第162話 絶対、また会おうねっ。
翠……!
キアランは息をのむ。
四天王青藍の、爆発のような衝撃波の影響が消え、雪の大地があらわになる。
つい先ほどまで、青藍の足にしがみついていた翠の姿は――、どこにもない。
「翠―っ!」
空中に停止し続けるシトリンに、抱えられたキアラン。翠のいたはずの大地に向け、あらん限りの声を張り上げた。
翠……、翠……! まさか、お前が死ぬなんてことは――。
青藍の足元の大地は、かすかに湯気を上げ、ぽっかりと大きな穴が開いているだけだった。
「翠……! くそっ……。なんてことを……!」
キアランの叫び声をよそに、青藍はシトリンを見上げ、呟く。
「四天王か……。幼いとはいえ、強い波動――。我が主レッドスピネル様よりあきらかに格上――」
青藍の胸元と、切り取られた腕の傷口から、血が流れ続けている。
「あなたがたは、非常に興味深い取り合わせですが――。まあ、それは私にとってどうでもよいこと。その魅力的な剣も――、今は保留とすることにしますか――」
ザアッ……!
風が、渦を巻いたのかと思った。雪煙を上げ、あっという間に青藍が飛び立っていた。
「あっ! 逃げる気!」
シトリンが叫ぶ。
キアランによって深く傷を負わされた青藍は、今、四天王シトリンと戦うことは不利であると判断したようだった。
青藍は信じられないくらいの速さで、低空飛行をしていた。そしてその飛んで行く方角は、あきらかに守護軍の結界、四聖たちのいる所――。
キアランを抱えたまま、シトリンは青藍を追うように全力で飛ぶ。
ごうごう、と冷たい風が全身を打ち付け、息ができなくなるくらいだった。
シトリン、頼んだ――!
まるで白い風のトンネルのような中、キアランの瞳は、雪つぶての向こうの青藍を必死に追い続ける。
「えいっ!」
シトリンは、雪原と空の境界を飛行し続ける青藍に、後方から衝撃波を放つ。
シトリンの衝撃波は、青藍ではなく、青藍のすり抜けた後の木々に命中していた。轟音を立て木々が倒れ、盛大に雪煙が上がる。
「当たらないっ」
シトリンは苛立ち叫ぶ。青藍と同様、木々の間を縫うように飛ぶシトリンも速度を上げ続けているが、青藍との距離は縮まらず、広がる一方だった。
「シトリン、翠は――」
キアランは、かすかな希望を抱き始めていた。死体が残らないほど翠は吹き飛ばされてしまったのかと思っていたが、シトリンの様子が意外なほど冷静で、動揺も見られないので、もしかしたら翠は無事なのではないか、そう思い始めていたのだ。
シトリンの声は――、キアランの淡い期待を裏切ることなく、あっけらかんとしていた。
「翠は大丈夫だよ」
「ほんとかっ、シトリン……!」
キアランの胸いっぱいに、喜びが広がる。
「だって、土の中は翠の得意分野だもん」
そうだった。ついさっきも、翠は雪深い土の中を自在に移動していたではないか――、キアランは、そんな大事なことを忘れて心配していた自分を、明るく笑い飛ばしたい気分になっていた。
「でも、しばらくは休ませないと。無理は、絶対にできない」
シトリンの、淡々とした声。感情を殺したように、抑揚のない声だった。それが、翠の状況が深刻であるということを、否が応でも表していた。
そうだ――。ほとんど不死身で不可能なことなどないように思える魔の者も、魂がひとつしかない、生き物であるということには変わりないのだ――。
キアランは、翠の無事を強く願う。
「死んじゃだめって、絶対命令って、言っておいたから、無理はしないはずだけど」
シトリンの声が、途中からかすかに震えていた。
シトリンも、本当は翠が無事であるか、不安なんだ――。
そのときはっきりと、シトリンが無感情なのではなく、気丈に涙をこらえているのだということに気づく。キアランは、自分の体を支え続けているシトリンの小さな手に、しっかりと自分の左手を重ねた。
「シトリン。大丈夫だ。翠は、シトリンの命令に背くことは絶対にしない。だから、翠は大丈夫なんだ」
キアランの励ましに、あたたかく包み込むような大きなキアランの手のひらのぬくもりに、こくん、とシトリンはうなずいた。
「……キアラン。落ち着いて聞いてね」
今話すかどうするか、シトリンは迷っていたようだったが、知っておいたほうがいいと判断したのか、キアランに報告を始めた。
「シルガーも黒羽おねーちゃんも、だいぶやられてた。白銀おじーちゃんも、気配が弱弱しい。あの四天王と一緒にいた他の従者たちも、こっちに向かってきてるみたい。今のじょうきょうとして、結構、厳しいのかも」
「そうか……」
翠だけじゃなく、シルガーたちも深く傷を負い、激しく疲弊している――。キアランはショックを受けつつ、前を見据えるように顔を上げた。
「教えてくれてありがとう。皆の容態がとても心配だが……、でもみんな、生きているんだな……?」
「うんっ」
「よかった――」
激しい戦いの中、皆が生き抜いていることに、キアランは天に感謝したい気持ちだった。
ひるむことなく突き進むシトリンとキアランの全身を、風雪が激しく叩き続ける。
「あっ……!」
青藍との間に、だいぶ距離ができていた。その青藍の周りに、激しい光が見え、大きな爆発音が聞こえてきた。
「あれは……?」
誰かが、青藍を攻撃していると思った。
「魔の者じゃない。人間の、魔法攻撃ね」
守護軍のみんなか……!
青藍は、守護軍――オリヴィアやテオドルたち――の間近に迫っていた。
キアランは、見た。
強い光を。青藍の体から、強いエネルギーが放たれる様を――。
「みんなっ……!」
青藍は、迎え撃つ守護軍に対し、衝撃波を放っていた――。
眠り続ける黒羽。
「花紺青殿、深く感謝する。黒羽は、なにがあってもわしが守り抜く。ぼろぼろの爺だが、楽をさせてもらってだいぶ回復してきた。相手が並みの魔の者程度だったら、なんとか戦えそうじゃ」
白銀は、黒羽のそばへ連れてきてくれた花紺青に、心から礼を述べていた。
「白銀さん。無理はしないで、敵が来てもうまく逃げてね」
「ああ。無理はせん。なんとしても、黒羽を守りたいからな」
白銀のしわくちゃな笑顔を見て、花紺青は少し安堵していた。
「……じゃあ、僕はキアランのところへ行くよ」
黒羽と白銀のことも心配だったが、花紺青は一刻も早くキアランと合流しなくては、と思っていた。
足元に、黒羽と赤朽葉の激闘によって折れたと思われる、細いシラカバの幹が落ちていた。花紺青は、そのシラカバを手にする。そして、そっと話しかけた。
シラカバさん。僕と一緒に来てくれる?
花紺青の心に、いくつもの季節を生きてきたシラカバの記憶が流れ込んできた。雪、雨、あたたかな日差し、四季折々の森の香り、風の音、駆け抜けていく生き物たち――。
シラカバさん。今まで、たくさんの美しい景色や生き物たちを見てきたんだね。
シラカバは、花紺青に話しかけられ、嬉しそうにうなずいている――、と花紺青は受け取る。
シラカバと花紺青は、確かに微笑みを交わしていた。
白銀が、改めて花紺青に頭を下げ、それから花紺青の無事を祈る。
「花紺青殿。どうかご無事で」
「白銀さんと黒羽さんこそ、どうか気を付けて」
花紺青は後ろ髪を引かれるような思いを抱きつつ、シラカバの幹の上に乗った。シラカバは、花紺青の力で、宙に浮かび始めた。
「絶対、また会おうねっ」
黒羽と白銀に向け、大きく手を振る。
花紺青を乗せたシラカバが、空を飛ぶ。




