第五十九話.選択
だいぶ遅くなりました。申し訳ございません。
3月頃に仕事を辞めるつもりでいるので、それまでは更新頻度が長いかもしれません。
暫く、静寂が場を支配する。目を瞑り、起こるであろう出来事を直視しないようにするエミルだが、違和感を感じるまでは早かった。
目を開ける。
ふわっ、と優しい自然の香りが鼻をくすぐった。
タローとマイの間に、誰かがいる。
「気をつけなよ」
躊躇のないタローの拳。それは、マイの身体に到達する前に何者かが間に入り、阻止される事となっていたのだ。
「──マイ?」
女性の声。
妙に聞き覚えのある抑揚のない声。
瞬間、タローの身体は勢い良く後方へと吹き飛び、瓦礫の山に激突する。
砂埃が舞って、砂のカーテンにタローの姿は隠された。
今起きた出来事を理解出来なかったマイは、目の前にいる人物が誰なのかを理解した瞬間、大きく目を見開いた。
「な……ずな……?」
見間違えるわけが無い。
ヒラリとしながらも、落ち着いた深い青のフリルスカートに花柄の装飾が施された制服。腰ほどまである黒い髪が重力に従って垂れ下がり、ふわりと優しい香りを送り出す。
「久しぶりだね」
「ホントにナズナ!?」
それは、紛れもなく受付嬢のナズナであった。
「ちょ、え? なんで、今何をしたのよっ!?」
「落ち着きな」
状況を理解できないマイは声を裏返しながら問い詰めると、ナズナに頭をコツンと叩かれてしまう。
そんな緊張感のないそのやり取りのせいか、エミルが先程まで感じていた恐怖感も、危機感も、幾らか落ち着いてきていた。
(この人が来なかったら……いま頃姉さまは……)
恐怖に身体がすくみ、何も出来なかった自身の無力さに嫌気がする。
──死ぬのが、怖い。
当たり前の感情だ。
一度、彼女を守る為に死を経験したエミルならば、その感情は余計に敏感となっている事だろう。
しかし、そんな弱音は要らないとエミルは切り捨てる。
彼女を守る事こそが生き甲斐だと、そう自分に言い聞かせて震える脚を無理やり押さえ込む。
吹き飛び、瓦礫に衝突した化物は、何事も無かったかのように立っていた。
笑っているような、しかし悲しそうな、矛盾の表情でゆっくりと、しかし着実にこちらに歩いてきている。
エミルは唇を強く噛む。血が滲み、口の中が鉄の味で一杯になる。しかし、そのおかげで何とか声の震えを抑える事が出来たエミルは、ようやく口を開く。
「なんでこうなっているのか知っているんですの? えっと……」
「ナズナだよ。それと説明はあとで。今はとにかく純粋くん──もといタロー君を止めないと」
ナズナは必ず化物から視線を外さないようにしながらそう言うと、突如ナズナの姿が消え去る。
まさに一瞬の出来事。マイを狙う化物は一瞬で距離を詰めて拳を突き出したが、その拳をナズナが受け止めていたのだ。
その瞬間に雷鳴の如く轟く破壊音。辺りの瓦礫は衝撃で吹き飛び、化物とナズナが立つ半径五メートル程にはクレーターが出来上がる。
しかし不思議なことに、近くにいるマイやエミルには何ともなかった。もしかしたらナズナが何か施してくれていたのかもしれない。
そう頭の片隅で考えたエミルだが、そんな事はすぐに考えるだけ無駄だと理解する。
今は、それよりも別の思考で埋め尽くされていた。
(待つんですの……あの時とは全然……違うんですの……)
エミルは、タローの力は目にした事がある。もちろんマイも見てはいたが、そういう馬鹿力的な固有能力なんだろうと勝手に完結していた為その異常性に気が付かなかった。
(こんなの……ただの……)
『魔力が見える』固有能力を持つエミル。彼女だからこそ、その異常性が明瞭に分かる。
初めてタローが力を見せたあの時。彼は白色の魔力を纏っていた。初めて見た色だった。これ以上は無いだろうと心の何処かで思っていた。店長が見せた頭痛を催す程の魔力密度でも、白色だったのだから、これが限界なんだろうと思っていた。
しかし、目の前の現実が全てを否定する。
速さも、力も、全てにおいてあの時とは比べ物にならない。白でもなく、黒色の魔力を身に纏っている。
「何なんですのこの色……」
黒色の魔力。いや、黒色の『何か』は、完全にタローの身体を取り込み、肥大化していた。
他の人の目にはどう映っているか分からない。しかしエミルにはもうどうでもいい。
彼女の目には、ただ『化物』としか言いようがない見た目へと変貌していた。
そう、それはまるで──
「……あの時の魔物みたいじゃないですの……」
それは、マイと共に戦った合成獣。漆黒の影に覆われた、まさに化物とも呼べる存在。結局はタローが倒してしまったが、今のタローの姿はそれにとてつもなく酷似している。
──いや、違う。違うのだ。
あの時の魔物が、現在のタローの姿を真似ていたのだ。
合成獣、キメラと呼ばれる魔物は、突如現れた神を真似て作られた魔物だと聞いたことがある。
タローが魔物の元祖の一人であり、元となった魔物ならば似た姿をしている事にも納得がいく。
「──ボサッとしないッ! 早くあのクソ野郎なりなんなり呼んできてっ! マイは私の援護をッ!」
クソ野郎?
エミルは一瞬困惑する。
何とかナズナは持ちこたえているが、タローの力は増すばかりで衰えることがない。このまま行けば確実にナズナがやられるであろう事は簡単に予測できた。
エミルは走り出した。
誰を呼ぶか。そんな事考えるまでもない。尋常ではない程の魔力を保有していて、あのフード男を目にも止まらぬスピードで対処していた店長しかない。彼ならば、もしかしたらそのままタローを救ってくれるかもしれない。
そうだ。それがいい。それならば早くあの
店へと──
「まぁそう焦るなよお嬢さま」
「なっ……」
──何時の間にか目の前に立っていた、フード姿をした例の男。あたかも元々そこに存在していたかのように振る舞う男は、唯一見える口を開いた。
「アイツに頼むのだけはやめとけ。まぁ、かと言って俺に言われても困るから特別に一つアドバイスしてやる」
立てた人差し指を畳み、うさぎの耳のように何度か折り曲げる動作をする男。その口ぶりから今どのような状況になっているのか、エミルが何を考えているのかを理解しているようだが、声色は変わらず楽しげである。
そんな現状との差異に嫌悪感を抱き、エミルは顔を歪めた。
「今は急いでるんですのっ……!」
「焦るなって言っただろ? 俺も早くここを退いてやりたいんだ。こんな面倒ごと俺だって──いや何もない。ちょっとダルいだけだ」
この状況下でも相変わらず無駄事を喋り続けるフードの男。それにしびれを切らしたエミルは掌に魔力を集中させ、無詠唱で風の魔法を具現化させた。
「こうなったら無理矢理にでも……!」
「おいおいまて待て。ちょっと前にもこのやり取りしただろ? これこそ時間の無駄じゃないか」
次は、魔法を撃たせることもさせなかった。目の前にいる男が指を鳴らすと集めていた魔力が霧散し、魔法が成り立たなくなってしまったのだ。
「……話してもいいか?」
「なんで……なんで邪魔をするんですの! このままじゃお姉さまが! またお姉さまがッ! 次はわたくしが助けないといけないんですわッ!」
「ならさっさと話を聞いてくれ」
それは、あまりにも冷たく、突き放すかの様な言い方であった。まるで、次は無いと言われているかのように。
「……話して」
「そんな言い方されたら話したくなくなるな?」
「いいから早くッ!」
「おぉ怖い怖い」
男は肩をすくめてから、エミルの元へと歩を進めた。
「あの筋肉だるまは正義に囚われたただの傀儡だ。頼んだら最後、世界は救われるだろうが……お前らが望む結果にはならない。確実にな」
「……」
近付いてくる男に警戒をしながら、エミルは次の言葉を待った。すると男はエミルの目の前で立ち止まり、フードの奥から覗く紅色でエミルを見つめた。
「世界にとっての善ならば、それによって生まれる犠牲はいとわない。人が死のうが何だろうが、世界の危機が去ればそれは善だと認識される。必要な犠牲だったのだと、誰もが認める」
男は笑った。それは人に対してではなく、まるで自分に対して行っているかのように。
「──それが世界だ」
それは冷酷に、それは残酷に、それは絶望的に、彼はエミルへと告げた。
だからどうしたのだと。そんな事を聞くために止まったわけではないと。エミルは口を動かすが、肝心の言葉は出てくる事が無かった。
それ程までに、彼の言葉が重く感じられた。
「今の所アンタの選択肢は二つだ。一つ、あの英雄野郎に任せてフォボスをぶっ殺す。一番楽で確実だ。犠牲者もこっちの方が少ないし、魔物も今に比べたら格段に減る」
「そんな事……っ……」
出来るわけがない。
その言葉は喉元から上には上がって来ることなく、その言葉を飲み込んだ。
タローは善良な市民などではない。その正体は魔物であり、魔王とも呼ばれた魔物の元祖である。
──ここで倒した方が、マイの為にも彼の為にも良いのではないだろうか。
そんな思いがエミルの脳を掠めた。そして、その考えを助長させるかのように男が二つ目を提示する。
「二つ目。アンタの大好きなお姉さまに任せる。まず成功しないと考えたほうが良いが、可能性も無いわけじゃない。確率じゃ表せないが……助けられたとしても確実にアンタの大好きな偶像は死ぬだろうな」
つまり、タローを殺すか、マイを殺すか。
「どっちにする?」
もちろん答えなど決まっている。これまでずっと背中を追いかけ続けた、命の恩人であるマイ。彼女が居なければ今のエミルは存在しなかった。彼女にとっての全てと言っても過言ではない存在である。
(それに比べたら……)
タローなど、出会って間もない存在である。タローが犠牲になる事で世界もマイも守れるのならば、そちらの方が確実に良いだろう。
『ならこれは、マイさんには秘密ですよ』
幻術によって閉じ込められたあの時、タローが浮かべた笑みがふと過る。
『僕は村の人たちから追い出されることになりました』
二人きりになり、自身が何もできず無力感に襲われている時、彼が話してくれた過去。自身の固有能力により魔物を引き寄せてしまい、結果的に村から追放された彼の話。
エミルは自然と、タローと自分とで重ね合わせて見ていた。望んで手に入れたわけではない力によりパーティから裏切りにあい、結果的に追放された過去と、彼の過去を。
しかし決定的に彼とは違う点がある。それは、助けられたか助けられていないかである。
エミルはマイによって助けられた。しかし彼は?
今ならば分かる。彼は誰にも頼らず一人で暫く暮らしていたに違いない。望んで魔物として生まれてきた訳ではないのに、せっかく手に入れた生活なのに、少しのキッカケで追放され孤独となる。
その苦痛は、独りでは受けきる事が出来ない程に辛かったはずだ。
それなのに──彼はとにかく明るかった。前向きであった。諦めなかった。
そんな彼の背中を見たからこそ、そんな彼の心に触れたからこそ、エミルはタローに惹かれたのだ。
「──決まったか?」
男はいやらしく口元を歪める。
「えぇ、決まりましたわ」
「そうか」
エミルは迷いなく来た道を戻るようにして駆け出した。その顔には、一筋の希望が見える。
(逃げる為に冒険者になったんじゃない……その通りですわ、ブタロー)
それは第三の選択。どちらとも救えばいい。
嘲笑う人もいるだろう。そんな事が出来るならば苦労しないと。子どものような思考は捨てろと、叱咤するだろう。
しかし──例え、自分が犠牲になろうとも。
彼女にとって二人は、代えようのない存在である事には違いない。
(ブタローもお姉さまも。どちらとも)
「──そろそろか。男と遊ぶ趣味なんてないが、からかってやるか」
エミルの背中を見送った男は、おもむろに空を見上げた。
「……ほんと、俺の彼女は厄介な事を押し付けてくる」
呆れたような、しかし口元に浮かぶは薄い笑み。
風が吹いた。それと共に男の姿は消えてなくなり、この場には静寂のみが残った。




