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天風の剣  作者: 吉岡果音
第九章 海の王
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第114話 王都は、もう

 夜空は、黒い雲に覆われていた。

 暗闇の中、いくつもの金の光が飛び続けている。

 金の光に照らされ、ほの白く浮かぶ、白い肌。その下部に続く、白銀に輝く鱗。長い尾を城全体に張り巡らすように巻き付け、城壁を抱きしめるようにしてそれは眠っていた。

 体の線に沿って流れるような長い髪が妖しい美しさを放つ――、四天王パールだった。

 そして、パールの周りを飛んでいるのは、シリウスを筆頭とした高次の存在たち。たくさんの命が奪われた場の浄化と、パールの動きを止めるために、彼らは全力を尽くす。

 しかし、パールはただ眠り続けていた。それは、高次の存在の力による活動の停止ではなかった。

 眠りの中、力は蓄えられていく。アンバーやシルガーたちとの戦いの疲労や損傷も、少しずつ解消されていく――。

 風が吹き、黒い雲を突き破るように鋭い月光が差した、そのときだった。


 ドンッ……! ガラガラ……。


 爆発音の後、城壁の一部が崩れた。


「せっかく気持ちよく寝ていたのに――。君は、そんなに早く僕と会いたかったの……?」


 城の高いところ、てっぺんに立つ、人影。四天王パールが、半身蛇のような巨体を一瞬にして変え、普通の人の姿、大きさに変身していたのだ。


「ああ。会いたかったよ。殺したいほどに」


 まるで、雲に隠れ続けた月光のように突然現れた、銀の髪の魔の者。

 高次の存在たちの中で、どよめきが起こる。


「シルガーさん……!」


 シリウスが、その名を叫ぶ。

 城壁を壊す衝撃波を放ったのは、シルガーだった。


「シリウス。他の高次の存在を連れ、ここから少し離れていてくれ」


 シリウスのほうを見ようともせず、シルガーは呟く。

 その長い銀の髪が、夜風とは無関係に蠢いている――、内側から湧き出る激しい闘気で。


「シルガーさん。あなたまで――」


 シルガーは振り返り、シリウスの瞳をまっすぐ見つめた。


「アンバーも、きっと私と同じことを言ったのだろうな。お前らまで守る自信も義理もない。離れていろ。そのほうが、気が楽だ」


 シリウスはうなずき、他の皆に合図を送り離れることにした。


「シルガーさん。守りの力を送り続けます……! あなたは、どうか生きて――!」


 シルガーはシリウスに片手を上げて返事をし、それから少し自嘲気味に笑った。


「ついに私まで、高次の存在に守られるようになったか」


 パールは、シリウスとシルガーの会話を、微笑みながら見下ろしている。

 金の光が、次々と飛び立ち離れていく。

 パールの瞳は、無機質にそれらを映し続ける。

 パールが高次の存在たちを黙って見送っていたのは、満腹で取り立てて今欲しいとは思わない、ただそれだけのことだった。

 黒い雲の流れが速い。月が、現れては隠れ、現れては隠れる。

 パールは下界を見下ろし続ける。たくさんの骨。たくさんの黒い血の跡。その中にひとり立つ、銀の髪、銀の瞳の魔の者。


「シルガー。君の名を、覚えておこう」


 パールは小首をかしげ、歌うように呟く。

 そしてパールは飛び降り、シルガーの目の前に降り立った。軽やかな、身のこなしで。


「貴様――」


 パールは、満面の笑みを浮かべていた。ゆっくりと、美しく整った唇が言葉を紡ごうとしていた。


「君は、今食べるにはもったいない」


 赤い光が走る。シルガーの手には炎の剣。シルガーは、電光石火の速さで炎の剣を手にし、パールの両足首を切断しようとする。両足首、それがきっと、本来のパールの姿のときの急所と同じ場所――。

 燃え盛るような炎の剣が、弧を描く。

 いくつもの草が飛び散り、骨が砕け散る。

 それは、パールの骨ではなかった。落ちていた、人の骨。

 シルガーは舌打ちした。刃が到達するほんの一瞬前、パールは高く飛び上がりながら後方へ大きく移動していたのだ。

 シルガーは、衝撃波を放つ。しかし、そのときにパールはそこにはいなかった。

 シルガーが急ぎ振り返ると、そこにパールの顔があった。

 パールの顔が、逆さまで、髪が宙を舞っている。パールは、正面からシルガーの頭を飛び越え、頭を下にしつつ空中を下降していた。

 そして、


「また会おうよ。でも、君の思い出として、これもらっていくね」


 ザッ!


 鮮血が、飛び散る。

 パールの手刀が、シルガーの脚を腿の辺りから切断していた。

 シルガーはバランスを大きく崩し、その場に倒れ込む。

 パールは一回転して着地し、切断したシルガーの脚を手にして笑う。


「あはははは! 高次の存在たちを退かせる必要もなかったね! じゃあね、これは、君だと思って大切に愛でるから……!」


 パールは、手にしたシルガーの脚に口づけし、四枚の漆黒の翼を広げ飛び立つ。

 闇を斬り裂く光。

 シルガーが空に向け衝撃波を放っていた。それは、飛び去るパールの右足の裏、「土踏まず」から先を吹き飛ばしていた。

 シルガーは、漆黒の闇へと声を張り上げた。


「おしゃべりが、過ぎるのだ。黙ってさっさと飛び去れば済むものを――」


 パールは振り返り、シルガーを見下ろす。シルガーは、血だまりに横たわり続けている。


「やれやれ。君はなかなか激しい子だね。お互い、再会には時間が必要みたいだね」


 パールはそう呟き、ふふっ、と笑い声をもらす。


「愛には時間が必要ってことかな?」


 血が静かに広がり続ける。シルガーは動かない。

 パールは微笑みを残し、月に向かって飛んで行く。

 パールが大事そうに抱えるシルガーの脚には、蹄がついていた。

 それはあの、シルガーが後から付けた右脚だった。




 キアランたちは、馬を走らせ続けた。

 四聖(よんせい)を乗せた馬車がないので、移動速度も速く、そのうえキアランたちは細い山道も悪路も進むことができた。その結果、来たときよりもはるかに短い時間で長い距離を移動していた。

 それでも、王都までは数日かかる。あれから、城についての情報はない。キアランたちは、気が気でなかった。

 

 悪い予感がする――。


 シルガーやカナフが心配だった。シトリンたちもどうしているかわからない。

 それから、四聖(よんせい)の皆やソフィア、そしてテオドルたちも心配だった。

 命令とはいえ、四聖(よんせい)を守護する者である自分たちが、離れることになったのが果たしてよかったのかどうか、疑問だった。

 状況の見えない中、移動することしかできない現状に、キアランは苛立ちを覚えていた。

 それは、キアランたちがノースストルム峡谷を発った三日後の朝のことだった。

 森の中は冷たい空気に包まれ、小鳥のさえずりが響いている。キアランたちは朝食を済ませ、出発しようと準備していた。


「キアラン」


「シルガー!」


 シルガーが、キアランたちの前に現れた。

 キアランは、息をのむ。


「シルガー! その脚……!」


 シルガーの右足が、変わっていた。今度は、腿から膝のあたりまでは普通の人間のようだが、膝から下が金属のような光沢を放ち薄く平面的で、そのうえ一度後ろに後退しており、そこから緩やかに前方にカーブを描き、足先は鋭く尖っている。まるで膝から下が剣のようだった。


「失くなったから、付けた」


「よく足を失くすな!?」


 大丈夫か、そう心配の言葉をかけるより先に、ついキアラン率直な感想を述べてしまっていた。


「偶然だ。それより、お前たちどこに向かっている?」


「王都だ」


 シルガーは、厳しい顔で告げる。


「戻れ。四聖(よんせい)の元へ」


 小鳥の声が、聞こえない。閉ざされた森の中、静かに時が凍り付く。


「王都はもう、機能しない」


 シルガーの冷静な声だけが、立ち尽くすキアランたちの間を残酷に通り抜けていった。

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