第六十一話.目覚め
ずっと前から言っていましたが、ここからが例の話を新幹線並みの速さで突っ切るゾーンです。
──夢を見た。
なんて事ない昔の夢。村に住んでいたときの記憶。何者にも変えられぬ宝物。
「マイちゃん」
誰かが呼んだ。
懐かしい響きだった。懐かしい声だった。懐かしい香りだった。
「今日は何して遊ぼっか?」
あぁ、そうだ。そうだった。いつもこうして遊んでもらっていたっけ。
まだ私が小さい頃、村のお兄さんによく面倒を見てもらっていた。優しくて、何をしても怒ることのなかった面倒見のいい兄のような存在。
いつも遊んでいた。いつも話していた。その毎日が楽しくて仕方が無かった。
──ねぇ、名前はなんて言うの?
ある日私は、彼に名前を尋ねた。
「な、名前?」
彼は困った顔を作ると、申し訳なさそうに頬を指で掻いた。
「名前はないけど……皆僕の事を****って呼ぶよ」
本当ならここで引き下がるのが良かったんだろう。でも私は……まだ子どもの頃の私は、生意気にもこう言った。
──ださいから名前つけたげる!!
あの頃の私は何も分かってなかった。もしかしたら思い出したくもない過去があったかも知れないのに、一歩踏み込んだ事を言ってしまった。
「え、えぇ!?」
彼は驚いた表情のまま固まった。何度かパチパチと目を閉じた後に、私の顔を見てはにかんだ。
「まぁいっか」
照れくさそうにする彼の顔がどんなものだったのかは思い出せない。でも、嬉しそうにしている事だけは記憶に焼き付いていた。
──んっとね、じゃあね、タロウ!
「た、タロー?」
──タ・ロ・ウっ!
「ははは……」
笑って誤魔化す彼の表情は、少し寂しげだ。
「何で……この名前にしたの?」
彼が私に聞いてきた。
私は待ってましたと言わんばかりに目を輝かせる。
──タロウはね! スゴいの! ゆうしゃだし、すっごく強いてきだってたおしちゃうんだから!
「そうなんだ」
彼は私の目を見つめた。その黒い瞳は、見ていたら吸い込まれそうになるくらいに綺麗だった。
彼は笑う。
「じゃあ僕は、今日からタローだね」
──タローじゃないタロウ!!
「ははは……ごめんごめん」
結局何回言っても治らなかったんだっけ。諦めた私が次にしたのは、絵本の物語。それをタロウにやらせる事だった。
「出たなー魔王! 僕がやっつけるからなー!」
──ちがう! タロウはそんなダサいこと言わないもん!
「えぇー……」
……今こうして見ても、タロウの演技力は皆無に等しい。
それでも彼は、彼なりに私を楽しませてくれた。文句も言わず、無茶を言っても笑って挑戦してくれて、まさに理想のお兄ちゃんだった。く
そんな彼が、私は大好きだった。
──わたし、タロウとケッコンしたい!
ある日遊び終えた私は、タロウにそう告白した。それは絵本による影響だった。勇者が結婚して、幸せに暮らす物語。
それに憧れた私は、彼と結婚すればこんな幸せな時間がずっと続くと思っていた、
「えぇー……ははは……」
彼は案の定困った顔をした。癖なのか頬を人差し指で掻きながら、しかし少し嬉しそうにして、彼はこう言う。
「なら、マイちゃんが大きくなったらね」
──ほんと!?
「うん、約束」
彼は屈んで私と視線を合わせると、小指を出した。
これは、私と彼の約束の証だった。彼はこの方法での約束を破った事など一度もなかった。
彼の大きい指に、私の小さい指を絡める。
それが、彼と過ごした、思い出の最後だった。
▽
「はっ──!」
夢から覚めたマイは勢い良く身体を起こす。
「はぁ……はぁ……ここは……」
まるで激しい運動を行ったあとのようにだるく重い身体に、マイは顔をしかめた。
しかしそんな事は気にしていられない。マイは無理にでも身体を動かし、立ち上がる。
(何とか……動くわね……)
そばには倒れて動かないエミル。瓦礫の方には、座りながら顔を俯かせ動かないナズナの姿。
そして気付く。
雨が降っている。それは最初から分かっていたが、それがただの雨ではなく、黒く淀んだ雨である事にマイは気が付いた。
その一滴一滴が体に当たる度に、身体のそこから冷えきるかのように恐怖の感情が湧き出てくる。
そんな感情を無理やり押し殺したマイは、次に空を見上げた。
空は黒かった。夜のような幻想的な姿ではなく、まるで黒いカーテンで覆われているような、そんな得体の知れぬ不気味さ。この黒い雨にすぐ気が付けなかったのも、このカーテンのせいで辺りが暗くなっているからだろう。
マイは視点を下に戻して、倒れて動かないエミルを視界に入れる。
「…………」
何もしないまま暫く見つめていたマイは、エミルの元に近付いて屈。
「エミル、ねぇエミル起きなさい」
マイはエミルの身体を優しく揺する。
「ん……んぅ……」
反応はある。しかし、本人が起きるのを拒んでいるかの様に起きる気配が感じられない。
「エミル……」
マイは揺するのをやめた。
──代わりに取り出したのは、腰に携えていた自慢の剣。
それをなんの躊躇いもなく、エミルの顔面から少し外れた場所に思い切り突き刺した。
言葉にならぬ、僅かな悲鳴が聞こえる。それは誰でもない、エミルから発せられたものであった。
「エミル……起きてるのは分かっているんだから、早く起きなさい。次は当てるわよ」
「は……はは……ちょっとした冗談ですわお姉さま……」
エミルはゆっくりと起き上がると、水に濡れ、汚れの付いたドレスを見て顔をしかめる。
「また新しく買わないといけないですの……」
「それは私も同じね」
自身の胸に手を当て、マイは呟いた。
レザー装備。その胸付近に空く大きな穴。まるで胸を貫かれたかのように、背中にも同様の穴が空いているのが肌に当たる雨により分かった。
「……お姉さま」
「……それ以上は聞かないでちょうだい」
不安げな表情を浮かべるエミルに、マイは顔を合わせる事なく大きく深呼吸した。
エミルの言いたい事など分かる。心臓を貫かれ、殺されてしまったマイがどうして立ち上がり呼吸をしているのか。
何故、治るはずもない傷が塞がっているのか。
「……エミル。早く行くわよ」
「い、行くってどこに……」
「見えているんでしょ?」
エミルは息を呑んだ。
確かにエミルには見えていた。崩れて瓦礫となり見通しの良くなったこの場所から、遠く離れた場所に尋常でない魔力が漂っているその光景が。そしてそれが、生きているかのように何度と何度も形を変えている事も。
しかしエミルは話さなかった。マイにこれ以上危害が加わらないようにと、言わないようにしていた。
エミルは反射的にマイの眼へと視線を向けた。そしてその視線の先には、確かに魔力の渦がある場所を向いているのが見て取れた。
「……お姉さま……もしかして……」
「ほら、早く行くわよ」
マイは言葉を被せるようにしてエミルを急かす。
「──二人だけじゃ心もとないし、あたしも付いていくよ」
背後からの声。それは、受付嬢であるナズナによるものである。
しかしその声はいつもと違って元気はなく、疲れ切った声であった。
マイは驚く事も無く、元々そうする予定だったと言わんばかりに口角を上げた。
「結構ぼろぼろだけど、大丈夫なのかしら?」
「それはここに居る三人ともに言えることだよ。それに、あたしもあの分からず屋に一発入れてやらないと気が済まなくなってね」
余裕はない。しかし、その顔に浮かぶは笑みである。
──三人は駆け出した。
向かうは最後の戦いとなる場所。街を崩壊させた元凶とも呼べる、魔王の元へと。
一番の盛り上がり場所になる予定だったんですけどね。シズクとファニの動き、自称魔王軍の奴らの動きは割愛します。書いてはいますが話が一段落ついてから後で割り込ませて投稿します。




