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天風の剣  作者: 吉岡果音
第十章 空の窓、そしてそれぞれの朝へ
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第184話 護る魔法、縛る魔法、そして魔法のような力

 魔導士オリヴィアと(みどり)は、麻布の結界の向こう側へと足を踏み入れる。

 四聖(よんせい)たちのいる、結界の向こう。濃密な魔法と芳香に閉ざされた空間。

 そう、そこは「閉ざされている」、はずだった。


「え……!」


 オリヴィアは、言葉を失う。


「誰も、いないぞ」


 驚き目を見張るオリヴィアの代わりに、(みどり)が目にしたままの情報を口にする。

 揺れるろうそくの明かりの中には、誰もいなかった。


 ユリアナ様……! ルーイ、フレヤ、ニイロ……!


 祈り続けているはずの四聖(よんせい)たち、そして彼らを見守り、四聖(よんせい)たちの祈りを補佐する役割の、僧の姿もない。


「洞窟の崩落の危険を察し、ここを脱出したのね……!」


 結界は、今も完璧に機能している、オリヴィアの感覚は、そう判断していた。


 結界としての作用はそのままだし、魔の者の気配も形跡もない。ということは、誰かの誘導で、彼らはここを出た――。


 確かに、この場所には最後の手段として、外に通じる抜け道が作ってあった。

 しかし、四聖(よんせい)たちの判断、四聖(よんせい)たちを見守る年老いた高僧の誘導ではないはずだった。

 なぜなら、ここは外界の情報から遮断された空間、そして強い魔法を受けた彼ら。洞窟の揺れや音など五感に訴えかける刺激も、魔の者の強い気配も、わからないような強力な術がかけられていたはずだからである。

 たとえ洞窟の天井や岩壁が崩れ、落ちた岩が体に当たったとしても、侵入した魔の者に襲われ傷を負ったとしても、魔法をかけられた彼らが気付くことはないはずだった。

 最悪の場合、祈りの中、自分を守ることさえできず、命を落としてしまう、非常に危険な魔法だった。

 長い時の中受け継がれてきた、四聖(よんせい)を護るための魔法は、同時に魂を強力に縛る、恐ろしい魔法でもあった。

 オリヴィアは、なかば呆然と呟く。

 

「麻布の封印魔法の外から入った者しか、彼らを連れ出せないはず――」


「誰が連れ出したんだ」


 オリヴィアの思考は、ひとつの結論を導き出す。

 

 魔法が破られていないとすると、考えられる者は、この結界の内容を理解している誰か。魔法を熟知し、高度な魔法を操れる者たち。


「守護軍の上層部の誰か。もしくは、複数――」


 (みどり)は、不思議そうにオリヴィアを見つめた。


「お前らの味方か。それならよかったじゃないか。なにをそんなに――」


 (みどり)が怪訝そうに尋ねるほど、オリヴィアは自分では気付かず深刻な表情をしていたらしい。


「いえ――。私には、彼らの動きがわからない。彼らの思惑が見えない。それが、不安なのです」


 四聖(よんせい)たちを結界の外へ誘導するのは、麻布の結界近くを守る者に限られるとされていた。つまり本当に最後の手段、非常事態のみということのはずだった。


 確かに、今はもうすでに、非常事態に突入している。でも、上層部の誰かが入ったのは、それより前。いったいいつ、そしてどういう考えで――。


「とにかく、一刻も早く四聖(よんせい)を探さなくては――!」


 オリヴィアは、ぎゅっと拳を握りしめ、それから自分の不安な気持ちを振り払うように、四聖(よんせい)たちが通ったはずの、隠れた通路へと進む。


「お前は、人間たちの群れの中のボスじゃなかったのか」


 オリヴィアの背に、(みどり)が率直な疑問を投げかける。

 オリヴィアは魔法の明かりを灯しながら、凍った岩と岩の隙間の、細い通路を先に行く。


「私は、ここではなんの権限もないわ」


「お前は強い。魔の者からしても、興味深い存在。そんなお前が?」


「……人間にとって、戦闘の中であっても、集団の中での位置づけは、強さによるものであるとは限らないわ」


「非合理的だな」


「人間って、非合理的な生き物なのよ」


 ふむ、と(みどり)は首を傾げたようだった。


「人間とは、もっと統率のとれたものと思っていたが」


「……残念ながら、そうではないわ」


「うまく群れているようだが?」


 狭く、ひんやりとした岩壁。オニキスやシトリンたちの激闘のため、足元が揺れ、落ちてきた小石が肩に当たる。なにひとつ確かなものはなく、崩れていく――。


四聖(よんせい)たちは、安全なのか?」


 オリヴィアは、答えられなかった。

 (みどり)の疑問が、オリヴィアの心をざわつかせていた。




 飛び散る雪。地上に向け、四天王シルガーの放った衝撃波が、雪煙を高く舞い上げ、地面に穴を穿つ。

 赤朽葉(あかくちば)は、雪のつぶてを超え疾走する。


『生きろよ。赤朽葉(あかくちば)。俺も、生きるからさ』


 赤朽葉(あかくちば)の心によぎる、黒裂丸(くろれつまる)の言葉。


『……お前のタイミングで、逃げろよ』


 まったく、余計なお世話だ、と赤朽葉(あかくちば)は思った。


 確かに、分が悪過ぎる。


 シルガーの攻撃対象が自分だけに絞られた今、はっきりと力の差を感じていた。

 逃げろよ、と言われるまでもなく、逃げるのがやっとの現状だった。

 黒裂丸(くろれつまる)の声が、頭の中に響く。


『また、会おうぜ』


 ふん。たまたま、操られ仕えた者同士に過ぎないだろうが――。


 赤朽葉(あかくちば)は苦笑する。

 でも、と赤朽葉(あかくちば)は思う。


 悪くないな。


 赤朽葉(あかくちば)は、駆ける。空からの攻撃によって上がる、雪柱の合間を縫うように。

 

 そうだな。


 降る雪の向こうを見つめる。自分でも気付かず、笑みを浮かべる。

 

 見事生き抜き、あいつの驚く顔を見てやるか。


 きっと、おう、お前もなかなかしぶいとな、などとほざき、笑うに違いないと想像する。

 誰かからかけられた約束が、呪いのように自分を縛ることも、反対に魔法のような力をくれることもある。

 赤朽葉(あかくちば)は、間違いなく後者だった。


 感覚を、研ぎ澄ませろ……!


 赤朽葉(あかくちば)は、自らを奮い立たせた。

 赤朽葉(あかくちば)の優れた嗅覚が、ある重要な情報を拾い上げていた。


 これは――!


 赤朽葉(あかくちば)は、意外な勝機の手がかりを見つけた。

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