第二十九話.僧侶の決意
第二十九話.僧侶の変化
「エミルはそこの女性を護っていてくれるかしら」
「なっ、お姉さまが戦うならわたくしも戦いますわ!!」
「強がっても無駄よ。尋常じゃない程汗をかいてるじゃない。毒が回って来ているなら無理をして動くべきじゃないわ。あなたが今出来ることはバリアを張って、私を援護すること。それは逃げでも何でもないわ」
マイはエミルを見る事なく言うと、剣を地面に突き刺す。
確かに今のエミルは戦える状態では無い。本人もそれを分かっていたからこそ大技を放って少しでも弱らせようとしたのだ
だが、だからといってバリアを張り、見ているだけではまず勝てないだろう。さっきマイ自身が言っていた通り、Sランク冒険者一人程度で勝てる相手でも無い。あの一撃ですらダメージにならないのだ。ここは無理をしてでも加勢するべきではないのか。
そんな思いがぐるぐると回る頭の中を駆け回るが、毒が回っているせいで思考能力も落ちてきたのか意識がぼんやりとしてくる。
このままでは意識が持たない。エミルは並の毒ならば暫く耐えられる自信があるが、どうやらこれはただの毒ではないらしく、今も油断すれば意識が飛びそうなレベルになっていた。
どうにかして意識を保たなければならない。
歯を食いしばり、そんな事を考えていた時。
「か、神のご加護を──」
そんな声が聞こえた途端、スッ、と身体が体が軽くなるのが分かった。まだフラフラとはするが、息苦しさや体痛みは大分楽になっている。
何が起きたのか。それは声が聞こえた後ろを確認したら理解できた。
「ウチに出来ることは……このくらいしか……」
動けなかった僧侶はエミルに近付き、傷口である横腹に手をかざしていた。
その手は白く淡い色で光っており、まるで吸い付くかのようにエミルの傷口からは毒であろう液体が少しずつ僧侶の手に集まっていく。
「貴方……本当にEランク冒険者ですの……?」
体内にある毒のみを抽出する。そんな技術はエミルでさえも聞いたことが無かった。
だが僧侶は答えることなく治療を続ける。その手が震えているのと、顔色もあまり良くないところを見ると、恐怖で話が耳に入らなかったのだろう。。
暫くすると、マイの方が戦闘を始めたのか激しい爆発音がこちらまで響いてくる。その頃には完全にエミルの身体からは毒が消え去っていた。
「う、ウチはもういいです……だからあの人と一緒に逃げてください……」
「それに関しては出来ませんの。逃げるのなら貴方だけで逃げるのですわ」
即答だった。
エミルは立ち上がると、少し体を動かしてから頷く。
「ここで逃げたらブタローに負けているような気がするんですわ。それだけは嫌ですの」
「でも……」
「助かりましたわ」エミルは感謝の言葉を告げると、青白く光るドーム型のバリアを僧侶の女性を中心に展開し、合成獣に向かって駆け出す。
もちろんマイはエミルの復帰に驚きを隠せていなかったが、今はそんな事を考える余裕がないマイはエミルと協力して合成獣と対峙した。
これは勝てる戦いではない。それなのになぜ逃げないのか。そんな事を考えている今でも僧侶の前方では激しい戦いが繰り広げられている。
合成獣の魔法に毒液。さらにその巨大な腕による攻撃。すべて威力もスピードも桁違いだ。地面は合成獣が前足を振り下ろすたびに抉れ、毒液は目で追えない程の速さ。
エミルが合流した今でも劣勢なのには変わらなかった。
「ウチは……」
二人が合成獣の猛攻に耐え切れず、吹き飛ばされてしまう。辺りに木などの障害物はないため、二人は無様にごろごろと地面を転がっていった。
二人はもう限界が近いのか、痛む体を無理に起き上がらせるが、合成獣は追撃として大きく飛びあがり、今すぐにでもマイを踏みつぶそうとしていた。エミルは咄嗟にバリアを展開するが、合成獣の足が触れた瞬間にヒビが入った。
(このままじゃ──)
バリアは破壊され、マイは潰されて死んでしまう。
そう頭ではわかっていても、体は言うことを聞かなかった。
足が震えて立つことすらまともにできない。正直なところ、こんな状態でさっきのエミルを治療することが出来たのはほぼ奇跡に近かった。
これ以上何が出来るのか。自分はやれることをやった。
「お母さん……」
僧侶の女性は十字架のネックレスを両手で包むと、静かに目を瞑る。
『困ったときはこれを使い。ほら、ウチ特製の十字架。ウチとお揃いやで』
そう言ってニヤニヤと笑う母の姿が不思議と思い浮かんでくる。
今はもう無き母の姿。いつもは思い浮かべるたびに心に穴があくような、そんな虚無感ばかりが襲ってきていた。
でも不思議と今はそれが頼もしく思えて、僧侶に少しの勇気を与えてくれた。
「お母さん……今がその時……やね……!!」
僧侶の思いが具現化するかのように十字架が淡く光り出す。それは両手の指の隙間から溢れ出し、それは一瞬で辺り一帯を優しい光で包み込んだ。
パリン、とガラスが割れた時の音が鳴り響く。エミルが展開していたバリアが限界を迎え、破壊されてしまったのだ。
僧侶は──シズクは閉じていた目を開く。それに反応してか、その背中から魔力による光の帯のようなものが何本も現れた。
その僧侶の瞳には、もう恐れなど微塵も残っていなかった。
「させない」
その言葉と同時に、マイの前方に純白のバリアが展開された。合成獣がそれに触れた瞬間バリアは強く発光すると、合成獣を何一〇メートルも吹き飛ばす程の衝撃波を発生させる。
合成獣は空中で体勢を立て直すと、地面に着地する。そして静かにシズクを睨みつけた。その紅の瞳からは怒りを読み取れる。
合成獣は地面を強く踏み込むと、姿勢を低く保つ。恐らく突進をするつもりなのだろうが──
「閉じ込める」
させないと言わんばかりに合成獣を中心に正方形のバリアが展開される。合成獣は踏み込んだ足の力を解き放つが、そのバリアに触れた瞬間また弾かれてしまい、結局攻撃は成功しなかった。
「無駄。そのバリアは攻撃じゃなくて邪悪な存在をバリアに触れる前に弾く作りになってる。だからいくら攻撃しても通らんよ」
シズクは伸ばした掌を強く握る。するとその動きに連動してバリアが収縮し、合成獣を無慈悲に圧縮していく。合成獣は何とか踏ん張って耐えるが、このままでは押しつぶされるのも時間の問題だろう。
「よ、よく分かりませんが行けますわ!!」
エミルの言葉にシズクは頷くと、このまま押しつぶして倒そうと、全ての力をそのバリアに注ぎ込んだ。
だが。
パキッ、という音と共にバリアにひびが入り、それからまるで飴細工を落としてしまった時の様に見るも無残に砕け散ってしまった。
「うそ──」
流石に予想外だったシズクに、一瞬の隙が生まれる。
急いで対処しようとしたその時には、もう合成獣の姿はシズクのすぐ目の前にあった。その紅い眼がシズクを睨みつけると、シズクは蛇に睨まれた蛙の様に動けなくなってしまう。
その圧倒的速さに、その圧倒的威圧感に、まさにシズクは圧倒されてしまったのだ。
更に驚くべきなのは、エミルもマイも反応が出来ないその速さ。瞬間移動ともいえるその速さを見ると、さっきまで合成獣は遊び感覚で戦っていたのだとここにきて初めて思わされてしまう。
「やっぱり──」
──無理やった。
そう呟こうとした、その時だった。
「駄目なんかじゃないよ」
そんな声が聞こえたかと思うと、合成獣の身体がくの字に折れ曲がり、凄まじい勢いで吹き飛んでいく。その直後に途轍もない突風が巻き起こり、思わずシズクは目を瞑った。
「すいません、遅れちゃいました」
この場に合わない間抜けな声。その声を聞いたエミルとマイは、安堵からか自然と笑みが零れる。
「もう……遅いのよタロー」
「そうですわ」
「ハハハ……すいません」
タローは緊張感なくぺこぺこと頭を下げて謝ると、顔を引き締め、こちらへとゆっくりと歩く合成獣へと視線を向ける。
「いますぐ殺しますから」
そう言って、タローは拳を硬く握り締めた。
その言葉はいつもよりも鋭く、低い声だった。




