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天風の剣  作者: 吉岡果音
第二章 それは、守るために
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第17話 まっとうな、人間

 虫の声で埋め尽くされた森の中、キアランは抜け殻のように立ち尽くす――。


「キアランッ!」


 ルーイはキアランの姿を認めると、わき目もふらずキアランのもとへ駆けよった。


「ルーイ――」


「キアランさんっ!」


 アマリアとライネは息をのんだ。キアランを間近で見て、なにかを感じ取ったようだった。


「キアラン! あんた――」


 ライネが驚愕の表情を浮かべながら叫ぶ。


 ああ。アマリアさんとライネには、わかってしまったのか――。

 

 神秘の強い力を持つ二人、その二人の顔色が変わった。キアランは、二人が自分の身に起きた異変を見抜いているに違いない、そう思った。


「シルガーの血を、飲まされた」


 ライネの問いかけをすべて聞く前に、キアランが白状した。


「なんだって……!」


「ライネ……、アマリアさん……。あなたがたは、私を見てなにか違和感を覚えたのだろう……?」

 

「キアランさん――」


 アマリアは衝撃を隠せず、思わず自分の口元に手をあてた。しかしそれはほんの一瞬のことで、彼女もルーイのようにキアランのすぐそばへ駆け寄った。

 アマリアは、キアランを抱きしめていた。


「アッ、アマリアさん……!?」


 たちまち、甘い香りに包まれる。柔らかな、あたたかいぬくもり。

 キアランは、自分の全身の血が一瞬にして顔に集まったような気がした。あまりの驚きで、口から心臓が飛び出てしまうのではないか、そんなことになってしまったら、気持ち悪すぎるからアマリアさんに迷惑だ、だけど、そもそも心臓って喉を通るものなのか、喉とは繋がってないよな、などと、パニックのあまりそんなわけのわからないことまで瞬時に考えてしまっていた。


「キアランさん――、大丈夫。大丈夫ですよ――」


 アマリアは、繰り返しそう呟いた。

 かすかに震えているが、澄んだ、優しい声。

 キアランの心を慰めるように、アマリアは抱きしめることだけでなく言葉でも、キアランをそっと包み込んでいた。


「アマリアさん――」


 心地よい夜風。

 キアランの鼓動が、一定のリズムを刻み始めた。

 抜け殻のようだった体に、あたたかな血が流れる。


「キアランさんは、なにも変わりません――」


「私は――」


「キアランさんは、キアランさんです。今も、これからも」


 キアランはいつしか、母のぬくもりを思い出していた。不安と恐れで凍ってしまいそうだった心が、柔らかくほどけていく――。

 

 私は――。


 キアランの瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちていた。

 使い魔は、動いていなかった。もっとも、今のキアランもアマリアも、そこまで気が回らなかったのだが――。


「ええい! いい加減、なにがあったか教えろ!」


 痺れを切らし、ライネが叫んだ。


「あ」


 急に我に返ったようになり、キアランとアマリアは互いの体を離す。気が付けば、アマリアの頬も真っ赤になっていた。


「シルガーってやつが、どうなったのかも教えろ!」


「ライネおにーさん!」


 二人の時間の邪魔をした形となったライネに向かって、ルーイが咎めるような声を上げた。

 ライネはルーイの抗議を受け、さすがに無粋だったかと頭をかき、少々バツが悪そうに呟く。


「とりあえず、無事でよかったけどな! 今生の別れにならなくて、本当によかったよ」


 ライネなりにキアランを気遣ったようだったが、それはそれでひどい言い回しだった。


「……いや、すまん。俺は口が悪くて、どうも――」


 ライネはまた頭をかく。

 そんなライネの様子を見て、キアランは首を振る。そして微笑みもこぼれた。


「こちらこそ、申し訳ない。恐怖に飲み込まれてしまって、恥ずかしながら動けなくなっていたのだ。一刻も早い状況把握をして、最善の行動を取らねばならないというのに――」


 自分が変わってしまうのではないか、本当に人ではなくなってしまうのではないか、そんな恐怖でキアランは立ち尽くしていた。ルーイの変わらない態度、アマリアの深い優しさ、そしてライネのぶっきらぼうだが誠実でまっすぐな様子に触れ、キアランの心はしっかりと自分を取り戻していた。

 キアランは話した。

 森の中に入ってのこと、そして、シルガーが自分に話したことのすべてを。


『キアラン。お前には、とんでもない血が流れている。この私より、もっと強力な、魔の血が、ね……!』


 シルガーの恐ろしい宣告を皆に伝えるかどうか、キアランには迷いがあった。しかし、キアランは話すことに決めた。

 魔の血が流れている、それを告白して皆の態度が変わるかもしれないという恐怖より、話さないことで後々皆に危険が及ぶことのほうが、キアランにとって比べられないほど恐ろしかったのである。


「シルガーは、私の力に関心を持っている。そして、私の隠された力が目覚めたときに、私と戦うことを望んでいる。使い魔とやらは、私を見張るためのものらしい。シルガーは、私の回復を待つ気でいる。当面は、シルガーが襲ってくる危険はないようだ」


 すべてを打ち明ける覚悟はしていたものの、キアランは、皆の目を見ることができなかった。少しでも、誰かの目に嫌悪の色がよぎったら耐えられない、そう思っていた。


「そうだったのか――」


 キアランが一通り語り終えて、真っ先に口を開いたのはライネだった。


「ああ」


 キアランの目に、一匹の蛍が映った。キアランの瞳は、淡い光を追う。


 これから、どうすればいいのか。私のほうこそ、皆と離れたほうがいいのではないか。


 淡い光は、点滅を繰り返しながら飛んでいく。孤独な軌跡を残しながら、どこかへ。

 不意に、肩を掴まれた。

 キアランは、驚いて肩を掴んだ主を見た。


「おい」


 ライネだった。


「キアラン。俺もアマリアさんから詳しい話は聞いた」


「あ、ああ。そうか」


 なぜ、この男はわざわざ肩を掴んでしっかり目を見て話しかけるのだろう、キアランは少し疑問に思いながら返事をする。

 ライネの瞳は、間近で見ると深い緑色をしていた。まっすぐな強い眼差しだった。


「そして、わかった」


「わかった? なにがだ?」


「俺も、アマリアさんと、そしてあんたと一緒だった」


「一緒――?」


「そうだ! 俺も『四聖(よんせい)を守る者』だ!」


「なにっ……?」


 キアランは驚きの声を上げた。ライネはまだ、キアランの両肩を掴んでいる。


「初めてアマリアさんとあんたを見たとき、俺もなにか感じるものがあった! あんたは剣士だからピンとこないだろうが、俺は魔法を操る者、なにか響き合うものを感じていたんだよ!」


 ライネも、「四聖(よんせい)を守護する者」……!


 ライネは、キアランの瞳を見つめながら叫ぶ。


「おい! シルガー! 使い魔を通して、聞いてるんだろ!? 俺の名はライネ、『四聖(よんせい)を守護する者』の一人だ……! 覚えとけ……!」


 両肩を掴んで叫んでいるのは、シルガーに向けて話すためか、そうキアランが納得しかけたが――。


「そして、キアラン! あんたも聞け! 俺も、あんたの仲間だ! 俺も同行するから、よろしくな……!」


 両肩をしっかり掴み、キアランを揺さぶらんばかりの勢いで叫ぶライネ。

 そんな挨拶があるのか、キアランは度肝を抜かれていた。


「あ、ああ。そ、そうなのか。よろしく――」


 ライネの勢いに負け、少々間の抜けた返事をしてしまった。


「キアラン! あんたがとんでもねえものを背負っていたって、俺には関係ねえ! 俺が判断するのは、俺が見たまま、感じたままのあんただけだ!」


「え……」


 揺らぐことのない深い緑の瞳が、キアランを見つめる。


「キアラン! あんたは誰よりもまっとうな人間だ! 芯の通った本物の男だ!」


「ライネ――」


 ライネはキアランの両肩から手を離す。少し照れくさそうに笑いながら。


「拝み屋は、しばらく廃業だ。出発は、店じまいと長旅の準備をさせてもらってからになるがな。ま、もうすぐ夜も明けるだろうけど、準備ができるまで、皆、俺の家で体を休めていてくれ」


 ライネは、ルーイの顔を見た。


「おぼっちゃんは、眠そうだな」


「ね、眠くないよっ!」


 慌てて否定したが、ルーイは、こくりこくりと船をこいでいた。

 ライネとルーイのやり取りを見て、アマリアが笑う。つられて、キアランも笑う。

 キアランの心は、ライネの言葉をゆっくりと反芻していた。


 まっとうな、人間――。


「ライネ――。ありがとう――」


「……キアラン。遅くなって、すまなかった。俺にもっと力があれば――」


 キアランは首を振る。


「本当に、ありがとう……!」


 ライネは微笑んだ。そして、また頭をかく。


「……俺は、小さいころから不思議な力を持っていた。親父もそうだった。親父は拝み屋を生業としていた。強い力を、人のために使う親父に憧れて俺も拝み屋になった。親父もおふくろもとっくに他界してるけど、俺が自分の使命に従って皆と行動を共にすると決断したこと、きっと喜んでくれてると思う。人のために自分の能力を使う、それは俺の喜びでもあるんだ」


「ライネ――」


「ま、口は悪いしガラも悪いんだけど、そこは勘弁な……!」


 四人は、笑い合う。ライネは、改めて天風の剣のアステールとバームスにも挨拶をした。

 森を、抜ける。道は、まっすぐのびている。

 空が、白み始めていた。

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