第二十一話.タローとアーケインの関係
エミルは言葉の意味が分からなかった。魔王軍という言葉を聞いても、特にピンと来る事が無かったのだ。
アーケインと名乗る男はそんな状態のエミルを見て、残念そうに首を横に振った。
「おやおや、その様子はお知りでないようで。いえ、いえいえいえ、馬鹿にしているわけではありません。最後に行った本格的な活動は大分昔になりますから、知らなくとも当然でございます。えぇ、えぇ、当然ですとも」
アーケインは笑いを含んだ声でおどけてみせる。そんな場違いな男に対しエミルは警戒心を最大にまで引き上げ、視界から外さなかった。
だがやはりアーケインは気にしていないのか、またタローの方へと視線を向け、おどけるように肩をすくめた。
「この様子だと、貴方はまだ何も、能力すらまともに教えていないようですねぇ……」
「それは……さっき教えた」
「それは本当ですかねぇ? 貴方は自分自身で能力の内容を話したんですかねぇ? えぇ、えぇ、話していないでしょう? そうでしょう? 教えていたらそこに仲良く並んでいる訳が無いですもんねぇ」
アーケインは嘲笑うかの様に言葉を発すると、タローは何も言わず歯を強く噛んだ。
「えっ……と……」
エミルは話についていけないのか、それとも疑問を感じたのか、タローの事をじっと見つめる。
「おやおや、お嬢さんも不思議がっていますよ? ここは一つ、能力だけでも話してみては如何でしょうかねぇ」
「うるさいぞ」
タローの言葉が耳に入った時には、既にアーケインのすぐ側へとタローは移動していた。
タローはアーケインの派手なマーブル模様のコートの胸ぐらを掴むと、草が切れるのでないかと言うほどの鋭い眼で睨み付けた。
「食い千切られたく無かったら今すぐこの場から消え失せろ。これ以上僕とその周りに関わるな」
「おやおや怖いですねぇ」
タローの声は、まるで地獄から響いて来ているのではないかと思ってしまう程低い声で、更に圧力のある声であった。いつものタローしか見ていなかったエミルは、そんなタローを見て開いた口が塞がらなかった。
だがアーケインは何でもないかのように何度か軽やかに頷く。
「えぇ、えぇ、そうさせて頂きます。関わるな、という言葉には従えませんが、早くこの場を去ると致しましょう」
アーケインは意外とあっさりと了承すると、「では」と残して踵を返した。だがすぐに立ち止まると、振り返る。
「あぁ、そうそう、言い忘れていました。そちらのお嬢さん。いえ、いえいえいえ、別に何もしませんとも。ただ一つだけ警告させていただくだけでございます」
まだ何かあるのかタローの表情が険しくなったのを見たアーケインはなだめる様に言うと、その姿が突如消え去る。
「彼を信用するのはあまりおすすめ出来ませんねぇ。何がどうあっても、彼は善良な市民なんかじゃありませんから」
いつの間にかエミルの背後へと回っていたアーケインだが、その声だけはねっとりとした口調ではなかったのもあって、真面目に注意喚起を行っているように思えた。
するとタローがアーケインに急接近し、その拳をアーケインへと叩きつけようとした。
だが、
「――おっと、いきなり攻撃とは感心しませんねぇ。ついさっき言ったではありませんか、『戦う気は無い』と」
アーケインは避けることなく、タローの本気の拳を左手一つで受け止めて見せた。その瞬間に凄まじい程の衝撃波がタロー達を中心に発生し、天井や壁といった岩を破壊していく。
それに動じることもなく、アーケインはシルクハットを右手で抑えながらタローを睨みつけた。
「それに、今の貴方のままで僕に勝つことは不可能だ。自分の力を恐れ、本気を出さない貴方のままでは──ねぇ」
尋常ではない殺気がこの狭い空間を支配する。それはアーケインから放たれている物もあったが、圧倒的に強かったのはタローの方であった。
エミルはそのせいもあってか息をすることすら出来なかった。それは殺気の強さも関係しているのだろうが、エミルはまた別のことでそれほどの衝撃を受けていたのだ。
それは魔力の量。タローはさっきまで魔力量が白へとなっていたのだが、それでもアーケインは左手だけで受け止めて見せた。力もあまり入れている様子はなかったのを見ると、あれでも本気ではなかったのだろう。
いまアーケインを視界に入れても、魔力量は感じ取れない。魔力を隠す、なんてことを出来るのかは分からないが、あれだけ精巧な幻術を使うのだ。そんな事が出来てもおかしくないだろう。ただ、あの一撃を防ぐという事は、彼はタロー以上の魔力を保有している可能性が高いと言うことになる。
「貴方は一体何者ですの……!!」
何とか絞り出した声でエミルは問いかけると、アーケインは鼻で笑って見せた。
「そうですねぇ。僕たちの事を見た人間は皆、口を揃えてこう言いますよ」
アーケインは一拍置くと、仮面に手を添え、外して見せた。
「『化物』――とね」
その仮面の下は、もはや人の形を保っていなかった。酷く焼けただれており、骨が見えている部分もある程である。
そんな状態の中、唯一原形が保てられていた口元には何故か笑みが浮かべられていた。
「それではまた会いましょう」とアーケインは仮面を付け直すと、今度こそ踵を返して出口へと向かって歩いて行った。肝心のタローは俯いたままで、追いかけることは無かった。
「何だったんですの……」
緊張から放たれたエミルは溜まっていた空気を肺から外へと吐き出すと、俯いたまま動かないタローへと顔を動かした。
「取り敢えず帰りますわよ。お姉さまにこのことを伝えるんですの」
エミルはそう言って歩き出そうとするが、タローは一向に動く気配が無い。このままずっと動かないのではないかという程動く気配が無いタローに、珍しくエミルは髪をくしゃくしゃとかき乱した。
「……貴方がお姉さまに引っ付いている限りわたくしの敵ですわ。例え貴方が何者であろうと、それは変わりませんの」
でも、とエミルは付け加える。
「たとえ貴方が何者であろうと、絶対にお姉さまは見捨てないですわ。何があろうと貴方を傍に置いておくでしょう。お姉さまはそういう人間ですわ」
これは、ずっと近くで見てきたエミルだからこそ自信をもってはっきりと断言できたのだろう。そしてずっと引っ付いていたエミルだからこそ、この言葉はタローの心を刺激した。
「誰にだって秘密はあるんですわ。わたくしにもお姉さまにも話せない過去があるんですの。わたくし、人間はそういう生き物だと思っていますわ」
その言葉には聞き覚えがあった。
エミルは無意識だったのかもしれないが、タローはその言葉によってやっと顔を上げる。その目は赤く腫れており、今もなお涙が溢れ続けていた。
「エミルさん……ありがとう……」
「お、男が泣くんじゃないですわ! とにかく、早くここから脱出するんですの!!」
タローの口に笑みが浮かべられる。
その瞬間に突然地面が揺れ、崩れた天井から巨大な岩がエミル目掛けて落ちてきた。
「まずっ──」
反応が遅れたエミルは何とか避けようとするが、足がもつれてしまい、後ろへと倒れこんでしまった。
――潰される。
死を覚悟したエミルは迫りくる岩に反射的に目を瞑るが、いつまで経っても衝撃が来ない。
不思議に思ったエミルは恐る恐る目を開けると、そこにはタローが庇う様にしてその岩を背中で受けていた。能力の発動に遅れたのか大量の血を流していたが、タローはそれでも笑みを浮かべていた。
「洞窟が崩壊してきてます。早くここから逃げましょう。この先の明りをお願いできますか?」
「ちょ──!?」
タローは言うや否やエミルの体を軽々と両手で持ち上げると、この空間の出口らしき場所へと走っていく。
「ちょっと! 早く降ろすのですわ!! わたくしはちゃんと歩けますの!!」
エミルは何とかタローの腕から抜け出そうとするが、いかんせん力が強く、抜け出すことは出来なかった。
エミルはそんなタローの行為に頬を膨らませると駄々をこねる子供の様に叫ぶ。
「え、Fランクのくせに生意気ですわぁぁぁぁぁぁぁあぁあああぁぁぁ!!」
そんなエミルの叫びにタローは笑みで返すと、エミルは頬をまた膨らまし、嫌々ながらも洞窟を脱出するまで明りを灯すのであった。




