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天風の剣  作者: 吉岡果音
第九章 海の王
125/198

第125話 悲しみの向こうの光

 吹き荒れた嵐が嘘のように、晴れ間が広がっていく。


 花紺青(はなこんじょう)は――。


 パールの尾に弾かれ、意識を失ったまま落下してしまった花紺青(はなこんじょう)。キアランは、彼が無事かどうか、一刻も早く知りたいと切に願った。カナフとシルガーに尋ねようと急いでキアランが口を開いた、まさにそのとき――。


「キアラン、無事でよかったー! 心配したよー」


 大きく手を振りながら、板を操って空を飛ぶ、笑顔の花紺青(はなこんじょう)の姿があった。


花紺青(はなこんじょう)! 心配したのはこっちだっ」


 キアランの体から、ふうっと力が抜ける。心からの安堵、思わず笑みがこぼれる。


「大丈夫か、花紺青(はなこんじょう)っ。痛いところは? 頭を強く打ったようだったが――」


「うん。ヘーキだよ。ちょっと痛むけど、人間と違って時間がたてば必ず回復するし、急所でなければ後でひどくなるってことはないし。キアランこそ、大丈夫?」


「ああ。大丈夫だ。本当に、よかった――」


 カナフとシルガーも顔を見合わせ、笑顔を浮かべた。

 キアランは、空中に浮かぶカナフの腕の中から、花紺青(はなこんじょう)の板へと移動する。


「高次の存在が、助けてくれたんだ。おかげでこの板もこの通り無事だよ」


「そうか」


「板といっても、心を通わせてるから、僕にとってはもう大切な友だちなんだ。壊れてなくて本当によかったよ」


 キアランもうなずく。花紺青(はなこんじょう)から離れてしまえば、人間にとってはただの板切れに過ぎないのだろうが、キアランには自分や花紺青(はなこんじょう)を助け続けてくれたこの板が、かけがえのないもの、愛馬フェリックスに対する思いと同じように感じられていた。

 花紺青(はなこんじょう)の口から「高次の存在」という言葉を聞き、カナフは身構えすぐに飛び去ろうとしていた。


「カナフさん……、シリウスさんのこと――」


 キアランは、カナフに声をかけずにはいられなかった。

 花紺青(はなこんじょう)も同じ気持ちのようだった。ただ、どう声をかければいいのかわからず、キアランを見上げ、キアランに言葉を託しているようだった。


「私の身代わりとなって命を落としたシリウスさんには、本当に――」


 カナフは優しく首を振る。


「……シリウスさんは、きっと、キアランや花紺青(はなこんじょう)君が、自分自身を責めることや詫びることを望んではいませんよ」

 

 カナフはそう言って静かに微笑み、空を指差した。

 その先に、虹があった。


「悲しみの先にも美しい光があることを、忘れないでいてください。シリウスさんのためにも――」


 シリウスさん――。


 大きな虹だった。地上と空を繋ぐ架け橋。シリウスが虹を見せてくれた、そんなふうに思えた。

 カナフが広げた大きな白い翼が、日差しを受け一層白く眩しく輝く。


「私たち、高次の存在は皆、人間、魔の者がそれぞれの道でそれぞれの暮らしを大切に歩み続けることを望んでいます。均衡と秩序、変化しながらも確実に続いていく毎日、それが我々の望みです。同胞が命を落とすことは全体の悲しみではありますが、魔の者や人間、自分たち以外の他の存在全体に、怒りを持ったり恨みを持ったりすることはありません。どんなことがあっても、私たちは決して望みを捨てません」


 カナフの目には、涙が浮かんでいた。しかし、彼は微笑み続けた。


「キアラン。花紺青(はなこんじょう)君。シルガーさん」


 カナフは、キアラン、花紺青(はなこんじょう)、シルガーの顔をひとりずつ見つめる。


「シリウスさんの信じる世界のためにも、どうか笑顔を忘れないでくださいね」


「カナフさん――」


 虹は、七色の光を宿していた。すぐに空に溶け込み消えてしまうだろう優しい光。しかし、まだその姿を留めていた。見守るシリウスのように、そっと空に留まり続けていた。

 金色の光は、ダンやライネ、白銀(しろがね)黒羽(くろは)のいるであろう付近から動かない。

 高次の存在の仕事と言われる、場のエネルギーの調整をしているからなのだろうが、それ以上に、シリウスの死を悼み、離れがたくてその場に留まっているのだろう、キアランにはそう思えて仕方なかった。

 カナフは、ゆっくりとため息をつき、それからちょっと困ったような笑顔を浮かべた。


「……我々は身内のルールにちょっと厳しいですからね。捕まらないよう、これからも身を隠しながら見守らせてもらいますね」


 キアランと花紺青(はなこんじょう)が悲しみや自責の念にとらわれないようにするためか、わざと大げさに肩をすくめてから、カナフは飛び去って行った。


 高次の存在はきっとカナフさんに気付いている。でもまだ追いかける気配はない。カナフさんも――、ひとりになりたいのかもしれない。


 キアランの頬を、一筋の涙が流れ落ちる。キアランは、カナフの飛び去ったほうへ、深く頭を下げた。深く、深く――。


「キアラン」


 カナフが見えなくなるのを見送ってから、シルガーがキアランに呼びかける。


「パールについて、わかったことがある」


 キアランと花紺青(はなこんじょう)は、シルガーのほうへ向き直る。


「高次の存在を取り込むごとに、攻撃が入りやすくなっている」


「え」


「もろい急所以外の体の一部分を、一撃で吹き飛ばす、以前の海での戦いでは考えられないことだった。それが、今では可能となっている」


 そういえば、とキアランはハッとした。深海でのパールとの戦いでは、攻撃がほとんど通じていなかった――。


「エネルギーはさらに巨大になった。しかし、消化不良、異質なもののつぎはぎで、全体としてはバランスがとれず、強度の面ではもろくなっている。おそらく、そんなところなのだろうな」


 それからもう一つ、とシルガーは付け足す。


「増えた尾、あれは偽物だ。もしかしたら急所が細かく分かれたのかもしれない、すべて破壊せねばならないのかもしれない、最初その可能性も考えた。しかし、それは違ったようだ。なぜなら、尾が切断されても特別変わった様子がなかった。それから、尾を取り戻そうとするそぶりも見せなかった。と、いうことは残りの急所は変わらずひとつだけ、そういうことだ」


「そうか……!」


 より大きな力をその身に取り入れ、さらに脅威の存在になったと思えたパール。しかし、ここにきて初めて、キアランたちにとって明るい兆しが見えたような気がした。

 キアランと花紺青(はなこんじょう)は顔を見合わせ、力強くうなずき合う。キアランの中に、改めて熱い闘志がみなぎってくる。


「……すまんな。キアラン」


 なぜか急に謝るシルガー。キアランと花紺青(はなこんじょう)はきょとんとした。

 シルガーは腕を組み、飄々とした顔で述べる。


「あのときパールの尾を一撃で吹き飛ばしたのは、お前を取り戻そうとする私の一念の強さだと思っただろう? しかし、実際はパールがもろくなった、それだけだったのだよ」


 はあ……?


 改めて、きょとん、である。


「ふふ。残念に思ったか?」


 シルガーは少し顎を上げ、謎の勝ち誇ったような笑顔を浮かべた。


「思うかっ」


 変なとこで謝るな、キアランはシルガーをグーで殴ろうとした。

 くっ、くっ、と腕を組んだままのシルガーから笑いがもれる。


「いや。冗談だ。お前も花紺青(はなこんじょう)もアステールも無事、それはパールを倒せる兆し以上に喜ばしいと、私は思っている」


「あ、そう」


 キアランは顔を赤くし、目をぱちくりさせた。グーの手に収まりがつかず、なんとなく間の抜けた返事になる。


「突然、真面目に本音を言うなっ」


 キアランは、顔を真っ赤にして叫んでいた。

 シルガーは、右手を口元辺りに添え、必死に笑いをこらえているようだった。


「いや、一念も、強かったかな? 確かに、強かったかもしれんな?」


「あ? そう……?」


 またしてもキアランはきょとんとし、間の抜けた反応をしてしまった。


「キアラン! そこはそういう返しじゃないだろーっ」


 今度は花紺青(はなこんじょう)がたまらず笑いだし、キアランの腕を叩きながらツッコミを入れる。


「いや、本音なのか? それはっ。私の反応を楽しんでいるだけなのかっ」


「キアランッ。だーかーらー、追求すべきはそこじゃなくてっ」


 キアランは、完全にからかわれていた。

 他愛のない冗談を言う、そして笑い合う。

 シルガーも花紺青(はなこんじょう)も、そしてキアラン自身も、心身共に激しく消耗しているに違いなかった。

 しかし、取るに足らないささいな時間が、かけがえのない大きな力になっていた。


 四天王パール……。皆の力で、やつを止める……!


 キアランは、拳を強く固め、空に熱いまなざしを送った。




「みんな……!」


 ダン、ライネ、白銀(しろがね)黒羽(くろは)の笑顔があった。


「無事で本当によかった……!」


 互いの無事を喜び合う。

 ライネは、キアランについた血を丁寧に拭いてあげつつ、ひどい傷がないかどうか確認してから、嬉しそうにキアランの体のあちこちをばんばんと叩いた。叩きかたに、遠慮がない。

 キアランは白銀(しろがね)黒羽(くろは)に、心から感謝の気持ちを伝えた。

 白銀(しろがね)は、長い髭を撫でつつ、カッ、カッと奇妙な高笑いをした。

 黒羽(くろは)は、別に、と長い黒髪をかき上げた。黒羽(くろは)の頬は赤く、どう対応していいかわからないといった様子で、目が少し泳いでいた。

 ダンの愛馬、バディも戻っていた。しっかりと主人を背に乗せ、とても嬉しそうだ。また、ダンも非常に嬉しそうだった。バディの首元を、何度も撫でてあげていた。

 フェリックスは、キアランが背に乗るのを待っていた。キアランが乗ると、フェリックスは全身で喜びを表すように体を震わせ、尻尾を高く上げた。


「パールは必ず現れる。オリヴィアさんたちと合流し、四聖(よんせい)のところへ戻ろう……!」


 日が落ちようとしていた。

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