魔の者は右手をゆっくりと上にあげていた。

 それは優雅で、美しい動きだった。


 いけない……!


 キアランは悟った。そのしなやかな筋肉の長い腕が振り下ろされたとき、先ほどのような凄まじい一撃が落ちてくると――。

 閃光。

 キアランは、皆の防御の魔法に魔の者の稲妻のような一撃が激突した瞬間、激しい衝撃を覚悟した。

 すさまじい音。そして、肌に感じるなにか、圧力のようなもの。

 しかし、それは一瞬だった。


 え……。


 キアランは、なにが起こったのか理解できないでいた。

 キアランの耳に届くのは、馬たちの蹄の音。

 衝撃で弾き飛ばされることも、馬たちがバランスを崩すこともなかった。

 フェリックスたちは変わらず疾走し続けていた。

 地面にも、変化はない。先ほどのような穴はどこにもできていないようだった。

 変化といえば――、目の前に、キラキラとした金の輝きがいくつも落ちてきていた。


 これは……!


 まるで雪のように降る、火花のような輝き。


 いったい、なにがどうなって――。


「助かった、の……? でも、あの凄まじい攻撃を、どうやって――」


 アマリアが、戸惑いの声をあげていた。どうやら、皆で力を合わせたが、人間の魔法の力では、ここまで防ぎきれないはず、そのような疑問を持っているようだった。


「キアラン! これはずいぶんと大物を釣り上げたな……!」


 聞き慣れた、声がした。


 この声は……!


「シルガー!」


 キアランは、宙に浮かぶシルガーの姿を認めた。

 銀の長い髪をなびかせ、シルガーは腕を組んで空に立つ。

 

「なんだって……! 今度はシルガーか!」


 ライネが叫ぶ。

 シルガーは、皆の前方にいた。


 ガガガガガッ!


 馬たちは勢いそのまま、シルガーをよけて走り抜けた。全員、シルガーの脇を通り抜けた。


「おや。助太刀してやったのに、挨拶抜きか」


 意図したわけではなかったが、現れた場所が場所なだけに、全員シルガーを無視して通り過ぎることになってしまった。


「そんなとこに突然いるからだっ!」


 キアランはシルガーのほうを振り返りながら叫び、そして気付く。シルガーがなんらかの力を行使したから、我々は無事だったのだと――。

 シルガーは、ふっ、と笑った。


「まあいい……! 行け……! 私の関心は、今あの男にある……!」


 シルガーは、両手を天に掲げた。


 ドーン……!


「うっ……!」


 爆音と、衝撃。風圧で、馬ごと吹き飛ばされそうになる。それぞれが手綱を繰り、なんとか体勢を整える。


「シルガー!」


 土煙で、なにが起こったのかわからない。


「覚悟せよ! 四天王……!」


 シルガーの声が聞こえた。

 四天王、そうシルガーは叫んでいた。


 四天王、とは……?


 また爆発音。


「皆……! 無事かっ!」


 全員、無事だった。少し離れたせいか、感じる衝撃はかなり減っていた。

 馬たちは走る。全速力で駆け抜けていく。

 キアランは前傾姿勢を取りながら、思いを巡らせた。


 シルガーは、なぜ、助けてくれたのだ……?


 関心は、あの男にある、シルガーはそう言っていた。


 シルガーは、強いものと戦うことに喜びを感じているようだった。あれは、私たちを助けたのではない……。あれは単純に、私たちより強い、面白い対戦相手を見つけたから、やってきただけなのだ――。


 爆発音が聞こえる。四枚の翼を持つ魔の者と、シルガーが激しい戦いを繰り広げている。

 魔の者同士の戦い。自分たちとはまったく関係のない魔の者の戦いへの欲望に、たまたま救われたのだ、そうキアランは思う。

 大地を貫く雷のような音が聞こえる。

 このチャンスに、できるだけ遠くに行かなければ、キアランは思う。当然のことながら、皆も思いは一緒である。

 遠ざかる、衝撃音。

 一足ごとに、危険から遠ざかる。ふと、キアランは思い出す。


 まったく……。魔の者のくせに、挨拶に、こだわるやつだな。


 皆でシルガーを無視して通り抜けた様は、滑稽だと思った。


 礼とか、挨拶とか。妙に人間みたいなことを言う――。


 今は逃げ切ることに集中しなければならないのに、なぜ、シルガーのことを考えるのだろう、ふとキアランは不思議に思う。四枚の翼の魔の者とシルガーが戦っている隙に、逃げ切る。当然の行動だ。しかし――、どこかキアランの中に割り切れない思いがあった。


『まあいい……! 行け……!』


 動機や理由がどうあれ、シルガーはキアランたちを逃してくれた。


『次に会うときを、楽しみにしているぞ――』


 冗談じゃない、と思った。勝手に楽しみにするな、そう思った。二度と会わなくてもいい、そうキアランは思っていた。

 四天王。シルガーは、四枚の翼を持つ魔の者に対し、そのように叫んでいた。四天王と呼ばれる魔の者。ということは、あの男は魔の者の中でも傑出して強いということなのではないか。


『それから、人間の中に『四聖(よんせい)』や『四聖(よんせい)を守護する者』がいるのと同じように、高次の存在の中にも特殊な存在、そして魔の者の中にも同じように特殊な存在が生まれます』


 アマリアの言葉を、キアランは思い出す。そして考える。


 それなら、その「四天王」と呼ばれるものが魔の者の中の「四聖(よんせい)」のような存在なのではないか。


 自分たちを殺そうとし、キアランに使い魔を植え付けたシルガー。

 倒すべき敵――。


『私に、お礼の言葉はないのか?』


 風にそよぐ銀の髪。


 シルガー!


 キアランは、心の中でシルガーの名を叫んでいた。




 馬は、走り続けた。

 太陽が真上にくるころ、山の中で休憩をとることにした。


「ここは、生命力あふれる豊かな山です。自然の中でもここはとりわけ、魔の者から身を隠すのにちょうどいい、よい『気』に満ちた場所だと感じます。ここで、少し休みましょう」


 アマリアは休むことを提案し、バームスの背から降りた。

 キアランは、ずっと同じことを考えていた。

 どうしてかはわからない。ただ、同じことを――。

 ためらいがちに、口を開く。


「みんな……。すまない」


「え? なにがです……?」


 思いがけないキアランの謝罪の言葉に、皆なんのことかわからずきょとんとした。


「ちょっと、気になることがある」


「え……?」


「必ず戻るから――」


「キアラン!?」


 キアランは、フェリックスを走らせ、来た道を戻っていた。

 自分でも、愚かだと思った。

 わざわざ戻る必要はないと。

 戻って、自分になにができるのか。

 キアランは自問する。

 自分でも、よくわからない。よくわからないが、今戻らないと絶対に後悔する、そう感じていた。

 炎のトカゲは、そのままだった。しかし、それがシルガーの現状と関係あるかどうかはわからない。


 シルガー!


 四枚の翼の魔の者が父かどうかより、シルガーの安否のほうが気がかりだった。

 荒れ果てた大地。そこは、想像以上に破壊の爪痕が大きく残されていた。


「シルガー!」


 キアランは、愕然とし大地に膝をつけた。

 そこには、大量の血と、切り離された頭、胴、手足があった。それは、紛れもなくシルガーの――。


「シルガー! お前……、バカか……!」


 キアランは、震える手でシルガーの頭を抱き上げた。


「戦いを挑まなければ、こんなことには……!」


 無残な姿とは裏腹に、それは、変わらぬきれいな顔をしていた。

 キアランの頬を、涙が流れ落ちる。


「……バカは、お前だ」


 ん……?


 キアランの涙が止まる。

 切り離された頭が、言葉を発していた。


「何年、魔の者と戦っているんだ。魔の者が、急所をやられない限り死なないってこと、忘れたのか」


「お前……! なんてしぶといやつだ!」


 キアランは思わず頭を放り投げそうになった。


「ほんと、失礼なやつだな」


「心配して、損した……!」


「心配……? この私に心配か……! 笑わせてくれるな、キアラン!」


 シルガーは、高笑いした。キアランは、なんだこいつ、と思った。心底、心配して損したと思った。


「まあ、怪我の程度でいえば、今回は負けだがな……。でも、やつにもかなりの傷を負わせたぞ。やつも回復には時間がかかるはずだ」


「やつは……!」


「当分、傷の修復に専念するだろうな」


「そうか……」


「私も、傷の修復に専念する。お前、どでかいやつを引き付けるのはいいが、今度はしばらく後にしろよ。さすがの私も時間が欲しい」


 そう言うと、シルガーはキアランに頭と胴と手足をもっと近付けるように指示した。キアランは一瞬だけあべこべに並べてやろうかなと思ったが、言われた通り並べる。

 傷口から白いものが伸びてきて、シルガーの体は結合し始めた。


「……気味が悪いな」


「お前は本当に失礼なやつだな」


「感じたまま述べただけだ」


「それが失礼と言うのだ。まあいい。助かった。キアラン。ありがとう」


 シルガーは起き上がり、首を回した。まだ少し違和感があるようで、少々ぎこちない。

 銀の長い髪が、風に揺れる――。


「……シルガー」


「ん? まだなにか無礼を言うつもりか」


「……ありがとう」


 キアランは、礼を述べた。


「……ぎこちない言いかただな」

 

 シルガーは、笑った。少し動きが変だったが、人間のような微笑みだった。

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