第166話 異質な存在、その心
血の味がする。
赤朽葉は、ハッとし、上半身を起こした。
「これは、いったい……」
青藍によって噛みちぎられてしまった肩は、骨が見えるほど深い傷になっていたが、肩口の血は乾いていた。それより驚いたのは、体力、魔の力が大幅に回復していたのだ。
そのうえ、どういうわけか、倒れていたはずの場所から移動している。感じる青藍の気配が遠い。
「よう。お前に合ったようで、よかったな」
不意に声が聞こえた。赤朽葉は、声のしたほうへ首を回す。
赤朽葉の目に映ったのは――、黒裂丸だった。
黒裂丸の右腕は、途中からなくなっていた。傷口が赤朽葉の傷同様、噛みちぎられたようになっている。
「まさか、お前――」
「青藍に、やられた。赤朽葉、お前もそうなんだろう?」
青藍は、己の回復のために黒裂丸に襲い掛かったのだという。そして、青藍へ攻撃を発射させようと右腕を向けたところ、腕の先端を食われたのだと、黒裂丸は淡々とした様子で話す。
「合わなかったらしい。俺との戦いは無意味と判断したのか、なんと卵の姿に化けやがった。あいつ、そんな真似ができるとはな」
青藍が、四聖のもとへ向かう黒裂丸の動きを嗅ぎ付け、襲い掛かったことまでは容易に想像がつく。それより、赤朽葉が疑問に思うのは――。
「黒裂丸――、お前、なぜ私に――」
なぜ、私に血を飲ませた。
赤朽葉の口の中に残る血の味。そして、不自然に早すぎる回復。黒裂丸が、自分の血を飲ませたのだ、赤朽葉はそう判断したが、黒裂丸のその行動の理由については、まったく理解不能だったのだ。
黒裂丸は、ただでさえ大きく裂けたような口をさらに大きく広げ、笑う。
「まあ、ついさっきまで同じ立場として働いていた、よしみってやつかな。流れ続ける血を、ただ無駄にすることもないと思っただけだ」
赤朽葉は、目を大きく見開き、それから信じられん、と呆れたようにため息をつく。
「たまたま、昨日から一緒にいただけだ。それも自分の意思ではなく。よしみってことはないだろう」
「充分すぎる理由じゃないか」
黒裂丸は、こともなげに笑う。赤朽葉は納得がいかず、自分が考えつく答えをぶつけてみた。
「それとも、なにか。共闘で、青藍を倒そうと思ったのか」
共闘で四天王に挑んだ場合、とどめを刺したほうだけが次の四天王になる。片方には利益がないわけだが、ひとりで戦うより、四天王を倒せる確率自体は増す。
「ああ。そういう手もあったか」
黒裂丸は、今気付いたとばかりに、なるほどとうなずく。
まったく、考えてなかったのか――!
赤朽葉は、じっと黒裂丸の目を見た。
「……私がお前を殺すかもしれないとは、思わなかったのか」
赤朽葉には、黒裂丸の急所が見えていた。黒裂丸は、自分とほぼ同程度の力だったのだ。
「お? お前も俺とやる気か? それは面白そうだな。お互い負傷している、条件としては五分五分だな」
黒裂丸は、身構えた。黒裂丸の全身から闘気がみなぎる。本気で戦う気らしい。そんな黒裂丸の様子を見た赤朽葉は、首を左右に振り、ゆっくりと立ち上がった。
「お前と今戦って、なんになる」
「なんだ、やらんのか」
黒裂丸は、拍子抜けしたような、少しつまらなそうな声を上げる。
「どれだけ戦いが好きなんだ、お前は」
赤朽葉は、呆れを通り越して、なにやらうらやましい思いすら抱く。
こいつは、自分が従者に生まれついたとか定められた運命だとか、疑問に思ったことすらないのだろうな――。
黒裂丸は、さて、と自分の右腕の傷口を覗き込み、血が渇き始めていることを確認する。身体の頑強さ、回復力は赤朽葉より優れているようだった。
「じゃあ、俺は行く。四聖の力を手に入れ、強くなって青藍を倒す。赤朽葉、お前より先にな」
黒裂丸の瞳に、強い光がみなぎっていた。
「俺はずっと、自分だけの力で高みに昇るつもりでいたが――。確実に強くなって、レッドスピネル様の仇を打つ!」
赤朽葉は、思わず息をのむ。
「黒裂丸、お前――」
黒裂丸は、二ッと笑う。わかっているぞ、と言っているかのような笑み。
「赤朽葉。お前も仇討ちだったのだろう?」
赤朽葉は口をつぐんだ。そんな気は、微塵もなかった。
「残念だったな。レッドスピネル様の無念は、俺が晴らす! じゃあな!」
操られた身でも、己の主人に心からの忠誠を誓っていたのか――。
赤朽葉は、今にも走り去ろうとする黒裂丸に、急ぎ声を掛ける。
「黒裂丸。私に血を分けた礼だ。教えてやる、青藍の急所は――」
「いらん!」
黒裂丸の予想外の返事に、赤朽葉は戸惑う。
「知りたくない、というのか……?」
「それはお前が命がけで得た情報だろう。それに、同じ立場で仕えていた、青藍に対する義にも反する。俺の性に合わん」
黒裂丸は、そう叫び返すと、あっという間に駆けていく。赤朽葉は、遠ざかる黒裂丸の筋肉質の背を、黙って見送っていた。
赤朽葉は、ひとり呟く。
「なんてやつだ――」
赤朽葉の心に、もう何年も何十年も忘れていた、かすかな記憶がふとよぎる。
赤目。私の片割れ。やつは今、どうしているのだろう。
現在の四天王のうちの誰かに仕えているのだろうか。従者として生きることに心から喜びを感じていると言っていた、双子のきょうだい、赤目。魔の者としては非常に稀な、同じ卵から生まれた存在。
赤目。お前は今も、従者という使命に誇りを感じているのだろうか……?
赤朽葉の足なら、容易に黒裂丸を追い越すことができる。四聖の居場所を早く正確に探し当てることもできる。だが、赤朽葉は――。
傷がほぼ癒えている今も、風雪と氷の世界の中で、ただぼんやりと立ち尽くしていた。
アマリアは、目を覚ます。
また、オニキスの術で気を失っていたんだわ……!
アマリアは、自分のそばにいると思われるオニキスに気づかれないよう、今の自分の状態や周囲の状況を探ろうとした。
アマリアは、自分が雪の上に横たわっていることに気付く。でも、不思議と冷たさを感じない。
全身、黒いものに絡められているようだった。
これは……、髪……?
オニキスの長い髪が、ゆるやかに巻き付いていた。雪の冷たさを感じないのは、そのせいだった。
アマリアの手には、シトリンの魔法の杖が握られたままだった。アマリアは安堵する。気を失いながらも、ちゃんと魔法の杖を握りしめていたのだ。
ゆっくりと、自分を拘束する髪の根元のほうへ、オニキス本体のほうへと視線を走らせる。
オニキスは、アマリアのすぐそばで目を閉じ横たわっていた。眠っているようにも見える。
カナフさんによって付けられた傷を、修復しているんだ。
カナフのことを思い出し、アマリアの瞳に涙があふれる。アマリアは、必死で嗚咽をこらえた。
「また、目覚めたのか」
しまった――! オニキスに、気付かれた……!
オニキスは、アマリアを正面から見つめていた。オニキスは、アマリアの手元に視線を移す。
「ああ。これは、一応取り上げておくか」
「あっ……!」
オニキスは、アマリアの手から魔法の杖を取り上げ、遠くへ放り投げた。
そしてオニキスは、金の瞳でアマリアを鋭く睨みつけながら、冷たい笑みを浮かべる。
「お前は、殺す。キアランの目の前で、無残に、な」
アマリアは、叫んだ。
「殺しなさい! 今! 私を殺すなら、今……!」
オニキスの手が伸びる。アマリアのほうへ。アマリアは、目を逸らすことも閉ざすこともなく、オニキスを睨み返し続ける。
オニキスの手が、アマリアの細い首をへし折るのかと思った。
オニキスの手のひらは、アマリアの頬にあった。
「どうして、お前は私を恐れない……?」
冷たさを覚悟していた。氷のような、冷たい手の感触を想像していた。
「お前は、魔法を使う。私に、いったいなんの魔法を使ったのだ?」
オニキスが、なにを問うているのか、アマリアにはまったくわからない。
オニキスの手のひらは、意外なほどあたたかかった。




