第165話 ワガトモ、そして自由な空
黒い影が、忍び寄る。
蒼井は、ハッとし振り返る。
「貴様は、オニキス――!」
四天王オニキスが、立っていた。
「オニキス……!」
遅れて、アマリアとカナフがその名を叫ぶ。
皆の治療などに専心していたアマリアとカナフは、蒼井の声でようやくその存在に気が付いたようだった。
気が付けば、強大な、圧倒するような魔の波動。オニキスは巧妙に、狡猾に、己の気配を消すことができた。
風雪に黒髪をなびかせ、オニキスは静かな笑みを浮かべていた。
「ふふ、見つけたぞ――、アマリア――」
「アマリア?」
蒼井が、思わず聞き返す。
オニキスが目の前の自分を通り越し、高次の存在のカナフでもなく、人間アマリアを注視していることが、理解できない、と感じていたのだ。
勢いよく突き抜ける、まっすぐな光。
蒼井が、オニキスに向け衝撃波を放っていた。
しかしオニキスの姿は、すでにそこにはなく、空にあった。
「そんな攻撃が、当たると思ったのか」
オニキスは、地上の蒼井を見下ろし笑う。
蒼井も、空へ飛び立つ。
「蒼井さん!」
アマリアが、シトリンの魔法の杖を空に掲げていた。
「大気の聖霊よ、親愛なる我が友蒼井に、加護の力を――!」
「『シンアイなるワガトモ蒼井』?」
思わず、蒼井が聞き返す。棒読みだった。
蒼井に向けて送ったアマリアの「守護の魔法」だが、自分がそのように称されたことに、驚いていたのだ。
「親愛なる我が友蒼井、です!」
カナフが続けて叫ぶ。
「呪文に名を入れることで、より守護の術が強化されるのです」
カナフも、蒼井に護りの術を送っていた。
蒼井は、二つの清らかな光に包まれていた。
「親愛。我が友」
蒼井は呟き、首を傾げる。
友――。
蒼井の目が、かすかに輝く。ゆっくりと、あたたかな気持ちが広がるようだった。
「うむ」
蒼井は、ひとりうなずく。
「そうか。わかった。承知した」
蒼井は、心の中で「友だち承認」していた。アマリアとカナフ、ダブルで。
蒼井は、オニキスに向き直る。
「貴様の相手は、この私だろう。どう考えても」
オニキスは、鼻で笑う。
「貴様のような小物が、なにを言う」
どす黒いエネルギーが集まる。
ドン――!
「私の邪魔をするな」
強い光。
オニキスが、衝撃波を放つ。
蒼井は――。
落ちていく。前方に吹き飛ばされながら、落ちていく。
「蒼井さんーっ!」
蒼井の耳に届くのは、地上のアマリアとカナフの声。
ライネたち、他の人間たちも名を呼んでくれているらしい。
二つの護りの力。おかげで、原型は留めていた。
蒼井は、ぼんやりと心の中で繰り返す。
シンアイ。ワガトモ。
いい響きだ、と思った。
笑みが、浮かぶ。しかし、どうも皮膚が引きつる。顔や体の前面が、焼けただれてしまっているに違いない。
シトリン様。
蒼井は、自分の主の顔を思い浮かべながら、謝罪していた。
申し訳ございません。この私としたことが――。キアランをひれ伏させることが、できませんでした――。
それから、と蒼井は考える。
翠。シトリン様のこと、頼んだ――。
全身打ち付ける風。重力を、感じる。
氷の大地が、蒼井を迎え入れようとしていた。
「よくも、蒼井をっ……!」
ライネが、立ち上がろうとした。ダンと、ソフィアも、苦しそうな息をしつつ、なんとか立ち上がろうとする。
「だめ、みんな! まだ傷口が……!」
アマリアが、慌てて皆を止める。
「他の連中のことを気にしている場合では、ないんじゃないのか?」
アマリアは、息をのむ。ついさっきまで空にいたはずのオニキスが、すぐ目の前にいた。
音も立てず、気配も見せず。
「氷の精霊――」
アマリアが、攻撃呪文を放とうとした。
「うっ……!」
アマリアの口を、オニキスの大きな右手のひらが覆う。
「こうすれば、呪文とやらは出せんのだろう?」
声に出せずとも、念じることで魔法は発動できる。しかし、集中力を欠いた状態での「念」による魔法、ただでさえ強大な力の四天王相手に、その効力は微々たるものだった。
爆発音。オニキスの体に、光が走る。
ダンとライネの、魔法攻撃だった。
「……効かんなあ。衰弱した人間の魔法など」
「オニキスーッ!」
剣を構えたソフィアが、突進していた。
「うっ……」
雪煙を上げながら、うめき声を上げるソフィア。オニキスに、軽く蹴り飛ばされていた。
「愚かな。弱弱しい人間の攻撃が、この私に通用するはずがなかろう」
ふう、とオニキスはため息をつく。
「まったく。弱いな。人間というやつは」
「やめなさい! オニキスッ……!」
カナフが、立ちはだかる。
「ほう、戦えないお前、しかも、本来中立であるべき存在のお前が、どうしようと?」
カナフは、木の枝を握りしめているようだった。
オニキスは、あざ笑う。
「ばかな。高次の存在は、戦う力を持てないはず! ましてや、そんな木の枝でいったいなにが――」
ドッ……。
不思議だった。
カナフの木の枝が、一瞬にして長く伸びていたのだ。
そして、よく見れば、カナフは木の枝を手にしていたのではなかった。
カナフの人差し指が、木の枝のようになっており、それが伸びていたのだ。
長く伸びた枝は、オニキスの急所、心臓に当たる場所へと向かっていた。長く、長く。
油断したオニキスの胸元、皮膚を突き破り、肉を突き破り――。
吹き荒れる雪嵐。雷鳴もとどろく。高次の存在のオーレを取り込んでいるオニキス、影響は減ってはいるが、高次の存在との戦いによるエネルギーの爆発が生じていた。
とはいえ、今までのエネルギーの衝突の影響と比べると、だいぶ少ないようだった。遠方から、他の高次の存在たちが、調整のエネルギーを送っているおかげなのかもしれない。
「なぜ、こんなことが――」
オニキスが激痛に顔を歪めながら、信じられない、といったように呟く。
見たことも聞いたこともなかった。高次の存在が攻撃するなど。
カナフは、笑う。苦しそうに肩で息をしながら。
「私たち……。高次の存在は、人や魔の者と違う、特殊な生き物です」
空を稲妻が走り続ける。まるで、暴れ狂う竜のように。
「今更、なにを――」
カナフは、淡々と話を続ける。
「高次の存在は、この世界の中心にある、一本の神聖な大樹の種から生まれます」
「なに……? なにを言っている……?」
オニキスは問う。己の体に侵入し続ける木の枝を手で掴みながら。
「戦うことのできない私たち。もし、戦うということがあるとすれば――」
ぽとり。
カナフの背から落ちる、二つの――、白い翼。
「それは、高次の存在でなくなるとき――」
そう告げてから、カナフはささやくように呟く。
「キアラン。オーレ。約束を守れなくて、すみません――」
カナフの瞳は、最後に空を映す。この地では厚い雲に覆われ遮られているけれど、どこまでも高く広い、自由な空を――。
ざあっ……。
強く雪が吹き付ける。雷鳴は、消えていた。
白い雪つぶての一陣が消え去ると、オニキスとアマリアの目の前には――。
「木……!」
カナフの姿はそこにはなく、一本の若木があるだけだった。
金色の葉をつけた、凛と立つ若木――。誰も見たことがない、木だった。美しく、きっと世界にただ一本しかない木――。
「カナフさんーっ!」
アマリアが、叫ぶ。
「こしゃくな真似を……!」
オニキスは、木の枝をへし折り、勢いよく引き抜く。胸元から血が、噴き出る。木の枝がオニキスの急所に到達することはなかった。
「カナフさん……」
爆発的なエネルギーが、収束していた。今吹き荒れているのは、聖地ノースストルム峡谷の、いつも通りの雪嵐。
アマリアの目から、涙がこぼれ落ちる。雪原に膝をつくアマリア。
「まあいい……」
オニキスの冷ややかな声に、我に返り、アマリアは見上げた。
黒い影が、覆いかぶさる――。
「お前を、捕らえることができた――」
オニキスの目が、光る。
アマリアは意識を失ったのか、その場に倒れこむ。
「ふふ……、貴様の命は、私の手の中にある……!」
オニキスは、アマリアを抱え、その場を飛び去る。
雪原にそぐわない金色の葉が、ざわざわと揺れていた。




