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天風の剣  作者: 吉岡果音
第十章 空の窓、そしてそれぞれの朝へ
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第166話 異質な存在、その心

 血の味がする。

 赤朽葉(あかくちば)は、ハッとし、上半身を起こした。


「これは、いったい……」


 青藍(せいらん)によって噛みちぎられてしまった肩は、骨が見えるほど深い傷になっていたが、肩口の血は乾いていた。それより驚いたのは、体力、魔の力が大幅に回復していたのだ。

 そのうえ、どういうわけか、倒れていたはずの場所から移動している。感じる青藍(せいらん)の気配が遠い。


「よう。お前に合ったようで、よかったな」


 不意に声が聞こえた。赤朽葉(あかくちば)は、声のしたほうへ首を回す。

 赤朽葉(あかくちば)の目に映ったのは――、黒裂丸(くろれつまる)だった。

 黒裂丸(くろれつまる)の右腕は、途中からなくなっていた。傷口が赤朽葉(あかくちば)の傷同様、噛みちぎられたようになっている。


「まさか、お前――」


青藍(せいらん)に、やられた。赤朽葉(あかくちば)、お前もそうなんだろう?」


 青藍(せいらん)は、己の回復のために黒裂丸(くろれつまる)に襲い掛かったのだという。そして、青藍(せいらん)へ攻撃を発射させようと右腕を向けたところ、腕の先端を食われたのだと、黒裂丸(くろれつまる)は淡々とした様子で話す。


「合わなかったらしい。俺との戦いは無意味と判断したのか、なんと卵の姿に化けやがった。あいつ、そんな真似ができるとはな」


 青藍(せいらん)が、四聖(よんせい)のもとへ向かう黒裂丸(くろれつまる)の動きを嗅ぎ付け、襲い掛かったことまでは容易に想像がつく。それより、赤朽葉(あかくちば)が疑問に思うのは――。


黒裂丸(くろれつまる)――、お前、なぜ私に――」


 なぜ、私に血を飲ませた。


 赤朽葉(あかくちば)の口の中に残る血の味。そして、不自然に早すぎる回復。黒裂丸(くろれつまる)が、自分の血を飲ませたのだ、赤朽葉(あかくちば)はそう判断したが、黒裂丸(くろれつまる)のその行動の理由については、まったく理解不能だったのだ。

 黒裂丸(くろれつまる)は、ただでさえ大きく裂けたような口をさらに大きく広げ、笑う。


「まあ、ついさっきまで同じ立場として働いていた、よしみってやつかな。流れ続ける血を、ただ無駄にすることもないと思っただけだ」


 赤朽葉(あかくちば)は、目を大きく見開き、それから信じられん、と呆れたようにため息をつく。


「たまたま、昨日から一緒にいただけだ。それも自分の意思ではなく。よしみってことはないだろう」


「充分すぎる理由じゃないか」


 黒裂丸(くろれつまる)は、こともなげに笑う。赤朽葉(あかくちば)は納得がいかず、自分が考えつく答えをぶつけてみた。


「それとも、なにか。共闘で、青藍(せいらん)を倒そうと思ったのか」


 共闘で四天王に挑んだ場合、とどめを刺したほうだけが次の四天王になる。片方には利益がないわけだが、ひとりで戦うより、四天王を倒せる確率自体は増す。


「ああ。そういう手もあったか」


 黒裂丸(くろれつまる)は、今気付いたとばかりに、なるほどとうなずく。


 まったく、考えてなかったのか――!


 赤朽葉(あかくちば)は、じっと黒裂丸(くろれつまる)の目を見た。


「……私がお前を殺すかもしれないとは、思わなかったのか」


 赤朽葉(あかくちば)には、黒裂丸(くろれつまる)の急所が見えていた。黒裂丸(くろれつまる)は、自分とほぼ同程度の力だったのだ。


「お? お前も俺とやる気か? それは面白そうだな。お互い負傷している、条件としては五分五分だな」


 黒裂丸(くろれつまる)は、身構えた。黒裂丸(くろれつまる)の全身から闘気がみなぎる。本気で戦う気らしい。そんな黒裂丸(くろれつまる)の様子を見た赤朽葉(あかくちば)は、首を左右に振り、ゆっくりと立ち上がった。


「お前と今戦って、なんになる」


「なんだ、やらんのか」


 黒裂丸(くろれつまる)は、拍子抜けしたような、少しつまらなそうな声を上げる。


「どれだけ戦いが好きなんだ、お前は」


 赤朽葉(あかくちば)は、呆れを通り越して、なにやらうらやましい思いすら抱く。


 こいつは、自分が従者に生まれついたとか定められた運命だとか、疑問に思ったことすらないのだろうな――。


 黒裂丸(くろれつまる)は、さて、と自分の右腕の傷口を覗き込み、血が渇き始めていることを確認する。身体の頑強さ、回復力は赤朽葉(あかくちば)より優れているようだった。


「じゃあ、俺は行く。四聖(よんせい)の力を手に入れ、強くなって青藍(せいらん)を倒す。赤朽葉(あかくちば)、お前より先にな」


 黒裂丸(くろれつまる)の瞳に、強い光がみなぎっていた。


「俺はずっと、自分だけの力で高みに昇るつもりでいたが――。確実に強くなって、レッドスピネル様の仇を打つ!」


 赤朽葉(あかくちば)は、思わず息をのむ。


黒裂丸(くろれつまる)、お前――」


 黒裂丸(くろれつまる)は、二ッと笑う。わかっているぞ、と言っているかのような笑み。


赤朽葉(あかくちば)。お前も仇討ちだったのだろう?」


 赤朽葉(あかくちば)は口をつぐんだ。そんな気は、微塵もなかった。


「残念だったな。レッドスピネル様の無念は、俺が晴らす! じゃあな!」


 操られた身でも、己の主人に心からの忠誠を誓っていたのか――。


 赤朽葉(あかくちば)は、今にも走り去ろうとする黒裂丸(くろれつまる)に、急ぎ声を掛ける。


黒裂丸(くろれつまる)。私に血を分けた礼だ。教えてやる、青藍(せいらん)の急所は――」


「いらん!」


 黒裂丸(くろれつまる)の予想外の返事に、赤朽葉(あかくちば)は戸惑う。


「知りたくない、というのか……?」


「それはお前が命がけで得た情報だろう。それに、同じ立場で仕えていた、青藍(せいらん)に対する義にも反する。俺の性に合わん」


 黒裂丸(くろれつまる)は、そう叫び返すと、あっという間に駆けていく。赤朽葉(あかくちば)は、遠ざかる黒裂丸(くろれつまる)の筋肉質の背を、黙って見送っていた。

 赤朽葉(あかくちば)は、ひとり呟く。


「なんてやつだ――」


 赤朽葉(あかくちば)の心に、もう何年も何十年も忘れていた、かすかな記憶がふとよぎる。


 赤目。私の片割れ。やつは今、どうしているのだろう。


 現在の四天王のうちの誰かに仕えているのだろうか。従者として生きることに心から喜びを感じていると言っていた、双子のきょうだい、赤目。魔の者としては非常に稀な、同じ卵から生まれた存在。


 赤目。お前は今も、従者という使命に誇りを感じているのだろうか……?


 赤朽葉(あかくちば)の足なら、容易に黒裂丸(くろれつまる)を追い越すことができる。四聖(よんせい)の居場所を早く正確に探し当てることもできる。だが、赤朽葉(あかくちば)は――。

 傷がほぼ癒えている今も、風雪と氷の世界の中で、ただぼんやりと立ち尽くしていた。




 アマリアは、目を覚ます。


 また、オニキスの術で気を失っていたんだわ……!


 アマリアは、自分のそばにいると思われるオニキスに気づかれないよう、今の自分の状態や周囲の状況を探ろうとした。

 アマリアは、自分が雪の上に横たわっていることに気付く。でも、不思議と冷たさを感じない。

 全身、黒いものに絡められているようだった。


 これは……、髪……?


 オニキスの長い髪が、ゆるやかに巻き付いていた。雪の冷たさを感じないのは、そのせいだった。

 アマリアの手には、シトリンの魔法の杖が握られたままだった。アマリアは安堵する。気を失いながらも、ちゃんと魔法の杖を握りしめていたのだ。

 ゆっくりと、自分を拘束する髪の根元のほうへ、オニキス本体のほうへと視線を走らせる。

 オニキスは、アマリアのすぐそばで目を閉じ横たわっていた。眠っているようにも見える。


 カナフさんによって付けられた傷を、修復しているんだ。


 カナフのことを思い出し、アマリアの瞳に涙があふれる。アマリアは、必死で嗚咽をこらえた。


「また、目覚めたのか」


 しまった――! オニキスに、気付かれた……!


 オニキスは、アマリアを正面から見つめていた。オニキスは、アマリアの手元に視線を移す。


「ああ。これは、一応取り上げておくか」


「あっ……!」


 オニキスは、アマリアの手から魔法の杖を取り上げ、遠くへ放り投げた。

 そしてオニキスは、金の瞳でアマリアを鋭く睨みつけながら、冷たい笑みを浮かべる。


「お前は、殺す。キアランの目の前で、無残に、な」


 アマリアは、叫んだ。


「殺しなさい! 今! 私を殺すなら、今……!」


 オニキスの手が伸びる。アマリアのほうへ。アマリアは、目を逸らすことも閉ざすこともなく、オニキスを睨み返し続ける。

 オニキスの手が、アマリアの細い首をへし折るのかと思った。

 オニキスの手のひらは、アマリアの頬にあった。


「どうして、お前は私を恐れない……?」


 冷たさを覚悟していた。氷のような、冷たい手の感触を想像していた。


「お前は、魔法を使う。私に、いったいなんの魔法を使ったのだ?」


 オニキスが、なにを問うているのか、アマリアにはまったくわからない。

 オニキスの手のひらは、意外なほどあたたかかった。

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