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天風の剣  作者: 吉岡果音
第十章 空の窓、そしてそれぞれの朝へ
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第152話 赤い風

「聖なる雪よ、風と共に魔を討ち砕け!」


 ライネの呪文が、森に響く。


「白の精霊、氷となりて魔を貫け……!」


 ダンの魔法も、風のように雪の大地を走る。


 オオオオオ……!


 不気味な唸り声を上げ、三つの頭を持ち、四本の丸太のような腕を持った魔の者が、消え去った。


「ダン、ライネ……。大丈夫?」


 息を切らしながら、ソフィアが声をかける。ソフィアも、今消え去った魔の者と剣で応戦していた。


「さすがに、この辺まで来る奴は、強いな……」


 ライネも、肩で息をしている。


「シトリンたちからもらった杖や盾を使っても、三人がかりで、ようやくだ」


 ダンは、荒い息とともに言葉を吐き出す。

 ダンの深みのある茶色の瞳は、雪の向こう、白い木々の向こうを見据えていた。


「……四天王が、この先にいるな」


「ああ。どうも、この感じ……。初めて会うやつみてえだな」


 ダンとライネの言葉を聞き、ソフィアは驚く。


「えっ。初めて会う四天王って……! そんなのまで、来てるの!? じゃ、じゃあ……、パール、オニキス、そしてさらに、その知らないもう一体っていうやつが襲ってくるっていうの!?」


 キアランと花紺青(はなこんじょう)が飛び立ってから、ライネとダンとソフィアは、三人で力を合わせ、すでに四体の魔の者を倒してきた。いくらそれぞれ特別に強い個体とはいえ、倒してきた四体は通常の魔の者、従者でもない――。四天王とはあきらかに格が違う。


「いや……。パールは来ない」


 ダンが、ぼそりと呟く。ダンやライネも、大きなエネルギーの変化を肌で感じ取り、パールが倒されたことを知っていた。


「え」


「今、四天王となっているのは――」


 ザザザザザ……!


「! 来る……!」


 ものすごい速度で、なにかが近付いてきていた。木々をなぎ倒し、雪や氷を砕きながら、なにかが近付いてくる――。


「四天王だ……!」


 ライネの叫び声が、ソフィアの耳に届く。

 それは、剣士としての勘だったのだろうか。しかし、盾自身の判断も、あったようだ。

 迫りくる赤い光。

 ソフィアは、蒼井の盾をかざしていた。




「なにか、いたようでしたな」


 通り過ぎてから、雪の積もった大地に着地し、振り返る。それは、三対の腕、背に青く大きな翼を持つ従者だった。


「人間と、馬でしょう」


 もう一体の魔の者が、呟く。鼻と口が異様に突き出ている従者だ。


「強い道具を持っていた。人間としては、今まで見たことがないほど強い」


 もう一体の魔の者も、呟く。太い両腕を持ち、耳まで裂けた口を持つ従者。


「レッドスピネル様。戻りましょうか」


 気配が、消えていた。人間がいたとおぼしき一帯が、盾の力で守られ、エネルギーが隠されているようだった。


「人間たちは、四聖(よんせい)を守護する者のようです。四聖(よんせい)はおりません」


 鼻と口が突き出ている従者は、ひくひくと鼻先を動かしていた。彼には、人間たちの放つエネルギーの性質と、今いる正確な場所が、手に取るようにわかるようだった。


 ギ。ギ。


 四天王レッドスピネルが、虫が羽をこすり合わせて出す音のような声を発する。


「そうですか。戻るまでも、ありませんね。この先にもきっと、同じような連中がたくさんいるでしょうから」


 赤い風が、森を切り裂いていく。




「ダン! ライネ! ソフィアさん……!」


 キアランは、皆の名を叫んでいた。

 雪上には、おびただしい血。

 

「兄さん……! ソフィアさん……、ライネさん……!」


 アマリアは両手で口を覆い、冷たい雪の上に膝をつく。

 惨状だった。

 ダン、ライネ、ソフィア、それから、それぞれの馬たち、キアランの愛馬フェリックスと、皆の後をついていくように走ってきたアマリアの愛馬バームスも倒れていた。


「まだ、みんな、息がある……!」


 皆の容態を確認したキアランの声に、アマリアはハッと我を取り戻し、急いで治癒の魔法を施し始めた。

 馬たちも、皆生きていた。


「くそっ……! オニキスにやられたのか……!」


 キアランの呟きに、意識を取り戻したライネが答える。


「いや……。初めて見る……、四天王たち、だ……。やつらが、通り過ぎただけで、俺たち、は……」


「通り過ぎた、だけ!?」


 キアランは驚き叫んでいた。まさか、それだけで皆が――。


「ああ……。赤い風……。たぶん、四天王の、破壊の力だ……。衝撃波の、一種だろう……。ソフィアの盾で、なんとか助かったが……。う、いってぇ……」


「しゃべるな、ライネッ。じっと、じっとしていろ……」


 キアランの目に、光る涙。ライネは、首を振ってキアランに促す。


「キアラン……。四聖(よんせい)を……、他の皆を……、早く……」


「ライネ……!」


 四聖(よんせい)たちを、守るように、と。ライネは、無理に笑顔を作る。それはおそらく、これ以上キアランが足を止めないように、と。


「それから――。オリヴィアさんも……。頼む」


「ああ、ああ! もちろんだ、もちろんだとも……!」


 キアランに向かって、すがるように上げたライネの手が、震えていた。キアランは、ライネを励ますようにライネの手をしっかりと握る。


「ほんとは、俺が、行きてーんだけど……。かっこよく、な……」


 かっこ悪ぃ、だっせえ、とライネは自嘲し笑う。キアランは、かっこいい、わかったから、お前はかっこいいぞ、と思いつく言葉を、涙をにじませながら叫んでいた。

 アマリアは、懸命に治癒の魔法を皆に送り続けていた。広範囲、馬を含めて大勢の治療、どうしても一人一人の効果は薄くなってしまうようだった。

 ダンとソフィア、馬たちも、ライネ同様に意識を取り戻していたが、体を起こすのも、ままならないようだった。

 シトリンが、アマリアの前に立つ。


「アマリアおねーちゃん。これを使って」


 シトリンが、アマリアに魔法の杖を差し出す。一度体の中にしまった、「武器となるもの」だった。


「シトリンちゃん――」


「治癒のまほーの力も、これを使ったほうが、きっと強くなるから」


「ありがとう……、シトリンちゃん――!」


 シトリンは、キアランのほうへ向き直る。


「ここはアマリアおねーちゃんに任せて、行こう。キアラン」


 シトリンの提案に、キアランは躊躇する。アマリアや、ひどく負傷した皆を、ここに置いていっていいものか、と。


「大丈夫。蒼井に、皆を守ってもらうから。オニキスや他の魔の者がここに、うーん、来ないとは思うけど、もし来ても、なんとかなるように」


 そのときのシトリンやキアランたちの判断では、オニキスや他の魔の者の狙いはあくまで四聖(よんせい)、アマリアやダンたちをわざわざ見つけ出すようなことはしないだろう、そう考えていた。そう考えるのが、自然だった。

 オニキスの心の変化がわからない、今は――。


「私たちは、四聖(よんせい)のほうへ。シルガーたちも、行ってるとは思うけど」


 キアランはうなずき、愛馬フェリックスのそばでひざまずく。


「ごめん、ごめんな。フェリックス、皆――」

 

 フェリックスをはじめとする馬たちそれぞれ、一頭一頭のたてがみを撫でた。

 フェリックスは顔を上げ、キアランの頬に流れる涙を、大きな舌でぺろりと舐める。あたたかな、確かに生きている命の感触――。


「フェリックス……! 待っててくれ……! 必ず、戻る……!」


 キアランは誓い、キアランに応えるように顔を上げたフェリックスを、いたわるように抱きしめた。


「キアランさん。皆のことは、大丈夫だから、私に任せて――!」


 アマリアの気丈な声に、キアランはうなずく。


「アマリアさん……。ごめん。どうか、気を付けて――」


 キアラン、と花紺青(はなこんじょう)がキアランを小突く。

 キアランが花紺青(はなこんじょう)に視線を落とすと、花紺青(はなこんじょう)とフェリックスが、キアランになにかを促している。

 きらきらとした、瞳で。笑顔で。


『アマリアさんにも、ハグを』


 花紺青(はなこんじょう)とフェリックスの笑顔は、確実に、そう訴えていた。

 キアランは、アマリアを抱きしめた。

 一瞬の、抱擁。キアランの胸に、心に、アマリアのぬくもりが広がる。


「シトリン様。この蒼井にお任せを」


 蒼井は、シトリンに一礼してから、キアランのほうへ向く。


「キアラン。任せろ。有能な、この蒼井に。私の有能さに、お前はいつかひれ伏すであろう」


「ありがとう。蒼井。頼む――」


 蒼井の無駄口はすべてスルーして、キアランは頭を下げた。蒼井は、腕を組み満足そうにうなずく。

 キアランは(みどり)花紺青(はなこんじょう)はシトリンに抱えられ、ノースストルム峡谷へと飛び立つ。


「ひれ伏すがいいー」


 キアランが地上を振り返ると、蒼井が叫びながら無表情で手を振っていた。


 アマリアさん。皆……。


 小さくなるアマリアや皆を、振り切るようにキアランは空を見据える。

 アマリアのぬくもりが、ライネの手の体温が、フェリックスの息吹が、降りしきる雪の中でも消えることなくいつまでも、キアランの心の灯のように、あたたかく灯り続けていた。

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