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天風の剣  作者: 吉岡果音
第二章 それは、守るために
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第10話 渦巻きの中の人影

 月明かりの荒野に、二つのテントが並ぶ。

 キアランとルーイの休むテントの上では、ルーイの「見張りの鷹」が辺りに目を光らせている。

 もう一つのテントでは、アマリアが休んでいた。そのすぐ傍に繋がれているアマリアの馬も、すでに夢の中にあった。

 ルーイは深い眠りについていたが、キアランは起きていた。

 キアランは暗がりの中、天風の剣を見つめていた。


「天風の剣――」


 かたわらのルーイを起こさないよう、天風の剣に、そっと話しかける。


「ずっと、お前につける名前を考えていたんだ」


 キアランの手に、しっかりと馴染む重さ。闇の中でも瞳を閉じていても、その流麗な装飾、美しい刃のきらめきは、キアランの目に鮮明な形を持って浮かんでくる。


「アステール、というのはどうだろう」


 そのときキアランの心は、人の姿の天風の剣を思い描いていた。


「これは、どこかの国で『星』を意味する言葉なんだそうだ」


 キアランは、天風の剣に微笑む。天風の剣は、なにも語らない。剣のままだ。当然ながら動くこともなければ、その形も質感も変わることはない。

 しかし、輝きを放った。月の光も星の光も届かない、暗いテントの中で。


「そうか。気に入ってくれたか」


 キアランは一人嬉しそうに呟くと、重い体を横たわらせた。体のあちこちで、鈍い痛みが走る。

 しかし、キアランの心は穏やかだった。

 キアランの耳にはルーイの寝息が聞こえる。目を閉じれば、アマリアの笑顔が浮かぶ。そして、手を伸ばせば天風の剣がある――。


「これからも、よろしく頼む。アステール」


 天風の剣が、微笑みを返してくれたような気がした。

 キアランの心に、満天の星空が広がる。闇の中、孤独だった自分を常に優しく見守り、進むべき道を示してくれていた星々――。


 星を頼りに、旅をしていた。アステールは私をどこへ導いてくれるのだろう――。


 そんなことを考えているうちに、キアランは深い眠りへと落ちていった。




 翌朝になると、キアランの体はだいぶ落ち着いてきた感じがした。


「出発しよう」


 ルーイとアマリアに告げたあと、キアランは腰に差した天風の剣にも、そっと微笑みを送る。

 白い雲の浮かんだ青空に、鳥が大きな弧を描く。 

 目にする緑が増えてきていた。

 太陽が頭上高く昇るころ、キアランたちは荒野を抜け、森の前まで来ていた。


「この森の向こうが、町みたいだよ!」


 ルーイが地図を手にし、明るい声を上げた。

 キアランがアマリアの馬に乗り、アマリアとルーイは手を繋いで歩いていた。

 本来なら、アマリアとルーイが馬に乗りキアランが歩く、という構図になるところだが、キアランの体調を考え、アマリアがそう強く勧めたのだ。

 もちろん、キアランは断固として自分が歩くことを主張した。朝食のときから、荒野を出発する寸前まで主張し続けていた。

 しかし、アマリアもルーイも断固としてキアランの主張をはねのけ続けた。

 そうしてキアランは、渋々馬に乗ることになった。

 馬は、キアランを快く受け入れてくれた。馬は、アマリアとルーイに無理はいけないと叱られ続けていた大の男のキアランを、ちょっぴり愉快そうに見ていた。

 

「お昼は、町でごはんが食べられるね!」


 そう言って無邪気に笑ったルーイだったが、すぐにハッとした顔をして自分の懐に手をやる。


「どうした。ルーイ」


 あきらかに表情が変わった様子のルーイに、キアランが声をかけた。


「あんまり、ぜいたくは言ってられないね。どんな長旅になるかわからないもの。とりあえず、僕の全財産を持ってきたけど、僕の小遣いじゃあ、あっという間に底をつくだろうからなあ」


 むー、と一人うなって、ルーイは腕組みした。


「だって、僕まだあんまり生きてないから、お小遣いもらった歴史が少ないもん」


「なんだ、その言い回しは!」


 ルーイのちょっと奇妙な言葉使いに、キアランとアマリアは同時に吹き出した。


「ルーイ。そんなこと気にするな。私は『四聖(よんせい)を守護する者』だ。いってみれば、お前の保護者だ。私と一緒なら、金の心配はいらない」


「『守護する者』って、そんな意味もあるの?」


 キアランも、「四聖(よんせい)」や「四聖(よんせい)を守護する者」という存在自体、つい昨日知ったばかりである。そんな意味があるわけがないとは思っていたが、ルーイを安心させるために、今思いついた言葉を述べてみた。


「キアランが、僕のおとうさんか、おにいさんかあー! 嬉しいなあ!」


 ルーイは弾けたように笑い、両手を広げその場でくるくると踊るように回った。


「それじゃあ、アマリアさんは、僕のおかあさんか、おねえさんだね! 僕、素敵な家族が増えちゃった!」


「そうですよ。私たちは、あなたの保護者なのです。だから、なにも心配することはないのですよ」


 アマリアも、キアランに調子を合わせた。


「わーい! 嬉しいなあ! あっ! もちろん、お金の心配がないのが嬉しいって意味じゃないよ! キアランと、アマリアさんが僕の家族みたいになってくれるのが、嬉しいんだあ!」


 素直に喜ぶルーイに、キアランは嬉しいような照れくさいような居心地の悪い気持ちになり、平然とした顔をつくろった。しかし、自分が親や兄弟のような存在になって嬉しい、というルーイのまっすぐな言葉に、キアランの心はあたたかな喜びにあふれていた。


「――おとうさん、おかあさん、おにいちゃん……」


 先ほどまではしゃいでいたルーイだったが、少し悲しそうにぽつりと呟く。ルーイの心は、流れる雲のように、あっという間に形や明るさを変える。


「……家族のみんなのことが、気になるのね」


 アマリアは、少ししゃがんでルーイの顔を覗き込み、ルーイの頭を優しく撫でた。

 ルーイは黙って、こくん、とうなずいた。必死でこらえているようだが、少し涙ぐんでいた。


「町に着いたら、おうちに連絡してみましょうか」


「えっ……? でも――」


「無事であること、手紙を出してみましょう。ご家族はとても心配していらっしゃるでしょうから」


 アマリアは、ルーイをまっすぐ見つめ、優しく微笑みかけた。


「うん……!」


 まるで雲間から日が差したかのように、ルーイの顔に明るさが戻る。


「早く町へ、行こう! 早くご飯も食べよう!」


 ルーイは、元気に歩き出した。

 町から危険の多いあの荒野へ向かう者は少ないようで、はっきりとした道らしき道はなかった。町の者や地図を持つ旅人は、別のルートをたどるのだろう、そうキアランは推測する。

 それでも、荒野に隣接した森という地形や気候の関係上、うっそうとした森というわけではなかった。木漏れ日の中を進む。

 さっと、黒い影が走った気がした。


「今のは――」


 動物か、鳥の姿が見えたのかと思った。


 いや、違う……!


 なにかが違う、キアランの本能が警鐘を鳴らす。それは、実際に見えたのではなかった。キアランの感覚が、異変を捉えたのだ。

 森が、黒いシルエットのように見える。晴れた昼間なのに、空は白く、木々は黒、風もなく、まるで時が止まった白黒の世界のように感じられた。先ほどまでの木漏れ日のあたたかさが、まったく感じられない。まるで、時間軸から切り取られたような、日常とは違う世界に突然放り込まれたよう――。

 キアランは、ざわざわと全身総毛立つような感覚を覚えていた。


「アマリアさん……!」


 キアランは、アマリアのほうを振り返って見た。


「ええ……、キアランさん……! なにか、とても強いものがこちらに向かってきている……!」


 アマリアも、ただならぬ気配を感じていた。ルーイは怯えた表情で、アマリアの手を強く握る。


 ゴオオオオ……!


 無風の空間から一変、強い風が吹く。


「むっ……!」


 キアランは馬から飛び降りた。腰に差した天風の剣を抜き、構える。


「来る……!」


 風は木の葉を舞い上げ、渦巻きのように躍らせる。

 木の葉の渦巻きのトンネルの向こう、影が見えた。

 それは、人影のようだった。


「まさか……! そんなはずは……!」


 キアランは自分の目を疑った。この光景には、大きな違和感があった。

 木が乱立している森の中、遠くの人影が、見えるわけがないのだ。

 しかし、木の葉のトンネルはずっと遠くまで続いて見え、その中を歩いてくる人影は次第に大きくなっている。


 ザッ、ザッ、ザッ……。


 足音が、近付いてくる。

 

 人ではない……! 魔の者か……!


 魔の者は、木々を通り抜けて歩いているのだった。

 人の姿をしている。しかし、あきらかに人とは違うなにか。

 キアランの背筋を、冷たい汗が流れる。


「三つの星よ……! 見つけたぞ……!」


 男の低い声が響き渡る。

 それは、長い銀の髪の、立派な身なりをした長身の男だった。

 男は笑う。大きく裂けたような赤い口で。

 

「我が獲物……!」


 不気味な男の笑い声が、森の静寂を切り裂いた。

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