第193話 自分の中の名前も付けられない感情
雪嵐の吹き荒れる夜空を、幾筋もの光が突き抜けていく。
四天王シトリンと、四天王オニキスが互いをめがけ、衝撃波を放っていた。
キアランは蒼井の盾を掲げ、花紺青の操るシラカバの幹に乗り、オニキスへと突き進む。
キアランを取り巻く、轟音と、光、そして熱。
洞窟の中より、凄まじいエネルギー……!
シトリンとオニキス、洞窟の中では、あれでもやはり互いに威力を抑えていたのだ、キアランは改めて四天王の力の恐ろしさを知る。
オニキスは、高次の存在の力を取りこみ、以前より格段に強くなっている。しかし、シトリン……。彼女も、前より力が増している……?
高次の存在の癒しの力と睡眠、そして、今までの度重なる戦闘の経験。幼い子どもの姿であることからしても、シトリンは短時間で目覚ましく成長しているのではないか、キアランは驚きを持ってシトリンを見つめる。
そんなキアランの視線に気付いたのか、シトリンは、一度、キアランと花紺青のほうに視線を送る。そして、微笑み、かすかにうなずくような合図を送っていた。
シトリン……?
すぐさま、シトリンはその場から飛び立つ。そして素早く上昇しながら、オニキスに向け、新たな衝撃波を撃つ。
キアランは即座に、シトリンの送った合図の意味を理解した。
シトリンは、私と花紺青の力を信頼しているのだ……!
あの合図には、たとえキアランと花紺青が戦闘の中、危険な位置に立たされたとしても、躊躇はしない、そんな意味が込められていたのだ、とキアランは思う。
『キアランおにーちゃんと花紺青おにーちゃん。それからもちろん、翠と蒼井。みんな、信じてるよ。みんな、ちゃんと強いもん。だから、私はオニキスの戦いに全力で挑む』
シトリンの声が、聞こえたような気がした。
激しい破壊エネルギーに満ちた空間、まるで燃え盛る炎の中を進んでいくよう。
オニキス……! 父と母の仇……!
もう少し、もう少しだ、とキアランは思った。もう少し、オニキスとの距離が近付いたとき、攻撃のチャンスだ、キアランは考えていた。
それは、おそらく偶然だったのかもしれない。
地上での激闘が続く中、黒裂丸か赤朽葉、またはシルガーか翠か蒼井、魔の者のうちの誰かの撃った衝撃波が、見当外れの方角へと空を斬り裂く。
オニキスめがけてでもシトリンめがけてでもなく、または狙いの照準があきらかにキアランと花紺青でもなく、誰にも当たらない角度で飛んで行き、消え去っていく破壊エネルギー。
しかし、一番近かったオニキスが、ほとんど反射的に地上へと意識を向ける。
「赤目……!」
オニキスは、呟いていた。確かに、赤目、と。
「あか、め……?」
キアランは、なんのことか、誰のことかわからない。
オニキスの表情が、変わっていた。
地上へ向け、急降下するオニキス。
「あっ、オニキス! 相手は私でしょ!」
早口で叫ぶシトリン。オニキスはシトリンより下方にいて、どの地点に向かおうとしているかわからないが、地上へ急降下しているため、うかつに衝撃波を撃つわけにもいかない。今オニキスに衝撃波を当てようと思ったら、地上に被害が出る可能性が高い。シトリンは、ただオニキスを追う。
キアランは、息を深く吸い込む。そして、集中し、渾身の力を込め――。
炎の、剣……!
キアランは、体内に隠し持っていた、炎の剣をオニキスに向け、投げつけていた。あのときの、青藍との戦いのように。
ドッ、と鈍い音を立て、オニキスの背に、炎の剣が突き刺さる。たちまち、噴き上がる血。
オニキスは、一瞬キアランに視線を走らせたが、すぐに地上へ顔を向けていた。
浅かったか……!
キアランは舌打ちする。炎の剣は、オニキスの背から抜け、まるで自分の意思のようにキアランの体の中へ戻っていく。
それにしても、と思う。
オニキスは、なにを……?
キアランと花紺青も風を切り、オニキスを追って地上へと向かう。
赤朽葉は、当惑していた。
三つに分かれた自分のうちの、一体の前、目の前に黒髪の四天王――オニキス――が降り立っていた。
どういうわけか、黒髪の四天王も戸惑っているようだった。
「赤目……、赤目じゃ、ない……?」
黒髪の四天王、オニキスが、震える声で呟く。
赤目、赤目、だと……!?
この目の前の四天王は、赤朽葉の双子の兄弟である赤目の名を口にしている。赤朽葉にとって、これはまったく思いもよらないことだった。
三つに分かれた赤朽葉だが、それぞれが自分であり、ひとつひとつが本体であった。
そのとき三体になった赤朽葉は、それぞれ、四天王シルガー、そして従者の白銀、黒羽と戦っていた。
赤朽葉は、思わずオニキスに尋ねた。
「赤目を、知っているのか……!」
オニキスの顔に、落胆の色がよぎる。
「『赤目を知っている?』、そう尋ねるということは、やはり、赤目ではないのか」
四天王が、従者である赤目を知っている、その事実から赤朽葉はこの四天王と赤目の関係性を推察する。
赤目……。あいつは私と違って、従者という運命を、喜びを持って心から肯定していた。そんな赤目の名を知っているということは――。
「黒髪の四天王。お前は、もしかして、赤目の仕えた主人――」
だから、なんだというのだろう、赤朽葉は思う。
自分の兄弟の仕えた主人がいる、だからといって、自分にとってはなんの関係もない話だと思った。
「そうか……。探しても気配はどこにもなかった。やはり赤目のはずは、ない――」
ぽつり、とオニキスは呟いた。
赤朽葉は思う。自分は今、戦闘の中にいる。必要のない会話。関係もない話。魔の者にとって、なんの意味もない時間。
でもこれはいったい、どうしたことだろう。
目の前の男。圧倒的な力を持つ、四天王たる者。でも――、魔の者として、不可解な眼差し、戦闘とは程遠い表情。
ありえない、と思った。
まるで、ひどく落胆し、哀しみをたたえたような瞳――。
そして、どうしてだろう。自分と戦っているはずの、シルガー、白銀、黒羽とかいう連中。やつらも、攻撃を止め、こちらをうかがっているような様子なのは、と不思議に思う。
負傷し、苦肉の策として三つの体に力を分けた赤朽葉。他の四天王が現れた今、シルガーにとって自分を倒すには絶好の機会のはず。
まるで、時間が止まっているようじゃないか。
赤朽葉は、狼狽する。離れたところで、黒裂丸のやつは、まだ取り立てて成果はないようだったが、相変わらず縦横無尽に暴れまわっている。それなのに、自分は――。
「赤目は、私の兄弟だ。双子の」
どういうわけか、オニキスに、自分について、身の上について打ち明けていた。
そんなことは、魔の者にとって、なんの意味も持たない。いわば、どうでもいい情報――。
「そうか」
オニキスは、かすかにうなずく。
赤朽葉の口から、自然と問いがこぼれていた。
「赤目は、従者である自分に、強い誇りを持っていた。今、姿が見えないということは――」
どうしてだろう、なぜそんなことを尋ねるのだろう。自分は。
赤朽葉は、自分で自分の心の動きを、疑問に思う。
「おそらく、命を落とした」
オニキスの表情から、もう感情は読み取れない。ただ淡々と、答えていた。
「そうか――」
赤朽葉は、オニキスの答えを静かに受け止めた。
「だろうな。生きていたら、今、ここにいるはずで、そして、邪魔者となる私と戦っているだろうから」
どうしてだろう、赤朽葉の口から、次々と言葉があふれていく。
「四天王に仕えて死ぬ。やつにとって、天命を全うする、恵まれた『生』だったのだろうな――」
オニキスは、驚いた顔をした、ように見えた。
「そうなのだろうか」
雪風に流れる黒髪。
赤朽葉は、肯定するわけでもなく言葉を撤回するわけでもなく、ただぼんやりとオニキスを見上げる。
衝撃音が聞こえる。黒裂丸の、攻撃なのか防御なのか、飛び上がる姿が一瞬視界に入る。黒裂丸は、戦闘を楽しんでいるのかもしれない。
不思議な時間だった。
空の窓が開く、神秘の時間がすぐそこに迫る。
そんなときだから、特別なときだから。
魔の者という存在においても、勝手に意思を持つ手に負えない空白のような、消化できないまま心に長く居座り続けるような、奇妙な重みをもつひとときが生じたのかもしれない。
赤目の生きた証を、知ることができた。
狼の姿の赤朽葉は、自分でも気付かず、哀しみと喜び、二つの感情が入り混じったような笑みを浮かべていた。
そうして、自分の中の名前も付けられない感情を、ただ静かに受け止めていた。




