第186話 この瞬間のために
四聖、それは次の世界へと繋ぐ希望。
四聖と呼ばれる、ルーイ、フレヤ、ユリアナ、ニイロの四名は、呆然と立ち尽くす。
「え、僕たちは……?」
ルーイは、おそるおそる辺りを見渡した。
一面の雪景色と吹雪。岩壁はまったく見えず、いつの間にか、洞窟からだいぶ離れた場所に来たようだった。
自分たち四聖の他には、上層部とされる魔導士たち五人がいた。
ルーイは記憶をたどる。
上層部の魔導士たちの誘導で、皆一緒に洞窟の外を目指していたはずだった。上層部の魔導士たちは、洞窟の出口で大きな魔法陣を作っていた。
前に教えてもらった、召喚の魔法みたいなやつだった。でも、それとは全然違う。そして、ええと、急に七色の光が、ぴかぴか、って――。
七色の光が輝いたと思った瞬間、ルーイは気を失った。しかし、今自分が確かに雪原の中を立っているところをみると、立ったまま気を失い、不思議なことに倒れもせず、そのままの状態でいたようだ。
フレヤもユリアナもニイロも、戸惑っているようで、ルーイ同様なにが起こったのか、まったく理解していない様子だった。
五人の魔導士たちは、手にした小瓶を振り、口々に呪文を唱えている。
すると、冷たい雪風が感じられなくなった。まるで、建物の中にいるようで、雪や風は、見えない壁に遮られているようだった。
ユリアナが、一人の魔導士に尋ねていた。
「導者様、導者様のお姿が見えないのですが……? ついさっき、出口までご一緒だったはずですが。導者様は、いったい、どうなされたのです……?」
魔導士は、ユリアナの質問に答えず、ただうなずき、
「四聖の皆様がた。一時的な魔法の壁を作りました。さあ、聖なる祈りの続きを」
と、おごそかな様子で述べた。他の魔導士たちも、ルーイたちに向かって、言葉を掛ける。それは、降り注ぐ魔法の呪文のようだった。
「祈りを」
「祈りを続けてください」
「祈りを絶やさず、空に聖なる祈りを届けるのです――」
頭の中に、重みを持って響いてくるような魔導士たちの不思議な声。繰り返し、ただ祈りを続けるよう要求する。魔導士たちの声が、重なり合い、響き合い、頭を支配していく――。
ルーイは、ふたたび祈りに没頭した。他のことはなにも考えられず、ただ操られたように祈っていた。今まで一緒にいた導者様がいない、そんな大切な疑問すら、心の中から消え失せてしまっていた。
フレヤたちも、同じ様子だった。
ああ。 僕たちの祈りが、空に昇っていくんだ――。
四聖たちは、透明な祈りの檻の中に閉じ込められてしまっていた。
夢の中にいるようだった。
そのときルーイたちは、洞窟の結界の中ほど完ぺきな状態ではないが、外部の情報や刺激に対する感覚が、いちじるしく低下していた。
ルーイは、魔導士たちの叫び声を聞いたような気がした。
ええと。みんななにか叫んでる。なんだろう。
『魔の者が来た』
まのものが……? きた。
音として入ってきたが、まるで知らない言葉を聞いているようで、そのときのルーイは、言葉の意味がよくわからなかった。
魔導士の一人が叫ぶ。
『赤い狼……!』
あかい、おおかみ……?
赤い狼が来ているようだった。言われてみれば、大きななにかがものすごい勢いで近付いてきている。
『くそっ、なんとか、しのぐのだ! もうすぐ、空の窓が開くはずだ』
おおかみがくると、さわがなくちゃならないんだっけ?
そういえば、そんな気もする、ぼんやりと、ルーイは思った。
呪文を唱える、大人たち。周囲の景色が、明滅する。大きな音もする。
『落ち着け、相手は四天王ではない! きっと、我らの力だけでも――』
呪文と、光。しかし狼は、速度を落とすことなく、こちらに向かってくる。
ルーイのそばにいた、一人の魔導士が叫んでいた。
『なにをするっ』
ルーイは、ぼうっとしたまま、そちらを見る。
ニイロが、なにかをしたようだった。
『ちょっと借りる』
ニイロは、魔法の杖を手にしていた。
『お前、我らの術が――』
驚いたような魔導士の声。よほど驚いているのか、魔法の杖を取り返そうとするのも忘れている。
『大丈夫だ、ちゃんと祈ってる。今も』
しかし、他の魔導士たちは、ニイロやルーイ、その魔導士から少し離れた前方にいたせいもあり、ニイロの動きには気付かず、赤い狼の魔の者に意識を向けていた。
最前に立つ魔導士が叫ぶ。
『その瞬間さえ過ぎれば、我らは逃げ出せばいい! やつの狙いは四聖だけだ!』
ええと、よんせい。なんだっけ、それ。
思い出せないが、とても大切なことのような気がしていた。
『やつも、四聖の力が欲しいはず……! おそらく、衝撃波は撃ってこない』
『やつが欲するのは、四聖の力――』
急に、腕を掴まれた。そして腕を掴んだ誰かに、強引に引っ張られる。
ルーイはぼんやりとした頭のまま、嫌だな、と思った。
え。なに。ぼくは、いのるのに、いそがしいんだよ。
他の誰かが、叫んだ。
『なにをするんだ』
もう一人が叫ぶ、
『自分だけ、助かる気か』
ルーイを引っ張る誰かが、叫ぶ。
『世界が魔の者に支配されてもいい! 自分たちの命がなくなっては、元も子もない! こいつを餌にして、その間に――』
ドッ……。
ルーイの顔に、熱いなにかが降り注ぐ。
『愚か者め』
ルーイはぽかんとした。
そのときのルーイは、何が起こったのか理解できなかった。
魔導士たちの術が解けたあと、はじめてルーイは知ることになる。
魔導士たちは、遠隔移動の魔法を実行するために、導者様の命を奪ったということ。
そして、遠隔移動の魔法で移動した自分たちが、赤い狼、赤朽葉という名の従者の近くに偶然来てしまっていたのだということ。
それから、魔導士の一人が、自分を赤朽葉に投げ渡し、自分たちが逃げる時間を作ろうとしていたのだ、と。
そして――、上層部の魔導士の中の、一番権威あるとおぼしき者が、その魔導士を粛清したのだ、と。
ルーイが浴びたのは、裏切り者の魔導士の血だった。
ニイロは、自分が夢の中にいるように感じていた。
祈りを続けていた。
しかし、反発している自分もいた。
言われるまま、ただ操られるままというのは納得がいかない。
驚異的な精神力だった。催眠状態のように操られ、祈りながらも、同時に自分の意識をかろうじて保っていた。
あれは、魔の者じゃないか。
魔の者、しかも従者クラスの強いやつだ、と感じていた。
魔導士たちは、口々に攻撃呪文を唱えているようだった。
ニイロの体が、自然に動いていた。
ずっと、鍛錬していた。たった一人で、ひたすらに。それは、魔の者と戦うため。
だから、体が動いた。
『なにをするっ』
ニイロは、近くにいた魔導士の手から、魔法の杖を奪い取る。
「ちょっと、借りる」
借りるだけだから、とニイロは魔導士に背を向ける。
心配するな、ちゃんと祈っている。それはお前らの術のせいじゃない。俺の、四聖として生まれた、俺の意思で!
ニイロは、オリヴィアの言葉を思い出す。
『僧侶様のおっしゃった通り、心を乱してはいけません。すべて、うまくいきます。だから、ご自身の心と体を整える、今日はそれだけを考えるのです』
オリヴィアさんは、心と体を整えることだけに専念しろとおっしゃった。でも、魔導士たちの魔法で仕留められないなら――。
駆け出していた。魔導士は、ニイロを止めるために、急ぎ呪文を唱えようとした。しかし、そのときルーイと他の魔導士の間でなにかが起きたようで、そちらに気を取られ、呪文は途切れる。
俺が、戦うしかない……!
今、皆を守れるのは自分しかいないと思った。
祈り続けながら、ふと思う。
俺が四聖として生まれたのは、この瞬間のためなのかもしれない――。
魔法の杖を握りしめる。剣のように。
俺が戦い、守り、そして生き抜く。それが俺の使命……!
迫りくる、赤い狼。
後ろが、騒がしい。
『愚か者め』
最初、自分に対する声かと思ったが、どうも違うらしい。魔導士たちは、混乱の中にいるようだった。
「見つけたぞ、四聖……! まさか、四聖のほうから、近くに来るとはな。そのうえ、四聖自ら戦おうとするか……!」
赤い狼が、叫ぶ。
「心意気は買ってやる。しかし、そのような、木の棒で、なにができる――」
赤い狼が、飛び掛かる――。
瞬間。ニイロの視界を遮る、銀の色。
え。空から――。
「確かに、木の棒は、無謀すぎるぞ。ニイロ」
ふっ、と笑い、振り返る姿。
シルガーが、ニイロの前に立っていた。




