第168話 それぞれに届く、癒しの光
眠り続けていた。
黒に近い、深い青。いくつもの泡が昇っていく。大きいものも、小さいものも。
きっと、その先には水面。泡はそこへと導かれていくのだろう。
目のない魚が通り過ぎる――。
夢か。
シルガーは、目を開けた。
まだ起きるべきではない、体がそう告げていた。
もうしばらくの間は、心身の回復に集中すべきだ、と。
白銀、黒羽――。
キアランや他の人間たちの様子も気になっていたが、なにより彼らの無事が気がかりだった。
青藍。従者たち。そして、オニキス――。
いつまでも寝ていられる状況ではない。シルガーが重い体を起こそうとした、そのときだった。
辺り一面、金の光が降り注いだ。
「なんだ、これは――」
不思議な光だった。
全身に感じる、包み込むようなあたたかさ。
シルガーは、強烈な眠気に襲われる。
これはきっと、癒しのエネルギー。
心地よかった。
今この瞬間にも、眠ってしまいそうだった。このまま身をゆだねたい欲求を無視し、鈍り始めていた意識を無理やり広げる。
シルガーは、ハッとした。
この光の影響は、ノースストルム峡谷全域に及ぶほどの大きなもの……!
シルガーは驚嘆していた。そんな術があるのか、と。
このような強い術は、人間にはできない。きっと、高次の存在の力。しかし、これほどまでの強い力は、聞いたこともないが――。
なんのために、と思った。魔の者に治療の光を送って、なんになるのか、と。
魔の者の活動を一時的に休止させるためか、という考えも浮かんだが、この力の影響が、空の窓が開く夜まで持続するか、といえば疑問だった。
降り注ぐ金の光は、もうすでに止んでいた。
長時間動きを止めるような影響力はない。それにどうやらこれは、純粋な癒しのエネルギー。
もし休止させるのが目的なら、夜になる直前、最後の手段に使うのが自然だろうと思えた。
それに、魔の者の活動を休止させる術が使えるのなら、なぜパールとの戦いのときに使わなかったのだろう、という疑問も生まれる。
だとすれば、なんのために――?
意図はわからない。しかし、他の魔の者も、自分と同じ影響を受けているに違いない、とシルガーは判断した。
きっと、他の連中も睡眠に移行し、活動を休止しているはず。
吹雪の音だけが耳に届く。
いくら意識を遠くに伸ばしても、魔の者の戦闘のエネルギーは感じられず、目立った動きは感知できなかった。
今にも遠のきそうな意識の中、高次の存在、とシルガーは呟く。
やつらの考えなど、私にはわからん。やつらが、罠などという自分たちの管轄から外れたことにまで、知恵が回るとも思えない。
それならば、とシルガーは抗うのを止め、瞳を閉じた。
深い海の風景が、シルガーを誘う。
金の光が降り注ぐ少し前。
魔導士オリヴィアが、声を弾ませた。
「あれは、花紺青君――!」
花紺青がキアランのほうへ飛んでくる姿に気付き、オリヴィアもそちらへ駆け寄る。
シラカバの幹に乗った花紺青が、守護軍の陣営にたどり着いていた。
キアランが、両手を広げ、歓喜の声で出迎える。
「花紺青! お前も無事だったか……!」
「キアランも! よかったあ!」
花紺青はシラカバの幹から飛び降り、キアランの胸に抱きついていた。
金の光が降り注いだのは、そのときだった。
「この光は――!」
オリヴィアは、世界を包み込むようなこのうえなく美しい光が、高次の存在による治癒の光なのだとすぐにわかった。
「あれ――。なんだろう、気持ちよくて、とても眠い――」
花紺青が、キアランの腕の中、眠そうな声を上げる。オリヴィアが声をかける間もなく、花紺青はすでに眠ってしまっていた。
「私も――、なんだか頭が、ぼうっとして……」
「え、キアラン……?」
今度は、キアランが眠気を訴えていた。そして、花紺青を抱きしめたままキアランは雪の上に座り込み、そしてしまいには花紺青と一緒に、横になって眠りこんでしまっていた。
「キアラン、花紺青君……!」
「眠ってしまっている――」
すぐ近くにいたテオドルも、キアランと花紺青の異変に驚き駆けつける。
「奇跡だ……! 天からの、奇跡だ――!」
兵士や魔法使いたちの声が耳に届く。
オリヴィアとテオドルは、振り返る。
「みんなが……!」
オリヴィアもテオドルも、息をのみ目を見張る。
四天王青藍の攻撃によって傷ついた人たちが、次々に立ち上がり、自分の体が動けることを確認し、喜び合っていたのだ。
きっと人々も、完全に傷や症状が治ったわけではないのだろうと思えた。しかし、元気を取り戻した皆の姿に、オリヴィアの瞳から自然と涙があふれる。
「なんと素晴らしい癒しの力……! まさに、奇跡――!」
「本当に、よかった……!」
テオドルもオリヴィアと笑顔を交わし喜びつつ、眠り続けるキアランと花紺青に視線を戻す。
「オリヴィア様。キアランと花紺青殿は――?」
すやすやと、寝息を立てるふたり。オリヴィアには、ふたりの状態が、光の影響による悪い反応ではない、むしろよい方向へ向かっていると感じられた。
オリヴィアは、キアランと花紺青にそっと触れ、魔法の力でふたりの状態を見る。まるで、医師の診察のように異常がないか、くまなく体の様子を探る。
オリヴィアは、一つの結論を導き出す。
「そうか――。魔の者の血が入っている場合、きっと、睡眠に移行してから力を回復させるんだわ」
正反対のエネルギーの高次の存在と魔の者。そのため、人間の場合と異なり、エネルギーの受け取りかたに違いが出るのだろう、と思った。睡眠というワンクッションを置いてエネルギーを自分の中で消化してから、快方に向かうのだろう、とオリヴィアは推測していた。
「え? 魔の者の血……? 花紺青殿は、普通の少年では――」
テオドルの疑問の声に、オリヴィアはハッとした。テオドルが他の守護軍の者たち同様、彼を人間だと信じているということを、すっかり忘れてしまっていたのだ。
「花紺青君は、きっと、ひどく疲れが出てしまったのね。だから、癒しの光が効き過ぎてしまったんだわ」
テオドルに対し、秘密にしておく必要はないような気もしたが、とっさに取り繕うオリヴィア。
「なるほど……。無理もない……。まだ子どもなのに、今までずっと危険な目に合わせてしまっていた――」
テオドルは疑うことなく、素直にオリヴィアの言葉に納得し、そのまま信じたようだった。そして、テオドルは花紺青の身を案じ、慈しむように花紺青の髪をそっと撫でていた。
「そうね。いくら優秀な魔導士だからといって、ずいぶんと無理をさせてしまいました――」
魔の者であるとか人間であるとか、関係ない、オリヴィアは、眠り続けるまだ小さな少年を、声を震わせ胸に抱いた。
「なんだ……! この光は……!」
金の光が降り注いだとき、オニキスは異変を察し、とっさに独自の空間を作ろうとしていた。
「これは、高次の存在の……!」
オニキスの髪に絡められたままのアマリアにも、金の光が降り注ぐ。
癒しの、強い光――。
「あっ……!」
アマリアは短い叫び声を上げる。体が宙に浮き上がる感じがし、空を飛んでいるような感覚になる。オニキスが作った空間に、連れ去られていたのだ。
オニキスが呟く。
「いったい、この強い眠気は――」
オニキスの体にも、金の光の影響が出ていた。
「オニキス……?」
アマリアが見ている前で、オニキスは気を失うように瞳を閉じた。
眠ってしまった……?
アマリアは、自分の体を拘束するオニキスの髪から、逃れようと試みる。
しかし、もがいても魔法を使っても、絡みつく髪の毛はアマリアの体の自由を奪い続ける。
彼を倒すチャンス、逃げ出せるチャンスなのに――!
シトリンの魔法の杖はない。
アマリアは、オニキスの作った空間に閉じ込められる形となった。




