第56話.繰り返し。
すみません。
エミルは状況を飲み込む事に暫し時間を要した。それはエミルにとっては永遠のような時間で、もう会えないかもと不安で不安で仕方がなかったあの思いが、マイとの再開で掌に乗った雪のように溶けて消え去ってゆく。
「お、おねぇざまあぁぁぁぁぁッ!」
涙を滝のように流し抱きつくエミル。いつものマイならば鬱陶しいと引き剥がしていたのだろうが、今のマイは抵抗する素振りは見せず、頭に手を置くのみだった。
「おねえさま……?」
いつものマイを期待していた。いつもの態度でいて欲しかった。
そんなエミルの願望は、マイが見せた表情によって打ち砕かれてしまう。
「…………ごめんなさい」
一粒の冷たい何かがエミルの頬に当たって流れていく。
マイはここに来るまでに、エミルの生死に関係なく会う資格は無いと己を戒めていた。自身の感情を抑えきれなかったばかりにエミルを死に追いやった自分は、どんな対応をされたって文句は言えないと。
あの男は言った。それはただの間抜けな逃げだと。この問題は、向き合ってこそ真の強者であると。そして、彼女は間違いなく生きているという事も。
マイも分かっていた。それはただの自己満足であると。それでも、実際に生きているエミルを見て、変わらないエミルを見て、マイは自身の弱さを自覚してしまう。
エミルと自分を比べた時、強いのは間違いなくエミルだろう。自分の勝手な行動で死にかけた筈なのに、あたかも何事もなかったかのように接してくる。
どんな顔をすればいいのか分からなかった。Sランク冒険者? 自分に憧れてここまでのし上がってきた彼女に、今の自分は相応しいと本当に言えるのか? 何事も無かったかのように接してくれてはいるが、本当は自分を憎んでいるのではないか?
そんな疑問ばかりがマイの首を締め付け、簡単に出せるはずの言葉を呑み込んでいく。
「──お姉さま」
エミルは言った。
「わたくしと、デートしてくださいません?」
恥ずかしそうに笑うエミル。
なぜ今、そんなことを言うのか。マイは疑問が絶えず、反応を返すことすら忘れてしまっていた。
暫く沈黙が続く。その時間が長くなればなるほどエミルの顔は赤く紅潮していき、耐えきれなくなったエミルはついにその沈黙を破った。
「じょ、じょじょじょ冗談ですわ!! そ、そう! ちょっとしたお嬢様ジョークですの!」
「ふふっ……あっ……」
思わず、といったように笑ってしまったマイはすぐに口を手で覆い隠し、俯いてしまう。
笑ってはいけない。笑う資格などない。そもそも、エミルとこうして話す資格すらないかもしれない。
そんな感情がマイの中で渦巻いていたからこその反応であった。そしてそれを理解しているエミルだからこそ、この場を和ませようとした。
だが曲がりなりにもお嬢様として育ってきたエミルだ。そんなスキルを持ち合わせる場面に出くわさなかったお嬢様は不器用に、慌てふためきながら次のネタを考え、思いついたその瞬間からマイに披露する。そんな普段のエミルに似つかない行動を見せつけられたマイは暫く眺めていたが、やがて首を振る。
「つ、続きまして……えぇー……」
「――エミル。もう……もういいわ」
エミルがただ話し続ける状態に、マイはついにストップを掛けた。その表情に笑みは浮かべられていないが、さっきまでよりかは幾分か表情が柔らかくなっていると感じるのは気のせいではないだろう。
マイはネタを披露する為に離れたエミルの元まで自ら歩み寄り、こう真剣な面持ちでこう話す。
「……何をしたって私がしてしまった事は無くならないの。これは私の問題。貴方が許したとしても……私が私を許せない」
「……おねえさま……」
自身の罪を認めるマイに対し、エミルは何をする事もできなかった。下手に言葉を投げても逆効果であり、明るくしようと話題を変えようとも、恐らくその気遣いがマイの心をまた抉ってしまう。
いつもの自分とは違い弱音がポロポロと漏れてしまうマイは、そんな自分自身に驚きつつもそんな自分を受け入れようとしていた。今までは弱い自分を認めず、自分は強くなったのだと過信、慢心し、そう信じて疑わずにやってきた。
、そんな自分だからこそ『Sランク止まり』だったのだと だがそれも今日でお別れだと言わんばかりにマイの口角僅かに上がっている。
長年の付き合いだからか……いや、いつもマイの背中にべったりと張り付いていたエミルだからこそ気が付けたのだろう。、エミルはそっとマイの頭部に手を乗せ、マイの心に渦巻く『悪』に対し、こう語り掛けた。
「おねえさまはおねえさまですの。例え過去の英雄がおねえさまを弱いと言ったとしても、わたしにとっては、強くて、優しくて、弱い人間にも手を差し伸べる強い冒険者ですの」
その言葉は優しくて、まるで泣きじゃくる子どもに優しく語り掛ける母親のようであった。
懐かしい匂いがマイの鼻孔をくすぐる。それは決していい匂いなんかではない、若干汗ばんだお嬢様に似つかない匂いである。やはり街の襲撃からろくな風呂にも入れていないのだろう。
いつものマイならばエミルに対し冷く、さっさとその臭いを落として来いと一蹴り入れていたことだろう。それでもマイは、今だけはエミルの腹に抱き着き、静かに嗚咽を漏らした。
何十年ぶりにも見せるマイの弱さ。エミルはただそれを静かに受け入れ、マイの髪をただただ撫でていた。そんな状態が続き、やがてエミルは綺麗に存在を主張する金髪に優しく口づけをし、頭部に顔を埋め、大きく深呼吸をし始める。
(お姉さまの匂いお姉さまの匂いお姉さまの匂いお姉さまの匂いお姉さまの匂いお姉さまの匂い――)
エミルは最後に大きく深呼吸をして、顔を離す。
顔に潤いを取り戻したエミルは、マイの手を繋いで泣き続けるマイとの二人で並んで歩いた。
それはまるで、過去にエミルが助けられた時のようであった。あの時は裏切られたエミルを助け、泣きじゃくるエミルの手をマイが引いていた。
懐かしい、とエミルは小さく笑った。
「──ハハッ。立派に強くなったじゃないか。俺達の力はもう必要なさそうだな」
──路地裏。建物の屋根上に座っていたフードの男はその様子を見届け、立ち上がる。
「さてと……そろそろ来るかな」
そう言いながらも口笛を吹くフード姿の男は、やがて音もなく消え去った。
時間の感覚が壊れています。1ヶ月くらいだと思っていたんですが……すみません。やるやる詐欺が凄いですね。
話しに矛盾点が多々あるとは思いますが、今は気にせず突っ切ります。よろしくお願いします。




