第六十三話.勇者
崩壊した街の中を駆けるマイたち三人は、度々出現する魔物を相手取りながら何とか前へと進んでいた。
(早くしないと……タローがこんなに苦しんでるのに……)
近付いてはいる。しかし段々と、着実に力を増していく『タロー』の存在を感じていたマイは焦燥感を覚えていた。
それはエミルも同じであるようで、その顔には焦りが浮かんでいる。
黒い雨粒が当たる度に湧き上がる恐怖。それも作用しているのかもしれないが、マイとエミルの二人は自然と走るスピードが上がっていく。
それから少しすると、崩壊した門の奥に森が見えた。
「見えたわっ! 外よッ!」
あと少しで街を抜ける。
そんな時だった。
ナズナが急に立ち止まったのだ。
「──マズイ……」
そんな絶望したような言葉と同時に、とてつもない衝撃波がマイ達三人を襲った。立っているのがやっとな程に強い衝撃波にマイとエミルは戸惑っていると、一筋の光がマイの目元に射し込んだ。
それが太陽の光であると認識するのには時間が掛かった。
呆けた間抜けな顔を晒していたマイだったが、状況を確認するために空を見上げる。
「なによ……あれ……」
それは、まさに神の光とも呼べる程に神々しい光の柱であった。それは天まで貫き、まるで浄化するかのように漆黒の雲を晴らしていた。
「勇者……」
ナズナがボソリと呟いた。
「勇者? 勇者って、あのおとぎ話の?」
マイの言葉にナズナは首を横に振る。
収束していた光の輝きがより一層強くなる。それがやがて一つの刃のようになったとき、再び衝撃波が三人を襲った。
ナズナはそんな状態でも物怖じすることなく、煌々と輝く光の刃を恨めしそうに睨みつけていた。
「現実の、だよ」
諦めに近い感情と共に吐き出す言葉。マイが反応を返す間もなく、その神の鉄槌は下されるのであった。
▽
例えばそれは、子どもが抱く幻想のようで。
例えばこれは、おとぎ話のようで。
ある少女が好きだったおとぎ話も、信仰される勇者も、恐れられる魔王も。
それは脚色された話なのだと誰もが思い、架空の話だと心に笑う。
しかし実際に存在するのであれば?
『魔王』が再び現れたいま。おとぎ話は真実であったと、魔王は存在していたのだと、誰もが認めざるを得ない状態になった。
恐怖の雨に打たれ、恐怖のどん底に叩き付けられた者達は皆、神に祈る。
『あぁ、勇者様は何処にいらっしゃるのですか?』
──そんな細やかな願いをかき消すかのように、恐怖を掻き立てる咆哮が空間を揺らし響き渡った。幾百もの老若男女の断末魔を聞かされているような、そんな気が狂いそうになる咆哮は絶えず世界を揺らす。
「久しいな」
そして、その咆哮を聴いてもなお平然と佇む一人の男が居た。
その巨漢に似合わぬ片手剣を腰に携え、ただ叫び続ける『化物』を丘から見据え、彼は軽くため息を付く。
この世界では珍しい黒髪は短く大雑把に切られていて、鋭い目元に所々にシワの入った顔つき。
全体的に見ると中年男性のような印象を持つが、その佇まいからは並々ならぬ貫禄すら感じさせる説得力がある。
今の状況には合わないエプロンを身に纏おうとも、今の彼を笑うものは誰一人としていないだろうと、そう思えるほどに威厳のある姿をしていた。
彼が見据える先には、かつて魔王と恐れられた存在がいた。あらゆる生物の欠片を無理やり混ぜ合わせたかのような身体の歪さに、漆黒の薄い鱗粉を纏っている。まるで生き物とは思えぬ姿に加え、ゆうに二〇メートルは超えている巨体は、見るものを恐怖に陥れるには充分すぎる風貌であった。
しかしそれでもなお、彼は怖気付くことは無い。
断末魔にも聴こえるそれは未だに空気をかき乱し続けているが、彼は気にも止めていない様子で呟く。
「タロウ……か。勇者の名を持ったお前が魔王に堕ちるとは……」
腰に携えている鞘から刀身を引き抜く。
しかしそこにある筈の刀身は途中で折れてなくなっており、明らかに使い物にならない代物である。
「やはりすぐに殺しておくべきだった」
刀身が黄金色に発光する。それは輝きを増していき、刀身が折れている事すらわからない程に輝きを増した。
それを空へと向けると、やがて光は空に向かって一直線に駆け抜けていく。
それはまるで、一つの巨大な刃にも見えた。
雲を貫くほどの巨大な刀身。今でもなお輝きを増すそれは、触れたら最後だと感じさせる迫力がある。
彼が立つ場所から化物の位置まではそう遠くはないが、それでも『近い』という表現は出来ない距離である。
しかしこの刃は届く事を確信させる。それ程までに巨大な『剣』となっていた。
(……)
化物は未だ叫び続けており動く気配はない。
しかしそれでも巨大な剣は無慈悲にも振り下ろされる。それは化物に当たる寸前により一層輝きを増し、空一面を眩く照らした。
空気が揺れる。衝撃波は遅れて雲を霧散させ、太陽光が店長の髪を煌々と光らせた。
「いきなり必殺技は違うだろ?」
「──っ!?」
しかしそれは、たった二本の『指』によって止められる事となる。
店長ですら感知することができない程のスピードで目の前に現れた敵は、白く長い髪をなびかせながら馬鹿らしげに笑う。
「ラスボス戦を一撃で終わらせるなんてB級映画でもやらないぞ。あぁでも、このうざったい雨を止めた事だけは感謝してやる。身体が腐るから雨は嫌いなんだ」
緊張感のない気の抜けた声。聞き馴染みのある声。忌々しいあの声。
何時の間にか目の前に立つのは、フードを脱ぎ、顔を露わにした元魔王──エリカであった。
「どれだけ俺の邪魔をすれば気が済むっ……!」
「言わなかったか? 俺はしつこいんだよ」
人差し指と中指に挟んだ光の刀身をまるで飴細工のように粉々に砕くと、エリカは笑う。
店長はその光景に唖然としてしまった。
自身の力を注ぎ込んだ刀身が、一瞬にして砕かれてしまったその事実に。
エリカはそんな店長を見ると、以外そうな顔を作る。
「まだそんな顔できる感情があるのか。新たな発見だ」
「……隠していたのか」
「力をか? バカ言うな。使う機会がなかっただけだ」
「……ふざけた真似を」
「ふざけてるのはお前だ。いい加減人の話を聞くことを覚えろ──って、俺は人じゃないけどな」
そうおどけながらも地面を蹴って後ろに飛んだエリカは、店長から距離を取る。
「なぁ、本当に話し合うつもりはないのか?」
「……邪魔をするというのなら、選択肢はない」
「そうか」
「……奴が動けていない今こそ一番被害が少ない。
これ以上力を増す前にヤツを殺す」
「あぁそうだ。でもそれは逃げてるだけだろ? 『早く世界を救って楽になりたいですー』って」
「それが最善なだけだ」
「最善じゃない。それは妥協だ」
「その口を閉じろ」
店長が持つ折れた刀身から再び光の刃が生成される。それをエリカの方へと向けると、明確な殺意を持って店長は告げる。
「そこを退け絶対悪。次は加減しない」
「勇者に囚われた傀儡なんて見たくなかったよ──勇者タロウ」
刹那、音が消えた。
いや違う。音すらも店長が切り裂いてしまったのだ。そこに残るのは凄まじい衝撃波のみで、たった一振りであたり一帯の木々を消し飛ばす事となったのだ。
そんな中ポツリと残されたエリカは、とてつもない風圧に当てられながら乾いた笑みを浮かべる。
「ははっ──化け物め」
首元に光の刃が迫る。
寸前の所で首を捻り回避するが、目の前に迫るは柄による突きであった。
(なんて速さだよ!?)
無理矢理にでも身を屈めて回避したエリカが体勢を立て直そうと足に力を込めた瞬間、店長の膝蹴りがエリカの下顎を的確に捉えた。
遅れてやってくる衝撃波と共に、エリカは遥か上空へと打ち上げられた。そこに追撃として来るのは、果てしない輝きを放つ刀身から生まれた斬撃である。
「おいおい嘘だろ……」
目の前に迫る光景を見て、エリカはついつい言葉を零した。
その言葉は諦めによるものか。それとも圧倒的実力差によるものか。
いや違う。
エリカは店長の目の前で呆れによる溜息をついた。
「神剣モラルタ……神の怒りは凄いな?」
脊髄反射で再び剣を横薙ぎに払う。それにより地面を抉るほどの衝撃波が発生するが──
「無駄だよ」
次は真後ろから声が聞こえてきた。
気配から感じ取れる。傷一つ付いてないと。
瞬間移動とも違う。まるで元からその場にいたかのような錯覚を覚える程に、自然すぎる移動の仕方。
原理はわからない。しかし、考えている余裕もない。店長に出来る事はただ一つのみである。
「……殺し続ければ、その減らず口も治る」
「英雄様の口から出る言葉とは思えない」
店長は振り返りざまに剣を振り上げる。身を翻して避けるエリカだが、休む暇もなく振り下ろされた刃が目前に迫ってきていた。
空間が歪むほどの力の強さに驚嘆しながらも、避けきれないと悟ったエリカは左腕を犠牲にして致命傷を避ける。
「お返しだ」
隙が出来た店長の顔面に、エリカの横蹴りが炸裂した。脳を揺さぶられた店長は体勢を崩す。そこへ更に回し蹴りによってこめかみを強打され、店長の身体を数メートル程吹き飛ばした。
「おいおい……象くらい余裕で殺せるくらいの力でやったのに、なんでダメージ一つ受けてないんだ?」
斬られた腕を再生させながら、エリカは呆れた口調で言い放つ。
顔色一つ変えずに立ち上がる店長はその言葉には何も返さず、また剣を握る力を強くした。
そんな様子にエリカはまた、ため息をついた。
「あとどれくらい保てばいいんだ? 時間稼ぎにも限界がある……なッ!」
店長の追撃をバックステップで避けると、雲が晴れ、快晴となった空を見上げて大きく深呼吸する。
「頼んだぞ、可愛い勇者たち」
化物による金切り音にも似た奇声が空気を震わせる。それを合図に、店長とエリカ──勇者と魔王は、再びぶつかりあうのであった。
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