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天風の剣  作者: 吉岡果音
第九章 海の王
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第127話 怒りに突き動かされるのではなく

 なにか、胸騒ぎがする――。


 ギャアギャアと、夕空に黒い鳥の声が響く。

 キアランは、フェリックスの手綱を握りつつ、落ち着かない心持ちでいた。

 キアランとシルガーと花紺青(はなこんじょう)は、シルガーの作った空間を移動し、ダンとライネは陸路を進む。

 白銀(しろがね)黒羽(くろは)は、ダンとライネについていくようだった。

 と、いうのも白銀(しろがね)黒羽(くろは)が申し出ていた。


「私たちは、アンバー様の仇を討ちたい。とはいえ、私たちの力ではあの四天王に到底かなわないのは、わかっている。お前たちと共に動き、お前たちと共に戦いたい」


 ダンとライネは顔を見合わせる。願ってもない提案だった。


「ありがとう……! あなたがたのご協力、非常に心強い……!」


 ダンとライネは、白銀(しろがね)黒羽(くろは)に手を差し出し、握手を求めた。黒羽(くろは)は、握手がどういう意味かわからず、きょとんとしていた。人間社会に詳しい白銀(しろがね)はすぐさまダンとライネに握手を交わし、その様子を、じっと観察してから黒羽(くろは)もおそるおそる真似をした。でも、結局のところよくわかっておらず、握る部分を手首にしてしまっていた。


「ただ、人間の事情で申し訳ないが――。我々以外の人間とは、なるべく距離を取ってほしい。あなたがたに攻撃が及んではいけない」


 ダンの話の意図がすぐわかった白銀(しろがね)は、深くうなずく。白銀(しろがね)は、あとでよく黒羽(くろは)に説明するつもりのようだ。

 キアランたちは、ダンやライネたちの先を行く。陸路を進み続ける王都守護の皆と合流するのは、そう時間がかからないだろうと思われた。

 オリヴィアの魔法の壁により消されていたオリヴィアたちの気配だったが、今はシルガーも気配を掴んだようで――魔法の壁に穴ができていた――、そちらに向かってまっすぐ進んでいた。


「あれは――」


 シルガーが、急に飛ぶのを止めた。


「どうした? シルガー」


 シルガーは、斜め前方を見つめていた。

 シルガーの視線の先を見つめると、遠くから必死な様子で走ってくるなにかが、小さな黒い影として見える。

 

「走ってくるのは――。馬と、杖――?」


 思いがけないシルガーの呟き。


「馬と杖……? いったい、なんの――」


「あれはアマリアさんの馬、バームスだ! バームス、アマリアさんの魔法の杖をくわえて走ってる!」


 キアランが聞き返そうとしたのと同時に、花紺青(はなこんじょう)が叫んでいた。


「なんだって!? アマリアさんは――」


 魔法の杖を残し、バームスの主であるアマリアが消えたことを、キアランたちは人を乗せずに走り続けるバームスの姿によって知る――。




「落ち着け! キアランッ!」


 アマリアの名を叫びながら、やみくもにフェリックスを走らせようとするキアランを、シルガーが止めた。


「なぜアマリアさんだけ――! 王都守護の皆は? アマリアさんの身にいったい、なにが――」


 アマリアさん――! まさか、まさか……!


 最悪の事態がキアランの頭をよぎる。いてもたってもいられなかった。


「ダンとライネも別行動をとっていた。ダンのその場の判断だったそうだが、アマリアは、彼らを追ったんじゃないか?」


「シルガー! 頼む! なにか、なにか手がかりは――」


 キアランは、シルガーにすがりつくようにして叫んでいた。


 早く、早くアマリアさんを助けなければ――!


 心臓が早鐘を打ち、息が整わない。キアランの心は、大きく乱れる。

 バームスの前に立った花紺青(はなこんじょう)が、振り返って声を大きくした。


「キアラン! シルガー! 僕、バームスと魔法の杖に訊いてみるから、ちょっと黙ってて――」


 完全に取り乱していたキアランは、花紺青(はなこんじょう)の能力を失念していた。


 アマリアさん――!

 

 キアランは、胸に手を当て崩れ落ちるようにしてその場に膝をつく。


「キアラン。落ち着け」


 息が、うまくできなかった。キアランは、自分の心拍も呼吸も、激しく乱れていることにそのとき初めて気付く。


「パールの気配はここから遠い。パールが関与している可能性はないだろう。あれほどの魔法の使い手が、そう簡単にどうにかなるわけじゃない」


 シルガーの手がキアランの背に触れる。


「アマリアを、信じろ」


 シルガーの手に、力が入る。キアランを励ますように。少し、呼吸が楽になった気がした。


 にゅっ。


 突然、キアランの視界に炎のような光が入る。

 ぎょっとし、キアランは飛びのく。

 キアランの頬近くに差し出されたのは、シルガーの炎の剣の剣先だった。


「そうだ。キアラン。今のお前は、まったく隙だらけだ。アマリアを助けたいのなら、いつでも戦える剣士であれ」


 シルガーは、炎の剣の剣先をキアランに向け続けていた。

 まったく、シルガーの言う通りだった。今、魔の者に襲われたら――。無防備そのものだった。


「……鬼か」


 シルガーが、キアランのためを思ってそうしてくれたことをわかっていながら、ついキアランの口から憎まれ口が出てしまう。


「優しさだろう」


 シルガーの口から「優しさ」という言葉が出るのは、正直意外だった。


「優しさか」


「……鬼かもな」


「……ところでお前、鬼って知ってるのか」


「鬼ヤバい」


 人間が使う「鬼」という表現、それらを理解しているのかどうか非常に疑わしいが、シルガーは真顔のままだった。

 シルガーが変わらぬシルガーであること、それが今のキアランの救いとなっていた。いつの間にか、キアランの中に冷静さが戻りつつあった。

 バームスと魔法の杖に意識を集中させ、話をしていた花紺青(はなこんじょう)が、ゆっくりと振り返る。


「キアラン」


 深刻な表情をしていた。


「落ち着いて聞いてね。アマリアさんは――、オニキスに連れ去られたみたいだ」


 四天王オニキス――!


 ギャア、ギャア、と鳥の声がキアランの頭の中でこだましていた。




 馬であるバームスと魔法の杖が、精一杯訴えてきた断片的な情報を、花紺青(はなこんじょう)は整理し伝える。


「アマリアさんは、バームスを走らせて単独行動していたときに襲われたみたいだ」


「じゃあ、王都守護の皆と離れたところを――」


 こくん、と花紺青(はなこんじょう)はうなずき、それは、ダンを助けるためだったようだ、とバームスと魔法の杖から得た情報を説明する。

 花紺青(はなこんじょう)は、キアランの目をまっすぐ見つめた。


「キアラン。安心して。やつは、すぐにアマリアさんを殺すつもりではないみたい。『使える駒』、そうも話してたらしいから」


『赤目の無念を晴らす』


 そんな言葉も花紺青(はなこんじょう)は受け取っていた。おそらく、あの赤い三つ目の従者のことじゃないかな、そう花紺青(はなこんじょう)は付け足す。


「『使える駒』――!」


 キアランは、怒りと憎しみに震えていた。母を殺し、父を殺し、今度は、最愛の人までも連れ去ってしまったオニキス。天風の剣を握りしめ、今すぐにでも、やつを探しに駆け出したい、そんな衝動を、キアランは必死に抑えていた。


「なんとか――。なんとかオニキスの居場所を掴むことはできないのだろうか――」


 花紺青(はなこんじょう)が、残念そうに首を振る。


「やつが飛び去った方角はバームスたちの話から大体わかるけど、その先まではわからない。今からやつが飛び去ったほうへ向かっても、たぶん無駄足になると思うなあ」


 腕組みをしていたシルガーが、ぽつりと呟く。


「……空の窓が開く、そのときまでやつの動きはないかもしれない」


「そんな……!」


「やつに急ぐ理由はないからな」


 バンッ……!


 キアランは、地面を拳で激しく叩いていた。

 頬を、涙が流れる。

 アマリアが、生きているとしても、辛い目にあっているのではないか、ひどい目にあっているのではないか――。キアランの胸は、激しい怒りとなにもできない悔しさ、不安に引き裂かれそうだった。


「……苦しめば、やつの思うつぼだぞ」


 キアランは、きっ、と顔を上げ、シルガーを睨みつける。


 お前に、なにがわかる……!


 キアランは叫びたい衝動を無理やり抑え込んだ。これは、八つ当たりだ、そう思っても、マグマのように湧き上がる感情をキアランは持て余していた。


「アマリアを、信じろ」


 先程と同じ言葉を、シルガーは発した。


「でも――」


 シルガーは、キアランを正面から見据えた。


「そして、自分を信じろ。怒りに突き動かされるのではなく、冷静になり、機を待つのだ」


「待つだけなんて――」


 空は、オレンジ色から紫、濃紺へと変わりゆく。もうすぐ、星の時間が始まる。

 一番早く生まれた星を、シルガーは瞳に映す。


「……そうだな。もう一度、シトリンのところへ行ってみるか」


「え」


「シトリンは、私や花紺青(はなこんじょう)よりはるかに感覚が鋭いはずだ。それに、やつと戦ったばかり。なにか、わかるかもしれない」


 シトリン――!


 キアランの心に、かすかな希望の灯がともる。

 花紺青(はなこんじょう)が、魔法の杖を抱き、笑顔を浮かべた。


「そうだね! それじゃ、この魔法の杖を持っていこう! バームスは……、皆に伝言をお願いしちゃおう!」


 シルガーの提案は、花紺青(はなこんじょう)も賛成のようだった。

 花紺青(はなこんじょう)は、アマリアおねーさん、ちょっと失礼するね、と述べてからバームスの鞍に付けられていたアマリアの荷物をごそごそと探る。あったあった、と鳥に手紙を託すときの筆記具と紙を見つけ出し、キアランに差し出した。


「これで、オリヴィアさんたちに連絡すること書いて、バームスに持っていってもらおう!」


 キアランは、オニキスにアマリアが連れ去られたこと、そしてこれからアマリアを探す旨を手紙にしたため、バームスに託す。キアランと花紺青(はなこんじょう)にお願いされ、バームスは、つぶらな瞳でうなずいた。動物との触れ合いをすっかり会得したシルガーは、必要以上に胸を張り、堂々たる姿勢でバームスの首元をなでてやった。

 キアランは自分の胸の中、燃え盛る炎を必死で抑え込む。


 アマリアさん……! 絶対、助けるから……!


 キアランたちは、シトリンたちの休んでいた森を目指し、白の空間を走る。

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