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天風の剣  作者: 吉岡果音
第九章 海の王
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第122話 笑う首

「キアラン!」


 ダン、ライネは、なにもない空中から突然現れたキアランを見て驚く。

 キアランは、愛馬フェリックスに乗り天風の剣を構え、四天王パールを見据えていた。


「へえ。君、空間から自在に姿を現すなんてことができるんだ」


 パールは感嘆の声――のように聞こえる――をあげた。


 こいつ……、楽しんでやがる……!


 ギリ、とキアランは歯を食いしばる。


 最初の犠牲となった高次の存在、ヴァロさん、そしてその他数えきれないほどの命を奪い、破壊し、さらにはアマリアさんやダンさんのご両親やご親族、四天王アンバーさんまでも手にかけた――。


「貴様を必ず倒す!」


 キアランが叫び、フェリックスの蹄が大地を力強く蹴る。

 ダン、ライネの呪文がキアランの耳に届く。パールの体に光が走る。おそらく、ダンかライネの魔法攻撃。それと同時に、天風の剣を握るキアランの手に、力がみなぎる感覚があった。きっと、二人のうちどちらかの援護の魔法だろうとキアランは思った。

 魔法攻撃による爆発。轟音と共に、パールの金の長い髪が、爆風に吹き上がられるようにして、バッと広がる。パールの姿が爆煙に包まれ、一瞬見えなくなる。しかし煙が晴れ、再び現れたパールの姿は変わらなかった。美しい髪を風に揺らして、その場に佇んだままだ。


 微笑みを浮かべたままの涼しい顔――! ほとんど、ダメージを受けてないのか!


 キアランは、フェリックスの背から飛び降りる。天風の剣を構え、走る。パール目がけて。


 オニキスにも、一撃浴びせることができた。今の私ならパールだって、天風の剣で斬ることができるはず――!


 天風の剣が草をなぎ倒し、小石を巻き上げ、大きな弧を描きパールの急所である足首を切り離そうとしたそのとき――。


 ガッ……!


 なに……!?


 キアランは、天風の剣を握りしめたまま、自分が宙を舞っていることに気付く。前傾姿勢を取り、剣を振るったキアランは、パールに激しく蹴り上げられていた。


「君たちは、すぐ僕の急所を狙う。だから、かわすのは簡単。動きも読みやすいんだよ」


 まるで甘い言葉をささやくように呟くパール。キアランは体をひねり、片膝を地面にこすらせながら着地する。

 脈動する激痛。以前の体なら、骨が砕けていたかもしれない。


 くそっ……。動きの速さが尋常じゃない……!


 キアランは、警鐘を鳴らし続けているような痛みを無視し、すぐさま立ち上がる。

 遮る黒い影。青の瞳が、目の前にあった。


 いつの間に――!


 背筋に氷が当てられたような感覚が走り、息をのむ。


 ひた。


 しなやかな長い指、冷たい両手のひらが、キアランの頬を包んでいた。

 キアランを覗き込む、深海のように静かな青――。


「四天王の血が流れる君。君はいったい、どんな味がするのかな?」


 キアランは、パールの背に天風の剣を突き立てようとした。しかし、それより先に、パールの左手がキアランの右手首を掴む。


「うっ……!」


 パールの白い肌が明滅している。おそらく、ダンやライネの魔法攻撃。殴り飛ばそうとしたキアランの左手も、すでにパールの右手で押さえられていた。キアランはパールの足首を激しく蹴り続けたが、パールは眉をかすかにひそめただけで、びくともしない。

 痛みにうめいたのは、手首を絞められ続けたキアランのほうだった。

 

 手を……、もぎ取る気か……!


 右手も左手も、強い力で握り潰されそうだった。おそらく、普通の人間ならとっくに潰されているに違いない。


「さあ。君のすべてを、僕に教えて――」


 口づけするように、パールの唇が近付く。長い舌が、鋭い牙が、キアランを迎えようとしていた。

 そのとき、キアランの瞳は、パールの向こうを捉えていた。

 空に、小さな穴が開く――。


 ザッ……!


 鮮血が噴き出る。パールの背から。


「不意打ち、大好きだよ! 僕は!」


 花紺青(はなこんじょう)が突然叫びながら空中から現れ、鋭い爪でパールの背、漆黒の四枚の翼の間を大きく切り裂いていた。


 パールの力が、一瞬緩む。

 その隙を、キアランは見逃さなかった。キアランの金の瞳に力が宿る。


「ありがとう、花紺青はなこんじょうっ!」


 パールの右手を振り払い、キアランはパールの首に斬りかかっていた。

 硬い手応え。しかし、天風の剣は、弾かれることなくパールの首に深く入り込む。


 しまった……!


 返り血を大量に浴びながらキアランは、攻撃が成功したことよりも、とっさの己の判断を後悔していた。


 こいつの急所は足首! 一瞬の隙を狙うなら、首ではなく足首だった――。


 強い怒りから、恐怖から、嫌悪感から、早く倒したい、一刻も早く離れたい一心で、突き動かされるように感情のまま、本能のまま、首を狙ってしまっていた。

 深く刺さった天風の剣を引き抜き、足首へ斬りかかる、キアランの力をもってすれば、おそらく要する時間は数秒。しかし、わずか数秒の差でも、この計り知れない強敵との戦いでは、充分命取りとなる時間の浪費だとキアランは思う。


 こうなったら、首だけでも落とす……!


 キアランは歯を食いしばり、さらに力を込めた。たぶん、シルガーのように、パールがすぐに首を付けることは可能なのだろうと思うけれど。

 次の瞬間。キアランは大きく目を見開く。


 なんだと……!


 キアランは、ふたたび自分が宙を舞っていることに気付く。血が軌跡を描き続ける。それは、天風の剣についたパールの血と、キアラン自身の血。

 パールの左手に払われ、キアランは天風の剣を握りしめたまま吹き飛ばされていたのだ。天風の剣はパールの首の半分以上の深さに到達しながら、パールの首を落とすことは叶わなかった。


「キアランッ」


 キアランの目前に大地が迫る。その一瞬前に花紺青(はなこんじょう)が板を操り、板に乗って空を飛び、キアランを受け止める。


「ありがとう、助かった! 花紺青(はなこんじょう)!」


「大丈夫? キアラン――」


 花紺青(はなこんじょう)とキアランの上に、影が覆いかぶさる。

 振り返るキアランと花紺青(はなこんじょう)の視線の先、パールがいた。

 笑うパールの首。パールの首が、血を流しながらもパールの左肩に乗っていた。半分以上切れ込みの入った形の首が、傾いたのだ。首が取れかかっているのも直そうとせず、パールは笑っている。


「色々、面白い子が次から次へと現れるね。世界は本当に、刺激的だなあ――」


 あの状態で、どうして話せるのだろう、キアランはぼんやりと思う。


 そういえば、思いが音として伝えられる、そう言ってたっけ――。


 パールは、キアランの視線に気付いたのか、両手で傾いた頭に手をやり、首を正しい位置に乗せ直した。

 位置を微調整し、気が済むと、改めてパールは微笑みを浮かべた。


「そうそう。首からだけでも飲み込めるだろうけど、舌がなければ味わえない。頭は、ちゃんと乗せとかなきゃいけないね」


 地上から、ライネとダンの呪文が響く。相変わらずパールは顔色一つ変えない。


 もう、首が結合したのか。


 キアランは、怒りも恐怖も通り越し、冷ややかな目でパールを観察していた。


「君は、強いし、君の持つその剣はちょっと厄介だね。生のままいきたいと思ったけど、ちょっと焼いてから食べるのも、また一興かな?」


 パールが大きく口を開ける。暗闇のような口の奥から、強い光が見え――。


 まずい……! 衝撃波を、放つ気だ――。


 ぼうっとしている場合じゃない、キアランは我に返る。大きすぎる力の差を前に、現実逃避をしていたのだと気付く。


「キアラン、しっかり僕に掴まって!」


 花紺青(はなこんじょう)がキアランを乗せたまま板を走らせようとした、そのとき――。

 鈍い音がした。

 キアランは、肩越しに振り返る。


 え……!? 今のは――。


 その音は、衝撃波ではない、まるで骨を断つような――。


「不意打ちは、好きではない。でも、貴様は卑怯なほど強すぎるからな。この際、なりふり構わない。個人の好みをいってられないのだ」


 空中から、シルガーが姿を現していた。

 右手には炎の剣。そして、左手には右足首を掴んでいた。

 シルガーが、パールの右足首を切断していた。

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