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天風の剣  作者: 吉岡果音
第九章 海の王
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第124話 携行食

花紺青(はなこんじょう)っ!」


 鈍い音がした。

 パールの尾が、花紺青(はなこんじょう)の操る板を直撃し、そこから続けざまに花紺青(はなこんじょう)の後頭部にも激突していたようだった。

 板もろとも花紺青(はなこんじょう)、キアランは落下する。


 花紺青(はなこんじょう)――!


 垣間見えた花紺青(はなこんじょう)の表情は、うつろで――、意識を失っているようだった。


 うっ!


 強い風と共に、なにかが迫る。それは鱗に覆われた、パールの尾。


 ガッ……!


 キアランは、天風の剣を迫りくる鱗に突き立てた。

 パールの血がほとばしる。

 びゅう、と音を立てながら、キアランは自分の体が持ち上がるのを感じる。天風の剣が刺さったまま、パールが尾を振り上げていた。キアランは、パールの尾にぶら下がる形になっていたのだ。


 花紺青(はなこんじょう)花紺青(はなこんじょう)は――!


 花紺青(はなこんじょう)の姿を探せない。しかし、彼を案じている場合ではなかった。今度は、キアランがものすごい速度で下降していた。パールが、尾を振り下ろしたのだ。


 絶対、離すものか……!


 歯を食いしばり、天風の剣を強く握りしめる。血と汗で、手が今にも滑りそうだった。パールの血に全身染まりながら、キアランは耐え続けた。

 閃光と爆音、そして体に響くような振動。シルガーやダン、ライネの攻撃なのだろう。それとともに、あちこちから、パールの鱗の破片が飛んで行くのが見える。

 尾の動きに翻弄されるキアランの目の端に、光が見えた。地上に、金色の光がたくさんある。


 高次の存在たちだ……!


 実はシリウスの他に、すでにたくさん高次の存在が来ていたのだ。


 花紺青(はなこんじょう)、無事であってくれ……!


 高次の存在によって、花紺青(はなこんじょう)が助けられているのではないか、そうであってほしい、キアランは彼の無事を切に祈った。


 ゴウッ!


 キアランの全身を、ひときわ強い風が襲う。またパールが尾を振り回したのかと思った。しかしすぐに、そうではないと気付く。


 パールが、移動を始めたんだ!


 パールは、天風の剣が刺さったまま、空を飛んでいた。

 逃げている、というより、眠りに早く移行したいがための行動なのだろう。激しく負傷し、疲弊した体を休めるため。天風の剣やキアランを外そうともせず飛んでいるのは、恐らく――。


 携行食。私は、便利な携行食ということか。


 眠る前、もしくは目覚めたあとに食べよう、そう考えてのことだろうと思った。

 ぐんぐん、皆のいた場所から離れていく。息もできないほどの強い風が全身を襲い続けている。必死に天風の剣を握り続けるキアラン。

 このまま、パールに連れ去られても、ここで手を離しても、待ち受けるのは「死」だとキアランは思う。


 絶対に、離す、ものか――!


 シリウスの、ヴァロの、最期の微笑みが心に浮かぶ。

 

 シリウスさん――!


 キアランの手に、一層力がこもる。


 絶対に、逃すものか――!


 そのとき、目のくらむような光が、飛んできたように感じた。

 よくわからない。ものすごい爆音。状況が掴めないが、衝撃が、手から全身に伝わる。そして、大量の血が降り注ぐ。


 これは――!


 さっ、と全身の血が引く感じがした。キアランは、落下している自分に気付く。それも、天風の剣が刺さったパールの尾ごと、落下している。


 尾が、切り落とされたんだ……!


 シルガーだ、キアランはそう感じた。シルガーの衝撃波で尾が途中から吹き飛び、それで自分は落下している、キアランの脳は素早く自分の現状を理解した。

 首を回し見上げるキアランの瞳に、血を噴出させながらそのまま飛び去るパールの黒い影が映る。

 パールは、まだ生きていた。残り四本の尾を持ったまま、遠くの空へと消えようとしていた。


 パール……!


 もう一度、衝撃波がパールを追いかけ空を貫いていくさまをキアランは見た。しかし、パールの影はバランスを崩すことなくそのまま小さくなっていく。致命傷には至らないようだった。


 くそ……!


 パールを逃した怒りや悔しさに心を奪われている暇はなかった。キアランは、自分の身の安全を大至急図らねばならなかった。


 このままでは、地面に叩きつけられる――。


 眼下には森。地面まで、数秒。シルガーが尾を切り離したのであれば、きっとシルガーが助けてくれるだろう、キアランは素早く考えを巡らす。


 でも、どこまで近くまで迫れたのだろう。もし、間に合わなかったら――。


「キアランッ。手を離して」


 キアランの耳に届く叫び声。

 落下し続けるキアランの目の前に、カナフの顔があった。


 カナフさんも、来てくれたんだ……!


「でも、手を離したら、アステールがっ」


 驚きで目を大きく見開きつつ、キアランはカナフに早口で問いかける。

 尾ごと落下する天風の剣が、最悪の場合尾の下敷き、または森へ落下する際、木や岩などにぶつかる恐れもあった。


「心配するな。アステールは私が引き抜く」


 風の中を超えて届く、冷静沈着な声。銀の瞳。


「シルガー!」


 キアランは、天風の剣から手を離す。

 銀色の風。落下する尾を追い、急降下していくシルガー。


 ズーン……!


 森からたくさんの鳥が飛び立つのをキアランは見た。

 カナフに抱えられるキアラン。しかしまだ、キアランの心は張り詰めていた。

 アステールを、天風の剣の無事を、確認するまでは。


「お前もアステールも、パールの弁当にならずに済んでよかったな」


 シルガーの手には、天風の剣があった。




 滝の音。ひんやりとした、暗く深い森の奥。

 四天王オニキスは、眠りから目覚める。

 オニキスは、ため息とともにゆっくりと上体を起こした。艶やかで美しい黒髪が流れ落ちる。

 木々を渡る鳥の声。眠りにつく前の記憶が、徐々に蘇る。


 四天王シトリン――。やつは、四聖(よんせい)を狙うというより――。なぜか、人間の味方をしていた――。


 はじめ、四聖(よんせい)を先に奪われないようにと、自分に攻撃をしかけてきたのだとオニキスは思っていた。

 しかし、彼女たちは人間側からの攻撃に、反撃しようとしなかった。どんなに攻撃を受けても、不利になることになっても、決して人間を攻撃することはなかった。

 四天王シトリンは、人間を守ろうとしているのだ、信じられないが、オニキスはそう結論付けるほかなかった。


 シルガーという男。そして四天王シトリンとその従者たち――。


 どういうわけか、皆人間側についているようだった。

 ゴールデンベリルの従者だった子どもも、キアランに従っていた。


 キアラン――。人間と四天王の間に生まれた子――。


 人間でも魔の者でもない、特別な存在、キアラン。やつが魔の者と人間を繋ぐ鍵なのだろうとオニキスは確信する。

 まだ、頭が重かった。地面には、うっすらと雪が積もっている。雪の冷たさも寒さも、純白に輝く美しさも体を濡らす不快感さえも、なんの感慨もなかった。たぶん、それが魔の者の本来の標準的な感覚であり、ささいな外的要因に心を動かされないことへ、疑問を挟む余地はない。

 

「赤目――」


 オニキスは、いたずらにその名を呟いてみた。白い息と共に吐き出されたその言葉は、響くこともなく、滝の音にかき消される。

 オニキスには、もうわかっていた。

 赤目の痕跡は、完全に途絶え、どこにもなかった。


 キアラン。もしくは、その周囲の誰かによって殺されたのだ――。


 心を埋め尽くすような、水音。強く、激しく、絶え間なくオニキスを揺さぶり続ける。

 自然の音に、どうして心が揺さぶられるのか、オニキスにはよくわからない。つい先ほどまで無感覚だった雪の白さが、冷たさが、今はオニキスを責め立てる。

 青い炎のような感情がオニキスの中で燃え上がる。それは、怒りだった。それと同時に、奇妙なことだが――、オニキスの中には安堵の気持ちもあった。


 赤目は、私を裏切ったわけではなかったのだな――。


 オニキスは、目を閉じた。滝の音に身をゆだねる。

 オニキスが飛び立つのは、もう間もなく――。

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