第169話 知るべき情報
凍りついた木々が、白い怪物のようだった。
アマリアの愛馬、バームスの後を追い、ライネは愛馬グローリーを走らせる。
ライネの目の前で雪煙を上げ続けていたバームスが、突然立ち止まる。
「バームス……?」
バームスはなにかを見つけたのか、降り積もった雪の中に顔をうずめるようにしている。
「それは……!」
顔を上げたバームスの口元には、シトリンの魔法の杖が、くわえられていた。
バームスは、濡れた黒い瞳でじっとライネを見つめ、ライネへ託すように、魔法の杖を掲げた。
「アマリアさんの持っていた魔法の杖……!」
持ち物だけが残されている――、ライネの頭に一瞬最悪の状況がよぎる。
そんなわけない! アマリアさんは、絶対に生きている……!
ライネはバームスから魔法の杖を受け取ると、自分の額につけ、精神を集中させた。
アマリアさん……! アマリアさんに関する情報、なにか俺にも掴めないか――!
拝み屋であり、魔法の使い手でもあるライネ。花紺青のように、はっきりと物体の持つ記憶を知ったり会話をしたりすることはできないが、強い力を持つシトリンの魔法の杖なら、なにか情報を得ることができるのではないかと考えていた。
ライネの心の中に、いくつもの光が浮かんでは消える。魔法の杖から発信される情報に違いないと思った。シトリンの魔法の杖は、確かになにかを伝えようとしている。しかし、まるで初めて接する言語のように、ライネの頭の中に内容が入ってこない。
落ち着け、落ち着くんだ……!
言葉じゃない、と思った。流れてくるイメージを、感覚で理解しようと試みる。
理屈とかではなく、もっと心を開放して――。
『私もよく、わからないんだー』
ライネは、ぎょっとし、思わず目を丸くした。
急に、シトリンのようなあどけない声が聞こえてきた気がしたのだ。
い、今のはたぶん、魔法の杖の伝えてきたイメージ……!
言語で理解しようとすることを手放したとたん、急に情報が言語化されて流れ込んできた。矛盾しているが、案外そんなもんなのかも、とライネは素直に受け入れることにした。ライネは、自分の試みが正しいと安堵し、そのまま精神を集中し続ける。
『んっとねー、オニキスはねー、アマリアさんが好きなんだと思うのー』
はい……?
思わず、ライネは目が点になり、集中が途絶えそうになった。慌てて首を振り、大きく深呼吸をしてから、改めて心を静め、集中する。
『オニキスも自分で気付いてないみたいだけど、大好きみたいよー。これは、乙女の勘』
お、と、め……?
魔法の杖は、乙女なのか、とライネはまた集中が途絶えそうになった。慌てて首を振り、気を取り直して一層深く集中する。
『乙女なのー』
いや、それはいいから、その情報は大丈夫です、とライネは口にしそうになったが、また慌てて集中し直す。
『オニキスはアマリアさんが大好きになっちゃった。だから、オニキスはアマリアさんを殺せないのかもー』
アマリアさんは、生きている、無事なのか……?
ライネは、魔法の杖にイメージで問いかけた。
『無事―。私だけ、放り出されちゃったー』
よくわからないが……、アマリアさんは、無事だ……!
ライネは、魔法の杖の伝えてきたことに希望の光を感じつつ、さらに交信を試みる。
アマリアさんの居場所はどこですか?
『あ、敬語? 私のこと敬っちゃう? 敬っちゃうの? ありがとー』
い、いや、そんな話より、早くアマリアさんの居場所を……。
言語化してないイメージなのに、しっかり細かなニュアンスが伝わっている。
なんだか、無駄な情報ほどすんなり受け取れるような気がする、それは俺の性格のせいなのか、と自分の性格にまで一瞬疑問を感じつつ、ライネは重要な手掛かりを得ようと、余計な考えは無視し、さらに精神を研ぎ澄ませるよう努めた。
居場所を教えてください。敬いますんで。しっかり。
精神を研ぎ澄ませようとしながらも、つい余計な考えを付け加えてしまう。やはり、性格なのだった。
『私も探ってみたんだけどねー。いないっぽいのー。たぶんねー、自分で作った空間に移動したっぽいー』
自分の空間に、移動したっぽい……。
『ぽいよー』
ぽいか……、とライネは心の中で反芻する。
魔法の杖の感じていることは、たぶん正しいのではないかとライネは思う。アマリアだけを狙い、殺さず連れ去ったのも、それで一応納得がいく。
アマリアさんの居場所は、オニキスの作った空間内――。
人間には、魔の者の作った空間を探り当てること、ましてや入ることなど絶対無理だ、とライネは思う。
しかも、やつは四天王――。
「くそっ……!」
ライネは、なにもできない悔しさと歯がゆさに己の拳を強く握りしめる。
生きて無事なのはよかった。でもある意味、最悪の知らせかもしれない。キアランにとっては――。
オニキスは、キアランの両親の命を奪っただけではなく、さらにはキアランの最愛の人まで奪い去ろうとしている――。
「くそーっ……!」
ライネは天を仰ぎ、怒りに震え叫ぶ。
重たい灰色の空の下、ライネの声だけが、こだまのように響いていた。
話し声が聞こえる。
声の主は、おそらく、ダンと、ソフィアさんと、オリヴィアさん――。
「ダン、ソフィアさん……!」
キアランは、喜びと驚きで跳ね起きた。と、同時に自分が今まで眠っていたことに気付く。
「あ、あれ? 私は、眠っていたのか……?」
すぐ傍には、花紺青がいた。花紺青は、心地よさそうにゆったりと寝息を立てていた。
「キアラン。目が覚めたのですね」
オリヴィアが微笑みかける。
キアランの向けた視線の先には、ダンとソフィアとオリヴィアの三人がいた。
「アマリアさんとライネは――」
皆の顔が一瞬曇る。それから、気を取り直したようにダンが説明を買って出た。
「まだ、戻っていない。キアラン。色々、伝えなければならない重要なことがあるのだが、先に魔の者に関する情報を」
ダンの、努めて冷静に、穏やかに話そうとしている姿勢が、逆にキアランの心を不安で波立たせていた。
「魔の者は、翼を持つ一族の治癒の光で、皆、眠りについているようだ。そして、彼らはそれぞれ回復に向かっているはず。キアランと花紺青が眠っていたのも、光の影響だ」
思わぬダンの説明に、キアランは驚く。
「魔の者が回復――! 翠もか?」
キアランの問いに、ダンが息をのむ。
「翠殿、彼も負傷したのか」
「翠も、ということは、まさか――」
ダンは、ゆっくりとうなずく。隣のソフィアもうつむき、唇を噛みしめている。
「蒼井殿が、負傷した。我々を守ろうとして――」
「蒼井が……!」
「……蒼井殿の行方は、探したがわからなかった。たぶん、生きている、そう信じている。そして、必ず回復に向かっているはず」
翠、蒼井――!
ダンは、キアランの肩に、手のひらを置いた。肩に感じる、大きくて分厚い、しっかりとした手のひらの感覚。キアランの心の波を、鎮めるように、落ち着けるように。
「おそらくだが――。敵の魔の者たちも、しばらくは目覚めない。完全な魔の者である、花紺青君が眠っている時間が、目安になるのではないか。花紺青君と同じように、魔の者たちには動きがないだろう」
花紺青は、ぐっすりと眠り続けている。
「キアラン。落ち着いて聞いてくれ」
ダンは、キアランが知るべき情報を伝えた。
吹きすさぶ雪。白銀の世界の下、残酷な現実が、キアランの心を凍らせる――。
カナフさん……、アマリアさん――!
厚い雲に覆われ、青空も、夜の星も見えないノースストルム峡谷。
時は、人の心を待ってはくれない。
空の窓が開く、ゆっくりと、そのときを迎えようとしていた。




