第十九話.エミルと過去
どれほど時間が経っただろうか。死人のように床に転がりながら意識を失っていたエミルは痛む頭を抑えながら起き上がった。
(ここは……)
見た事もない場所だった。
転移された先は出口の無い洞窟。穴も、光も、何もない。
だが何故か視界は保つ事が出来ていた。恐らく魔法の一種。こんな状態でも楽々と呼吸が出来るのもこれのおかげだろう。
(自然のトラップとは思えないのですわ……)
「あ、起きましたか? 良かったです」
先程の出来事を思い返していたエミルの邪魔をするかの様に、タローの声がエミルの脳内に入ってくる。
そんなタローの言葉にエミルは首を振ると、ギリッと睨みつけた。
「全く良くないですわ。早くここから抜け出す方法を探さないと行けないですの」
「んー……でも何もありませんよ?」
こればかりはタローの言う通り、本当に何も無い。あるのはゴツゴツとした岩だけで、扉も穴も何もなかった。それはエミルも確認した為分かっていたことである。
でもだからこそ、一つ分かったことがあった。
「転移魔法と言ってもあまり便利では無いのですわ。転移できる場所は半径一キロ程度。魔法陣同士を繋いで転移をするんですの」
エミルは地面に触れると、やっぱりと言わんばかりに鼻を鳴らした。
「ここには魔法陣が無いですわ。それに、仮に魔法陣が有ったとしても、この場所はあまりにも不自然すぎるんですの」
「えーっと……」
タローはエミルが何を言いたいのか分からないのか頬を掻きながら笑って誤魔化す。
そんな様子に苛立ちを覚えたのか、つまり、とエミルは少し口調を強くして話を続けた。
「これは恐らく幻術で作られた空間ですわ。それも自然ではなく人工的な物。認めたくないけど、わたくしの能力でさえも見破れない程精巧なものですの」
自然にトラップが生成される事は稀にあるが、ここまで計算されたものは生まれない。精々落とし穴程度である。それもあまり深くはないもの。
だがこれは、転移魔法を使って完璧に作り上げた幻術へと引き込むトラップ。完全に人間の知恵が入っていると言えるだろう。
「誰ですの。こんな趣味の悪いトラップを仕掛けた愚民は……」
恐らくこの平原に突然洞窟が出現したのも、このトラップを設置した人物の仕業だろう。その謎の人物に対してエミルは毒を吐いた。
「幻術……ですか……」
エミルの話を静かに聞いていたタローはポツリと呟く。その呟きを聞き逃さなかったエミルは、少し珍しそうに目を見開いた。
「……幻術を知っているんですの? Fランクなのに?」
「えっ? あ、その……ちょっとだけ……?」
「まあ貴方に興味は無いからそんな事どうでもいいですわ」
エミルから聞いてきた筈だがこの態度。思わずタローは「えぇ……」と若干引き気味になりなってしまう。
だがそんな事はお構いなしにエミルは立ち上がると、ペタペタと壁を触っていった。
「そのまま……」
壁に触っても目に見えている通りの感覚が伝わってくる。ゴツゴツとした岩に、ひんやりと冷たい感覚。
幻術と言ってもあくまでも視界をごまかすだけで、他の五感──例えば触覚などを変える事は不可能た。つまり、構造的には見えている情報と同じ。
そこでエミルは一つの可能性を考えた。
「魔力の流れと魔法陣を隠す為……ですわね」
まるでタローなど居ないかの様に一人でブツブツと呟くエミル。
転移魔法を使われ、移動した筈なのに肝心の魔法陣がない。穴が無いのに息が出来るし視界も確保できる。それなのに魔力の流れも何もおかしな点は無い。
(かしこいですの……)
この空間が人工的に造られたものならば、そこには必ず出口がある。例えその出口を塞いでいたとしても、魔力の流れがそこだけ不自然になる為そこを攻撃すれば安全に抜け出す事ができる。
だがこの状態では何も分からない。下手に攻撃をしてこの場所が崩れたりなどしてしまえば、エミルは大丈夫だとしてもタローが死んでしまう可能性があるのだ。
「……ごめんなさい」
唐突にエミルが謝罪する。そんな出来事に思わずタローは口を開けたまま硬直してしまった。
「えっ……と……何で謝るんですか?」
タローはそんなエミルを不思議に感じたのか、地面に座りながらキョトンとしていた。
「わたくしにはどうも出来ないですわ。この空間から……抜ける事は出来ないですの」
エミルは壁の端まで寄るともたれ掛かり、そのまま地面に座り込む。
今の所、エミルの手札には幻術を解く手段が無い。だからといって下手に動けば崩れてしまい、生き埋めになる危険性がある。
「ごめんなさい……」
自分のミスで自分は愚かタローまで死んでしまう。
その避けられない事実に、エミルはまるで何かに怯えているかの様に小さくなり、ポロポロと小さな涙を流す。
そんな状況にタローはどうしたらいいのか分からずオロオロとしていると、何か思いついたのかエミルの近くにタローは寄った。
「えっと、何でエミルさんはマイさんの事を好きなんですか?」
間違いなく今聞く質問では無い。だが、その質問を聞いたエミルは少しだけ気持ちが楽になったのか、ほんの少し口角を上げた。
「昔の話をしてもよろしくて……?」
タローは小さく頷く。
それを確認したエミルが、まるで独り言のようにポツリポツリと話し始めた。
「……私は生まれながら固有能力を持ちながら魔力を扱えたんですの。でも元々私は保有してる魔力が低くかったせいもあって、苦労して見つけた仲間達に罵詈雑言を浴びせられながらも頑張っていたんですわ」
いつもとは違う弱々しい姿。だがタローには、間違いなくこれがエミルの本来の姿なんだと何故か確信を持つことが出来た。
「そしてある日。いつもの様にクエストに出た時に、突然強力な魔物が乱入して来たんですの。その時ですわ」
そこでマイが助けに来た、とタローは先を予測していたのだが、エミルはその考えを察したのかゆっくりと首を横に振った。
「仲間の一人が私の脚に矢を放ち、『ちょっとは役に経ってから死ね』といってその魔物に突き飛ばしたんですの」
小さく鼻で笑うエミル。対してタローは酷い話だと顔を歪めて反応した。
「そして魔物に攻撃されて、でも何とか逃げていた時に、そこでお姉さまに出会ったんですわ。そしてその魔物を倒してから私に、『悔しくないのかしら』って。それからは暫くお姉さまが私の事を守ってくれたんですの」
これも後で知ったことですけど、と付け加えたエミルは、その昔を懐かしむかのように暗い岩で出来た天井を見上げる。
「もしかしてパーティーを嫌がっていたのって……」
エミルは控えめに頷くと、深呼吸をしてから立ち上がった。その表情は少し明るくなっている。
「こんな話はもう辞めですわ。でもまぁ、少し元気は出ましたの。助かりましたわ」
エミルは赤く腫れた目を擦りながらそう言った。
「エミルさんは魔力の流れが見えるんでしたっけ」
するとタローが唐突にそんな事を言い出した。何故いまそんな事を聞くのかは分からなかったが、エミルはそうだと伝える。
「ならこれは、マイさんには秘密ですよ」
人差し指を唇の前まで持っていき、そんな事を話すタローの顔は、マイと同様少しいたずらっぽく笑みを浮かべていた。




