第五十一話.変化
なんとか一話に収めたかったので無理やり詰めました。
風が止まる。いや、それだけでなく時間も止まっていたのかもしれない。マイは男──エリカの言葉をいつまで経っても理解することは出来ず、ただ何度もエリカの発言が脳内で反響するだけであった。
「ちょ……ちょっと待ちなさい……魔王で……魔王軍を作った……? その……何かの冗談よね……?」
「こんな所でふざけたりなんてしない。俺は魔王で、こんなくそったれな世界を変えるために魔王軍を作った。これは紛れもない事実で、変えられない過去なんだ」
エリカは寂しげな表情を作りながら、「怖いか?」とマイに確認を取った。マイはその言葉に首を横に振って否定するが、身体は芯から冷えているかの様に震えが止まらない。
「……俺はアンタが何をされたのかはある程度把握してる。寝てる間にある程度読ませてもらったからな。だからまぁ何というか……魔王に対する感情も少なからず分かる」
「なによそれ……私の記憶を読んだってことかしら?」
「あぁそうだ。こんな感じでな」
頷きながらエリカはマイの頭に手をかざすと、突如として頭痛が走った。それと同時に流れてくるのは、複数の人間の記憶だった。だがそれは、決して楽しい記憶なんかでは無い。マイはこんなものは見たくないと目を閉じるが、それでもなおその光景が目の前に映しだされてしまう。
それは、絶望し、この世に希望を失った者達が声が枯れるのも気にせず泣き叫ぶ記憶だった。最愛の者を奪われた者。家族を殺された者。親友に裏切られた者。拷問された者。そんな者達が放つ絶望を帯びた叫び声が、何度も何度も何度も何度も頭の中で反響し、マイは込み上げてくる吐き気に口を抑えた。
「記憶は魔力にも保存される。そして絶望という感情が魔力を帯び具現化した俺は、こいつらの絶望を持って生まれてきたわけだ。これで信じてくれたか?」
口を抑え、目を見開きながら頷くしか無かったマイだが、不思議な事にやがてその記憶は薄れていく。そして最後に残ったのはただただ不快な気分だけであった。今ではどんな出来事だったのかも思い出せないが、感じた感情だけはマイの心の底に残っていた。
「……嫌な経験をしたわ。貴方はいつもこんな記憶と闘っているのかしら……?」
「いや、いつもって訳じゃない。ただ、何か心が揺さぶられる事があったらさっきみたいに記憶が流れ込んでくるんだ。それはまるで水を貯めるダムが決壊したときみたいにな」
エリカはおどけるように肩を竦めて見せた。
この男が何故おどけるのか。その理由が何となく分かったマイは暗い表情で呟く。
「貴方は……凄いのね……」
わずかな時間、ほんの一瞬の出来事だったが、たったそれだけで発狂しかけたのだ。いつその記憶が、その感情が襲い掛かってくるかも分からない恐怖は尋常ではない筈だ。
だがエリカは、そんなマイの言葉を聞いて表情を暗くすると、そうでもないさと自嘲気味に鼻で笑った。
「……世界の為に殺された時も、俺は人間の事なんて何も考えてなかった。皆が笑顔で暮らすことが出来る世界を作ると言っておきながら、それと真反対に感情に任せて人間達を殺したんだ」
「殺した……でもさっき望んで殺した事はないって……」
「俺以外の奴等はな。俺は、俺だけは考え方が違った。不要な人間を殺せば世界が平和になるなんて考えて、殺して、殺して、殺して、殺して──そして俺は、『絶対的な悪』として仲間だった奴らに排除された。結局、不要な奴は人間ではなく俺だったんだ。笑えないだろ?」
エリカは空を見上げる。
マイはそんなエリカの表情を見てハッと息を呑んだ。まるで後悔してもしきれない過去を懐かしむような、そんなどうしようもなく寂しげな表情。何処かで見た事のある表情だったのだ。
エリカは話を続ける。
「生まれた魔物が被害者なのは変わらない。だが、対立の原因を作ったのは俺が深く関係してる。魔物は悪くない、全部俺が悪いんだと、そう気付いた時には既に殺されていた」
『殺されていた』
エリカが話す内容が本当ならば、今目の前にいるこの男はもうすでに死んでいる事になる。だが、見たところピンピンしているし、イマイチ殺されたという印象は感じない。
「あなたは……まだ生きてるわよね……? 死んだふりをしたってことかしら?」
マイは直球で疑問をぶつけると、エリカは困ったように眉間に皺を寄せた。
「あぁー……まぁここまで言うつもりは無かったんだが……まぁいい。アンタは昔の彼女に似てる、その綺麗な金髪とか特にな。だから特別に教えてやる」
エリカは寂しげな表情のまま薄く笑みを浮かべた。
「──この世の絶対悪として殺されたせいで、もっとくそったれな存在に生まれ変わったんだよ」
「生まれ変わった……?」
「分からなくていいさ、どうせすぐに忘れる」
エリカはそれだけ言うと、手を振りながら森の奥へと歩みを進めていく。
「あ、ちょっと──」
マイは返す言葉が何も思い浮かばずポカリと立っていたが、これでは駄目だとマイは止めに入ろうとして──その手を止める。
(──なんで止めるの?)
なぜこの男を止める必要がある? 止める意味など無いではないか。
そもそもこの男は信用出来るのか? もしかしたら騙しているかもしれないじゃないか。それにこの話が本当だとすれば、この男さえいなければ魔王軍は生まれなかったと言うことになる。例えマイの村を破壊したのが偽物だったとしても、この男さえいなければそもそも偽物すら生まれてこなかったのだ。
そう、そうだ。この男さえいなければ、村は破壊されずにすんだのだ。家族が殺されずにすんだのだ。マーおばさんが殺されずにすんだのだ。親友のタロウが殺されずにすんだのだ。
ならば今はチャンスではないか。この時、この瞬間を逃すなど言語道断。ここでこの男を刺し殺せば復讐だって果たせるし、『魔王を倒した英雄』にもなれる。家族も、親友も、誰もがそれを望んでいる。もちろん自分も望んでいる。
昔の夢は何だ? 結婚? そんな訳がない。本当は英雄になりたかったのだろう? だからおとぎ話が好きだったのだろう? だから強くなったのだろう?
さぁ、殺せ。いますぐこの男を殺せ。忌々しいこの『元凶』を滅ぼせ──ッ!!
「──うるさいッ!!」
叫ぶに近い声で、マイは自分自身に喝を入れた。それによってか曇り始めていた自意識は完全に晴れ、その声でエリカは歩みを止める。
「魔王軍が何よ……魔王が何よ……! 確かに魔王軍は私の敵よ……村を……家族を……親友を殺した最低な奴らよ! 偽物だろうが本物だろうがそれに変わりはないわッ!!」
──でも。
「でも! 私は私の目を信じるのよッ!!」
その言葉は、エリカに向けて放っているというよりは、自分に向けて言い聞かせているかのようだった。
その甲斐あってか、マイの思考に渦巻いていた『悪』は完全に消え去り、普段の思考能力が戻ってくる。
「な……んで……」
エリカは目を見開く。開いた口はそのままで、まるで信じられないものでも見たかのような反応を見せていた。
「……何で……何でだ……? 何で解けた……? 何で俺を信用した……? 普通ならここで殺す所だろ……! それでお前の復讐心は完全に──」
珍しく動揺しているのか、この言葉は震えていて頼りないものになっていた。それに被せる様にしてマイはこう叫ぶ。
「私を助けてくれたッ! 信じる理由なんてそれだけで十分よッ!!」
──馬鹿みたいな事を言っている。それはマイも十分に理解していた。タローに影響されているのかもしれないとマイは内心ため息を付くが、この言葉が本心である事には変わり無いのだ。
そして同時に気付く。
この男が見せる寂しげな表情。それは、タローが時より見せる顔と酷似していたのだ。このエリカという人物を信用したのは、心の何処かでタローと被せていたからなのかも知れない。タローと同じ
マイがそんなことを考えていると、男は空を見上げながら、崩れ落ちるようにして地面に両膝をついた。
「……すまない取り乱した。俺は……アンタに俺を殺して早く忘れて欲しかったんだ。あぁー……だから素顔を見せたのに……いやこの際だそれはどうでもいい。とにかくだ」
エリカは立ち上がると、踵を返してマイの元まで戻った。その顔は先程までの弱気なものではなく、いつも通りの薄い笑みを浮かべている。
「なぁどうだ? 俺に名前を付ける気は無いか?」
「何よ……そんなペット感覚で言われても困るわよ」
「はっ、冗談だ。これ以上名前が増えたら俺も困る」
ようやくエリカはいつもの雰囲気に戻る。へらへらと軽く笑い、マイもそれに釣られてか笑みを浮かべた。
「それでアンタはこれからどうするつもりなんだ? アイツらに復讐するにしても準備が必要だしな」
エミルの言葉で、そう言えばそうだとマイは今更考える。と言っても選択肢は一つなので、そう時間は掛からなかった。
だが問題は、始まりの街といえばエミルが自分を庇って死んでしまった場所だ。自分が怒りに狂いエミルを吹き飛ばしたあの記憶が逆流してくるが、意外にもマイは動揺せず、首を横に振って落ち着かせると、「そうね」と始まりの街がある方角の空を見上げた。
「私は一度戻るとするわ。私一人ではどうも出来ないし、タローも探さないといけないから」
「タロウ……? なんだ、勇者と知り合いなのか?」
「ゆう……え? あ、違うわよ! そんなのじゃなくて! ……タローって子が私の仲間に居るのよ。何も言わずに何処かに行っちゃったから心配で……」
「へぇ、タロー……か。珍しい名前だな。この世界でその名前は勇者くらいだと思っていたが……あぁー所謂キラキラネームってやつ? 俺はいいと思う……いやまてこれはちょっと嘘だ。俺にとっては良くない、その名前を聞く度に動いてない心臓に響くんだ」
エリカは訳のわからないことをぶつぶつと呟くが、マイはそれを華麗にスルーする。こんなところでエミルで養ったスルースキルが役に立つとは思わなかったマイは複雑な心境になりながらも、別れの挨拶をするために一歩距離を置く。
「じゃあ私はもう行くわ」
「それで──えっ、もう行くのか?」
「えぇ、なるべく早く帰ってタローを見つけないと。それに」
「あぁそうか、そう言えばそうだった。なら俺も付いていく。始まりの街だろ? チョチョイのちょいだ任せろ」
「そう……えっ? 何で!?」
男は調子がよさそうにニマニマと気味の悪い笑みを浮かべ続ける。
「俺はアンタが気に入ったんだ。それに最近は魔物が物騒になってきてるし、俺がいれば何かと便利だぞ? 馬鹿な魔物以外は寄ってこないしな。虫除けスプレーならぬ魔物スプレー扱いでもいい。むしろ大歓迎だばっちこい」
「魔物スプ……ん……?」
魔物スプレーと言われてマイはハテナマークを浮かべるが、思い返せば確かに魔物に襲われる頻度が少ない。目が覚めてから魔物達に襲われた時だって、エリカの腕を噛み千切っただけで逃げるかの様に退散していった。
やはりこの男が魔王だったのが関係しているのか……と思考を巡らさながらエリカをまじまじと見つめるマイ。
そこで気付く。
(──あれ? 腕が再生してる?)
冷静になって見てみれば、食い千切られた筈の腕が再生している。記憶を蘇らせたりエリカの記憶の一部を見たりと今は記憶が入り乱れているので、食い千切られたと勝手に思い込んでいただけかもしれないが、どうもそうとは思えない。
「その腕……確か食べられていたわよね?」
「ん? あぁ……」
今更かとエリカは笑いながら右腕を顔の動きで指すと、左手で右腕を掴んで取り外してみせた。
「これは取り外し可能な右腕なんだ。便利だろ? 魔力を流せば服も直る便利な代物だ」
エリカは自慢げに右腕を繋げたり外したりと実演してみせるが、見ていてあまり気持ちの良いものではないのですぐにマイはやめさせる。
「も、もう分かったわこの話はやめましょう……」
右腕が取り外し可能なんて聞いたこともないが、元とはいえこの男は魔王なのだ。常識は通じないと考えた方がいい。
マイはそっと記憶から抹消すると、話を戻した。
「それで、私はこれ以上助けてくれても何も出来ないわよ? それでもいいのかしら?」
「いやいや、俺も俺でアンタには恩を感じてるんだよ。いや、たったさっきアンタ以上に感じたってのが正解か。俺の腐った脳にまた一つ思い出が刻まれるのは久し振りだからその恩返しがしたい。何でも聞くぞ? 何が良い? やっぱり俺に名前を付けるか?」
「名前はつけないわよ……!」
訳のわからないことをひたすら並べるエリカに頭が痛くなるマイだが、もちろん顔には出さない。今こんなふざけた態度を取るのも、空気が悪くならないためのエリカなりの配慮なのだろうとマイも理解しているのだ。
だがそれでも腹が立つのはこの男の性質故か。
「それでどうするんだ? まあどうせ断っても無理やり付いていくけどな」
「拒否権無いじゃない…………」
と言うものの、エリカの頼みを断る理由はない。今のマイは病み上がり、帰り道で出会う魔物との戦闘にも苦労する事だろう。だが、それを考慮してもどうしてもマイは連れて行くという決断が出来なかった。それは何故か分からない。ただ、心のどこかでこう囁く自分が居るのだ。
――このまま男を連れて行く事になれば後悔するぞ、と。
だが、断れる立場では無いマイは渋々といった形でエリカの提案に頷いた。
「なら決定だな」言うなり、エリカは軽々とマイを抱き上げた。所謂、お姫様抱っこである。
「……へ?」
マイの理解が追い付く前にエリカは薄く笑みを浮かべると、突然それは起きた。
マイの身体に、空気の塊で腹を押しつぶされているような感覚が突如襲い掛かってきたのだ。
反射的に閉じた目を開けてみれば、そこはもうはるか上空。さっきまで自分が居た場所など特定できない程高い場所へとやってきていた。
「な、なななにをしているのかしら!?」
「何って、俺特製物理テレポートだ。高速で移動するから気を抜かずに歯を食いしばれよ」
「何を言って──」
その言葉を最後に、襲い掛かる空気の重圧がさらに強くなる。
──あぁ、こんなにも早く後悔することになるとは。
それが頭に過ったのを最後に、マイは意識を手放したのであった。そしてそんな事は露知らず、エリカは楽しそうに笑いながら、マイの耳元で囁いた。
「よし、勇者に会いに行くぞ」
▽
次はエミル視点に移ります。このマイとエリカのやり取りの三日前の話です。




