第171話 待ち望んだ、この瞬間
闇の時間が訪れていた。
力が、みなぎる……!
眠りから目覚めた、聖地ノースストルム峡谷の魔の者たち。
もうすぐ、空の窓が開く! 四聖たちのもとへ行かねば――!
四聖を殺し、その力をわがものとしようとする者たち、あるいは、四聖を守ろうとする者たち。それぞれの思惑の中、魔の者たちは四聖のいる守護軍の結界を目指し、立ち上がる。
分厚い雪雲の上、星が動いていた。
空の窓が開く、百年に一度の配置へと――。
「これだけ近付けば、俺にだってわかるぞ」
どうして自分が眠っていたのか、さっぱりわからないが、黒裂丸は守護軍の結界を目指し雪原を駆けていた。
「お?」
黒裂丸は、空を見上げた。
強いエネルギーが自分の上を飛び越し、そして遠ざかっていくのを感じたのだ。
「今のは、青藍……!」
しかし、なぜ、と思った。飛び去っていった青藍は、自分が感じる人間たちの居場所と、違った方角へ向かっていたのだ。
「四聖のもとへ行くつもりじゃなかったのか?」
少し不思議に思いつつ、黒裂丸は気を取り直し、改めて前方を見据える。
「俺は青藍を討つ! しかし、四聖のエネルギーを得るのが先だ!」
黒裂丸が雪を蹴散らし、駆け出そうとしたときだった。
「黒裂丸! そっちじゃない!」
黒裂丸は、思いがけない声に少し戸惑う。
赤朽葉の声だった。
「赤朽葉? なにを言って――」
「そっちにいると見せかけているのは、人間のかけた術、まやかしだ。人間たちは青藍の向かった方角にいる」
赤朽葉は、魔の者の中でも特に優れた嗅覚を持つ。赤朽葉の感覚が間違いないことは、あきらかだ。
「なんだって……! それじゃあ、青藍に先を越されるじゃないか……!」
黒裂丸は、魔導士オリヴィアがいくつか施しておいた『偽魂の法』により、守護軍の位置を見誤っていたのだった。
一度はオリヴィアの『偽魂の法』に惑わされた青藍だったが、今度は確実に守護軍のほうへと向かっていた。
「くそ、青藍め……!」
黒裂丸が吐き捨てるように叫び、そして空へ視線を映すと、まるで青藍の後を追うような、銀の風。
「あれは――。四天王シルガー!」
シルガーが、青藍を追って飛んでいた。
「くそ、青藍と戦っていたあいつも、強いエネルギーのままか!」
黒裂丸は、思わず叫ぶ。
「そもそも、力がすっかり回復しているのは俺だけじゃなかったのか。まあ、急に眠くなって寝てしまったのも変だし……。いったいなにが起こっているのか。まったくわけがわからん……!」
自分の理解を超えたことが起こっていることに、納得がいかない様子の黒裂丸は、ひとりわめきたてる。
「なあ、赤朽葉。お前、どうなってるか、わかるか?」
「先に行くぞ。黒裂丸」
赤朽葉は、黒裂丸の問いに答えることなく走り出していた。
「し、しまった! お前のほうが、俺より足が速い――」
くそ、どいつもこいつも、などと叫びながら黒裂丸も駆け出す。
それぞれ四聖を目指して――。
シルガーは青藍を追いつつ、二体の魔の者たち――赤朽葉と黒裂丸――もこちらに向かっていると感じ取る。
止まった時間が動き出した。一斉にスタートか。
自分同様、やはり他の者たちもエネルギーに満ち溢れている、と思った。
シルガーは銀の髪をなびかせ、さらに飛行速度を上げつつ、意識を遠方の白銀や黒羽のほうへと伸ばす。
よし。結局、どういうことだったのかわからんままだが――、白銀と黒羽も動き始めているようだ。
シトリンたちは、とシルガーがシトリンたちがどの辺りにいるのか探ろうとした、そのときだった。
「おや。あなたも、無事でしたか」
今まで飛行を続けていた青藍が、不意に空中で止まり、振り返る。
「ああ。まあな」
シルガーもその場で止まる。対峙するふたりの間を、雪が、ごうごうと吹き抜けていく。
「しかしこの通り、高い衣服が台無しだ」
さして困ったふうでもなく、シルガーは言う。それから、
「腕が一本、無いな。まあ、今までが多過ぎたのかな?」
さらりと指摘し、笑みを浮かべる。
青藍は、ふう、とため息をつく。
「四天王と人間の、ご子息ですよ」
青藍は、正直に答えていた。
「なるほど」
「とはいえ、この通り私の力はすっかり回復しています」
「確かに元気そうだ。追いかけるのに、苦労した」
シルガーの言葉を無視し、青藍が口を開く。
「お互い、これ以上衝突するのはあまり有益とは思えません」
青藍は淡々と、しかし強い口調で言い切った。
「……なにが言いたい?」
「空の窓が開くときは、もうまもなくです。他の従者たちもおります」
青藍は空を見上げ、それから地上を見渡す。他の魔の者たちも集結しつつあることを、青藍も感じているようだった。
「人間社会で、『漁夫の利』という言葉を聞いたことがあります」
「ほう」
シルガーは、首をかすかに傾け、腕組みした。
「我々が戦っている隙に、他の者がまんまと四聖を得る、という可能性があります」
青藍は、五本の腕のうち一本の腕の手のひらを、シルガーのほうへ向けた。
「この際、折半する、というのはどうでしょう」
「折半?」
「はい。ちょうどふたつずつ、我々で分けるということで――」
四聖を、ふたつずつ――。
黒い空に、白のつぶてが乱れ飛ぶ。暴れ続ける風に、銀の髪が流されるままにして、シルガーは、ゆっくりと口を開いた。
「……お前は、とんだ勘違いをしているな」
「やはり、目の前のチャンスは、すべて手に入れたいと、そうお望みですか……?」
すべて手に入れる――。
「まあ、そんなところだ」
シルガーが笑みを浮かべる。
「欲張りですね」
青藍も、笑みを返す。
「ああ。私は、欲張りなのさ」
「……理想を申し上げれば、私も同じなのですけれど」
笑みを交し合う。
そして、光と轟音。
シルガーと青藍の放つ衝撃波が、空を切り裂く。
二体の四天王の、戦いが再開された。
すべて守りたいなどと言ったら、こいつは嗤うのだろうな。
シルガーの密かな笑みは、青藍には見えない。
守護軍の者たちは、緊迫した空気の中にあった。
キアランは、呼吸を整える。ゆっくりと、確かなリズムで。
キーンと、耳鳴りがする。
あれは、四天王同士の戦い――。シルガーか、シトリン――、そして、相手は――。
「キアラン……!」
キアランは、顔を上げる。押し寄せる、圧迫感――。
見えていた景色が、揺らぐ。強い結界内というのに、おかまいなしだった。
目の前の空間が、ぐにゃりと歪み、自然の法則を無視し、なにかが現れようとしている――。
キアランにはもう、わかっていた。この感覚、待ち望んでいた、この瞬間――。
オリヴィアや花紺青、皆が口々に叫ぶ。しかし、今のキアランの耳には、皆の声は入らない。
ついに、来たか――。
風のない湖面のように、キアランの心は凪いでいた。
キアランはただ一点を見つめ、静かに天風の剣を構える。
「会いたかったぞ……! キアラン……!」
アマリアを抱えた四天王オニキスが、姿を現していた。




