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天風の剣  作者: 吉岡果音
第十章 空の窓、そしてそれぞれの朝へ
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第165話 ワガトモ、そして自由な空

 黒い影が、忍び寄る。

 蒼井は、ハッとし振り返る。


「貴様は、オニキス――!」


 四天王オニキスが、立っていた。


「オニキス……!」


 遅れて、アマリアとカナフがその名を叫ぶ。

 皆の治療などに専心していたアマリアとカナフは、蒼井の声でようやくその存在に気が付いたようだった。

 気が付けば、強大な、圧倒するような魔の波動。オニキスは巧妙に、狡猾に、己の気配を消すことができた。

 風雪に黒髪をなびかせ、オニキスは静かな笑みを浮かべていた。


「ふふ、見つけたぞ――、アマリア――」


「アマリア?」


 蒼井が、思わず聞き返す。

 オニキスが目の前の自分を通り越し、高次の存在のカナフでもなく、人間アマリアを注視していることが、理解できない、と感じていたのだ。

 勢いよく突き抜ける、まっすぐな光。

 蒼井が、オニキスに向け衝撃波を放っていた。

 しかしオニキスの姿は、すでにそこにはなく、空にあった。


「そんな攻撃が、当たると思ったのか」


 オニキスは、地上の蒼井を見下ろし笑う。

 蒼井も、空へ飛び立つ。


「蒼井さん!」


 アマリアが、シトリンの魔法の杖を空に掲げていた。


「大気の聖霊よ、親愛なる我が友蒼井に、加護の力を――!」


「『シンアイなるワガトモ蒼井』?」


 思わず、蒼井が聞き返す。棒読みだった。

 蒼井に向けて送ったアマリアの「守護の魔法」だが、自分がそのように称されたことに、驚いていたのだ。


「親愛なる我が友蒼井、です!」


 カナフが続けて叫ぶ。


「呪文に名を入れることで、より守護の術が強化されるのです」


 カナフも、蒼井に護りの術を送っていた。

 蒼井は、二つの清らかな光に包まれていた。


「親愛。我が友」


 蒼井は呟き、首を傾げる。


 友――。


 蒼井の目が、かすかに輝く。ゆっくりと、あたたかな気持ちが広がるようだった。


「うむ」


 蒼井は、ひとりうなずく。


「そうか。わかった。承知した」


 蒼井は、心の中で「友だち承認」していた。アマリアとカナフ、ダブルで。

 蒼井は、オニキスに向き直る。


「貴様の相手は、この私だろう。どう考えても」


 オニキスは、鼻で笑う。


「貴様のような小物が、なにを言う」


 どす黒いエネルギーが集まる。


 ドン――!


「私の邪魔をするな」


 強い光。

 オニキスが、衝撃波を放つ。

 蒼井は――。

 落ちていく。前方に吹き飛ばされながら、落ちていく。


「蒼井さんーっ!」


 蒼井の耳に届くのは、地上のアマリアとカナフの声。

 ライネたち、他の人間たちも名を呼んでくれているらしい。

 二つの護りの力。おかげで、原型は留めていた。

 蒼井は、ぼんやりと心の中で繰り返す。


 シンアイ。ワガトモ。


 いい響きだ、と思った。

 笑みが、浮かぶ。しかし、どうも皮膚が引きつる。顔や体の前面が、焼けただれてしまっているに違いない。


 シトリン様。


 蒼井は、自分の主の顔を思い浮かべながら、謝罪していた。


 申し訳ございません。この私としたことが――。キアランをひれ伏させることが、できませんでした――。


 それから、と蒼井は考える。


 (みどり)。シトリン様のこと、頼んだ――。

 

 全身打ち付ける風。重力を、感じる。

 氷の大地が、蒼井を迎え入れようとしていた。




「よくも、蒼井をっ……!」


 ライネが、立ち上がろうとした。ダンと、ソフィアも、苦しそうな息をしつつ、なんとか立ち上がろうとする。


「だめ、みんな! まだ傷口が……!」


 アマリアが、慌てて皆を止める。


「他の連中のことを気にしている場合では、ないんじゃないのか?」

 

 アマリアは、息をのむ。ついさっきまで空にいたはずのオニキスが、すぐ目の前にいた。

 音も立てず、気配も見せず。


「氷の精霊――」


 アマリアが、攻撃呪文を放とうとした。


「うっ……!」

 

 アマリアの口を、オニキスの大きな右手のひらが覆う。


「こうすれば、呪文とやらは出せんのだろう?」


 声に出せずとも、念じることで魔法は発動できる。しかし、集中力を欠いた状態での「念」による魔法、ただでさえ強大な力の四天王相手に、その効力は微々たるものだった。

 爆発音。オニキスの体に、光が走る。

 ダンとライネの、魔法攻撃だった。


「……効かんなあ。衰弱した人間の魔法など」


「オニキスーッ!」


 剣を構えたソフィアが、突進していた。


「うっ……」


 雪煙を上げながら、うめき声を上げるソフィア。オニキスに、軽く蹴り飛ばされていた。


「愚かな。弱弱しい人間の攻撃が、この私に通用するはずがなかろう」


 ふう、とオニキスはため息をつく。


「まったく。弱いな。人間というやつは」


「やめなさい! オニキスッ……!」


 カナフが、立ちはだかる。


「ほう、戦えないお前、しかも、本来中立であるべき存在のお前が、どうしようと?」


 カナフは、木の枝を握りしめているようだった。

 オニキスは、あざ笑う。


「ばかな。高次の存在は、戦う力を持てないはず! ましてや、そんな木の枝でいったいなにが――」


 ドッ……。


 不思議だった。

 カナフの木の枝が、一瞬にして長く伸びていたのだ。

 そして、よく見れば、カナフは木の枝を手にしていたのではなかった。

 カナフの人差し指が、木の枝のようになっており、それが伸びていたのだ。

 長く伸びた枝は、オニキスの急所、心臓に当たる場所へと向かっていた。長く、長く。

 油断したオニキスの胸元、皮膚を突き破り、肉を突き破り――。

 吹き荒れる雪嵐。雷鳴もとどろく。高次の存在のオーレを取り込んでいるオニキス、影響は減ってはいるが、高次の存在との戦いによるエネルギーの爆発が生じていた。

 とはいえ、今までのエネルギーの衝突の影響と比べると、だいぶ少ないようだった。遠方から、他の高次の存在たちが、調整のエネルギーを送っているおかげなのかもしれない。


「なぜ、こんなことが――」


 オニキスが激痛に顔を歪めながら、信じられない、といったように呟く。

 見たことも聞いたこともなかった。高次の存在が攻撃するなど。

 カナフは、笑う。苦しそうに肩で息をしながら。


「私たち……。高次の存在は、人や魔の者と違う、特殊な生き物です」


 空を稲妻が走り続ける。まるで、暴れ狂う竜のように。


「今更、なにを――」


 カナフは、淡々と話を続ける。


「高次の存在は、この世界の中心にある、一本の神聖な大樹の種から生まれます」


「なに……? なにを言っている……?」


 オニキスは問う。己の体に侵入し続ける木の枝を手で掴みながら。


「戦うことのできない私たち。もし、戦うということがあるとすれば――」


 ぽとり。


 カナフの背から落ちる、二つの――、白い翼。


「それは、高次の存在でなくなるとき――」

 

 そう告げてから、カナフはささやくように呟く。


「キアラン。オーレ。約束を守れなくて、すみません――」


 カナフの瞳は、最後に空を映す。この地では厚い雲に覆われ遮られているけれど、どこまでも高く広い、自由な空を――。


 ざあっ……。


 強く雪が吹き付ける。雷鳴は、消えていた。

 白い雪つぶての一陣が消え去ると、オニキスとアマリアの目の前には――。


「木……!」


 カナフの姿はそこにはなく、一本の若木があるだけだった。

 金色の葉をつけた、凛と立つ若木――。誰も見たことがない、木だった。美しく、きっと世界にただ一本しかない木――。


「カナフさんーっ!」


 アマリアが、叫ぶ。


「こしゃくな真似を……!」


 オニキスは、木の枝をへし折り、勢いよく引き抜く。胸元から血が、噴き出る。木の枝がオニキスの急所に到達することはなかった。


「カナフさん……」


 爆発的なエネルギーが、収束していた。今吹き荒れているのは、聖地ノースストルム峡谷の、いつも通りの雪嵐。

 アマリアの目から、涙がこぼれ落ちる。雪原に膝をつくアマリア。

 

「まあいい……」

 

 オニキスの冷ややかな声に、我に返り、アマリアは見上げた。

 黒い影が、覆いかぶさる――。


「お前を、捕らえることができた――」


 オニキスの目が、光る。

 アマリアは意識を失ったのか、その場に倒れこむ。


「ふふ……、貴様の命は、私の手の中にある……!」


 オニキスは、アマリアを抱え、その場を飛び去る。

 雪原にそぐわない金色の葉が、ざわざわと揺れていた。

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