第四十七話.記憶
男とマイは同じ木に背を向け合う形で座ると、マイは何が起きたのかを説明し始める。
「……街を破壊されたのよ。私が何日眠っていたかは分からないけれど、多分つい最近の事よ」
「街を破壊された?」
「魔王軍、って知っているかしら」
マイのか細い声に対し男は、マイから見えないながらも頷いた。
「もちろんだ。おとぎ話に出てくる奴等だろ?」
「……えぇ。もう一〇年くらい前かしら。私が暮らしていた村に突然魔物が襲ってきた事があるのよ。普段は魔物なんて居ないのだけれど、その日は違った。一人の男が魔物を引き連れて来たのよ」
「あぁー……」
男の言葉にマイはこくりと首を縦に動かすと、涙を堪えるためかマイは空を見上げた。
「私の両親、兄弟、友達。あの日にすべてを奪われた。姿は……覚えていないけれど、魔王軍と名乗っていたのは何となく覚えているわ。まぁ、街に降りて話しても信じてくれなかったけれど」
静かに、呟くように話すマイだが、その声にはどこか強い怒りが込められていた。それを感じ取った男は同情の頷きをすると、
「……まぁそうだろうな。もう何百年も前の話だから誰も覚えちゃいない。だから一般人からしたらあくまでもおとぎ話の中の話。信じてくれないのは当たり前だ」
男は鼻で笑いながら言うが、そこにふざけた雰囲気は感じられない。これが彼なりの"真面目"なのだろう。
すると、そんな男の言い方に引っ掛かりを覚えたのか、マイは眉をひそめた。
「……それにしては、貴方は信じてるみたいだけれど」
この言葉に、男は片手を振り、驚きの仕草を露骨に見せた。
「あぁ待て待て、勘違いしてるな。俺は信じてなんかない。何故かって? 魔王軍は確かに実在していたからだ」
「……よく分からないわね」
「分からなくていい。考えるだけ無駄だ」
男は話をバッサリと斬り捨てると、「それよりも」と言葉を続ける。
「取り敢えずアンタが魔王軍嫌いなのはよく分かった。どうせ街を襲ってきた奴らが魔王軍って事だろ? じゃないとアンタが正気を失う理由がない。だからまぁ、そこは信じてやる」
じっと待つ事に男は慣れていないのか落ち着かない様子で立ち上がると首を振り、マイに向かって片手を広げて見せた。
「でも俺が知りたいのはそこじゃない。魔王軍がどうとか今はどうでもいい。俺が知りたい事はただ一つ、アンタが襲われた時に何をしたかだ」
「何を……した……?」
マイは過去を思い返す。正気を失う前、自分はどんな行動をしたのか。
「分からないか? 勇敢にも立ち向かって退けた勇者なのか、それともその場から逃げた臆病者なのか。それを聞いてるんだ」
男は顔をマイへと向ける。
マイは男を見上げる形で見ている為、男の紅い瞳が不気味にも見え隠れする。やがてその瞳がマイの弱々しい姿を捉えると、マイは心臓は跳ね上がるのが分かった。
「私……は……」
逃げたわけではない。しっかりと魔王軍に立ち向かい、街を、人々を守ろうとした。
だが、何故かその言葉が出ない。喉元までは行くのだが、まるで首を締められているかのような錯覚を覚え、言葉が出てこないのだ。
マイが暫くそんな様子で止まっていると、男は鼻でため息を付き、屈み込む。
「あぁー、言っておくが、負けると分かっていても戦いを挑むのは勇敢とは言わない。それは無謀だ」
「──っ」
マイの心を読み透かした男の言葉に、思わずマイは言葉にならない声を出してしまう。
男は図星だと分かると鼻で笑い、こう続ける。
「無謀にもアンタは魔王軍らしき者に勝負を挑んだ。そして家族の復讐と言う名目で自殺をする為にここまでやって来て、無様にも俺みたいな良く分からん奴に説教されてる。それが勇敢な奴だって? 俺はそう思わないな。俺が知ってる奴は世界の為に死んだくらいだ」
世界の為に……? マイは疑問を持つが、男の話はまだ続く。
「アンタは勇敢な奴じゃない。真逆の臆病者だ。ホントはアンタはこう思ってる。『魔王軍なんてどうでもいい』ってな」
「ちがっ──」
「違わない。アンタは恐れてるんだ。魔王軍に? いや違う。じゃあ誰にだ? 魔物か? 仲間か? あぁ俺なんて選択肢もあるかもな。だがどれでもない。何故ならアンタの選択肢には無い答えだからだ」
男はたまに鼻で笑ったり陽気に話しているが、その空気、声から真剣に話している事が伝わってくる。だからこそ、マイは真剣に考えた。一体何に恐れているのかを。
だがいくら考えても思い浮かばない。魔物も、魔王軍も、怖いなんて思ったことがこれまでに無いのだ。どちらかと言うと、恐怖よりも怒りの感情の方が高い。なので、そもそもマイには恐れる存在などいないのだ。
その筈だった。
「アンタは恐れてる」
「っ……」
またマイの心を読み取ったかのか、それとも偶然か。男は突然そう言い出すと、その瞳でマイを縛り付けた。
「──紛れもないアンタ自身にだ」
その言葉を聞いたマイは目を見開く。
──自分自身に……? どうして? 理由がない。
そんな事がぐるぐると脳内を回り続けるが、その答えの無い答えは、やがて男の口から発せられた。
「アンタに取って『魔王軍』はなんだ? 復讐の対象? 怒りの対象? 違うな。アンタは『魔王軍』に負けるのが怖いだけだ。魔物に負けるのが怖いけだ。確かに最初は努力し、"Sランク冒険者"まで上がってきた。あぁ凄い、確かに凄い。でもアンタはそこで満足してしまったんだ。周りが持ち上げるから自分は強いだなんて錯覚を覚えて、これなら誰にも負ける事は無いと"慢心"した。だからこそ負ける事に恐怖を抱いた」
「──ッ!!」
『醜い』
あの鎧の男に吐き捨てられた言葉がフラッシュバックし、マイの瞳に怒りが宿る。
「まただ。素直に受け止める練習でもしとけよ」
「ご、ごめんなさい……」
男に注意され、ハッと意識を戻すマイ。反射的に謝罪すると、男は頷いた。
「……じゃあ話を戻すか。さっきも言ったがアンタは負けるのが怖い。これまで努力してきた事を否定されるのが怖いんだ。負けたら否定された気がして、これまでの努力が全部無駄だった気がしてならない」
「……」
あぁ、この男の言う通りだと、マイは考える。
自分の事しか考えず、"Sランク"だから強いなんて慢心し、勝ち目のない相手と無謀にも戦い、負けた。しかもその理由は、自分の努力を否定されたく無かったからだ。確かに最初の理由は『復讐』だったかも知れない。だが、最後は自分の『プライド』を守る為に戦おうとした。Sランク冒険者だからと自分を優先した。
なんて惨めで、馬鹿な人間なんだろうか。そして仲間に、そして何よりも自分に付いてきてくれるエミルになんて言えば──
そこまで考えると、マイの頭が酷く痛んだ。頭にヒビが入っているのではないかと言う程の痛みに、マイは小さく唸る。
「あぁ、やっと思い出したか?」
男は目元を細め、まるで全て予想通りだと言わんばかりの言葉と共に不気味な笑みを浮かべる。
「わ……たしは……っ……?」
あの時、あの場所で。何故自分は見逃されたのだろうか。その時の記憶が何故か曖昧になってしまっている。激しい怒りの感情は脳に残っているのだが、何故怒りの感情が湧き出ていたのかが分からない。ぼんやりとしていて、記憶にもやもやと霧がかってしまうのだ。
「まぁ……普通なら無理か」
男は面倒くさそうに舌打ちをすると、言いづらそうに「あぁー……」と続ける。
「目を閉じてくれるか? 別にキスとかやましいことは何もしない。俺には既に可愛い女が三人もいるから意味が無い。まぁ四人目になるなら歓迎するが」
「いえ……遠慮しておくわ……」
マイはそんな冗談を愛想笑いで返すと、男は残念そうに肩を落とす。それにマイは軽く笑い、目を瞑った。
「絶対に目を開けるなよ? 俺は素顔を見られるのが嫌いなんだ。気になるのは分かるが絶対に見ないでくれ。あ、これはフリじゃないからな」
男の念を押す言葉にマイは力強く頷く。
男は暫く様子を見た後にフードに手を掛けると、ゆっくりと頭部を晒していく。
やがて晒された白く長い髪が突風にあおられ、まるで久しぶりの風に喜ぶ旗の様にハキハキとなびいた。
「──アンタの記憶を呼び起こしてやる」
頭に男の片手が添えられると、パキッ、とまるでクラッカーを半分に割った時に似た音が鳴った。その瞬間に、マイの記憶を覆っていた霧が一気に晴れた。




