第二十四話.マイの帰還
第二十四話.
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「えっ……今なんて……」
その言葉はエミルからでは無く、ナズナから放たれたものであった。目を大きく見開き、あり得ないと何度も首を振る。
「あ、あたしの事は覚えてる?」
口調を変えることすら忘れ、恐る恐る、と言った感じで問い掛けるナズナだが、タローは何を言っているんだと言わんばかりに首を傾げた。
「受付嬢さんじゃないんですか? あれ、そういえばマイさんは……」
「あ、そ、そうだよ……ですね。マイはいま他のクエストに行っています」
ほっとするナズナだが、未だに固まって動かないエミルが視界に入り、それどころではないと気持ちを切り替えた。
「どこまで覚えているんですか?」
エミルは目を見開いたまま動かない為、、代わりにナズナが問いかけた。
「えっ……と……洞窟に行って……そこで……んん?」
タロー自身記憶が曖昧なのか、途中で首を傾げる。だがやはりエミルには見覚えが無いのか、申し訳なさそうにタローはエミルを目を伏せた。
すると、意外にもエミルは優しく笑みを浮かべて見せた。
「……どうやら記憶からわたくしが消えたみたいですわね。でもわたくしと出会ったのはつい最近の事。何も忘れられて困ることはないんですわ」
「エミルさん……」
タローは分からないが、ナズナはしっかりと理解していた。エミルの目にはじわりと涙が溜まっており、そしてエミルはそのダムが決壊しないように踏ん張っている事が。
恐らく原因は、エミルが飲ませたあの謎の液体だろう。完全に、敵から受け取ったものを安全かどうかも確認せず使用した自分のミスであった。
「……貴方は悪くないですわ。全てわたくしが悪いんですの。ただの自業自得──」
「それはないです」
ナズナではない。その声は確かにタローの口から発せられていたものだった。
エミルはハッとタローの顔を見つめる。
「その……あまり思い出せないんですけど……あの男が悪いんですよね。派手な衣装をした……えっと……あれ……名前は……」
タローは必死に思い出そうとするが、肝心の名前が出てこない。彼が何者だったのかも知っていた筈なのに、思い出そうとすればするほど記憶が薄れていく。
「……もしかして、魔王軍の事について全部忘れているんじゃ……」
ナズナの言葉に反応したのはエミルだけで、タローは特に反応を示さなかった。聞こえていた筈だが、今思い浮かべようとしている者と関係が無いと判断して無視をしたのだろう。
それによって確信が得れた。
彼は記憶が消された。いや、消されたというよりは、封印に近いか。思い出したくても思い出せない。すぐそばまで出かかっているのに出ないという記憶の封印。
「……すいません。もう何も思い浮かばなくなっちゃいました」
タローは頭を下げて謝る。エミルは大丈夫だという意思表示か、頭を少しだけ縦に振った。
「……いいですわ」
エミルはそれだけ言うと、黙ってギルドから出ていった。ナズナとタローには止める事など出来なかった。
「──何かあったのかしら。エミルがあんな顔して出ていくなんて、よっぽどの事だと思うのだけれど」
突然マイの声がギルド内に響いた。
二人はそちらへと目を向けると、マイが後ろから前へと顔を戻し、白銀の鎧をカチャカチャと鳴らしながらこちらへと歩いてきていた。
「実は──」
ナズナがこれまでの事を魔王軍を除いて説明する。するとマイは顎に手を添え、タローの事をニヤけながら見つめた。
「へぇ、タローやるじゃない。あの子があんなに落ち込むって事は、忘れられたのが相当心に来たってことよ。それがたった一日だけの事でもね」
「は……い……?」
「あぁそっか。忘れてるから元のエミルを知らないのね。──あ、そうだ、はいこれクエスト用紙よ」
マイはタローに微笑んでから、忘れていたとクエスト用紙をナズナに手渡した。
「中々手強かったわ。見たことない魔法を撃ってくるんだもの。Sランクとまでは言わないけど、Aランクの中でも相当強い個体だったわね」
あまりエミルの事について何とも思っていないのか、さらりとクエストの報告を始めるマイ。
それを見たナズナは口をポカリと開けていた。
「何とも思ってないんですか?」
「え、何とも思ってないわよ?」
これもまたあっさりと答えるマイに、ナズナは開けた口を閉じる事が出来なかった。
しかも本当にマイはなんとも思っていないようで、マイは首を傾げる。
「タローは無事なんでしょ? それに、エミルもこの程度じゃ明日には立ち直ってるわ。明日くらいには一緒のパーティーになるって言ってくるんじゃないかしら」
マイの言葉を聞いたナズナは、あぁ、と納得した。
エミルに付き纏われ続けたマイだからこそエミルのしつこさを知っているのだ。
「じゃあこれは受け取っておくよ。報酬は用意しておくから、後で取りに来て」
「素が出てるわよ」
「……んん!」
ナズナはタローに聞かれていないかを確認する。肝心のタローは、こくこくと静かに頭を揺らしていた。襲い掛かる睡魔と戦っているのだろう。だがその抗いも虚しく、ポテッという効果音が付きそうな倒れ方をして眠りに付いた。
良かったと安堵したナズナは、クエスト用紙を持ったまま受付へと戻っていく。
「あぁ、そうそう。この前の冒険者達はどうなったかしら」
「この前?」
ナズナは受付周りを整理しながら聞き返すと、マイはそうそうと相槌をうった。
「ほら、訓練の時に現れた竜の攻撃に巻き込まれた子達がいたじゃない。もう辞めちゃったのかしら」
「あぁー、あの冒険者たちか。まだ活動してるよ。今はEランクになってコツコツと頑張ってるところかな」
「そう、なら良かったわ」
「ただ──」
「ただ?」マイは聞き返すと、ナズナは何とも言えない表情を作り出す。
「一人の女の子が虐められてるって聞いたよ。僧侶の子だったかな」
「……覚えているわ。あの気の弱そうな女の子ね」
「多分その子。聞いた感じだと、ちゃんと回復が出来ないと暴力を振るわれたりしてるって。マイが訓練した子達でしょ? あたしは何も出来ないから、代わりにマイが調べてくれない?」
「そうね……」
マイは顎に手を当てて暫く考えたあと、タローを視界に入れた。
「うん、タローも居るし丁度いいわね。ナズナ、ちょっとクエストを作製してくれないかしら。明日それを受けに来るわ」
マイのその言葉に、ナズナは静かに頷くのであった。




