第9話 クラヤミの中で ③
「う、うわぁぁ!」
悲鳴をあげるクーラリオ。だがユウトはきゅっと口元を横一文字にむすんで、だまってとにかく前に進む。
顔の雲は本当に煙のようにすり抜けていくだけだったが、すり抜けるたびにユウトの体中にこまかいキズがきざまれ、血がながれだして霧ふきで水をまいたように飛び散っていく。
「ユウト、ユウトぉ?!」
顔の雲はまざりあってもっともっと大きくなり、そして身も心も引きさくような悲鳴をあげながらおそいかかってくる。
雲が突風のようにふき抜けるたびにユウトのキズは、より深くえぐられ、ながれ出る血の量もどんどん増えてくる。
けれどもユウトは悲鳴どころか声も出さず、口を横一文字にきゅっとしめたまま、一歩一歩と前に進んでいく。
「本当にこのまま行けるのか?少しでも反撃しないと、お前の体がもたねえぞ!」
心配するクーラリオに、ユウトはようやく口を開いてこたえた。
「大丈夫。痛いけれど痛くない。痛いけど痛くない!」
「いったいそりゃあどんな理屈だよ?!」
前に立ちはだかる重たい空気が、さらに壁のように立ちはだかってくる。それに顔の雲たちの攻撃も、もっともっとはげしくなってくる。
「おいユウト、お前体が?!」
はげしい攻撃はユウトの体をどんどんおかしくしていた。手や足の先が、暗いむらさき色のマグマのようにぐるぐると色を変えている。
それはクラヤミにふれすぎてしまった時に起こる中毒症状のようなもの。手や足の感覚がクラヤミにうばわれてしまい、そのままにしていれば、やがてくさってくだけてしまうのだ。
それでもユウトはただひたすら前だけ見すえて、手で空気をかきわけながら前に進んでいく。その時、ユウトの顔から涙がこぼれおちてながれてくるのにクーラリオは気がつく。
「ユウト!」
もうクーラリオはユウトの名前だけしか呼べなくなっていた。ほかに言える言葉がなかったからだ。でもその気持ちはしっかり伝わったのだろう。ユウトはやさしく、力強く返事をした。
「みんな死にたくない、消えたくないから、本当にこわさや痛みで一つになろうとしているんだ。だからボクも本当にこわいし本当に痛いよ。でも痛いからって痛さに、こわいからってこわさに心が負けちゃいけないんだ」
空気の壁をかきわけるユウトの手に、ふんばる足にさらに力がこもる。
「ボクまで負けちゃったら、みんな本当に痛さやこわさで苦しんだままになっちゃうんだ。ボクが負けちゃったらみんなを助けられなくなっちゃうんだ」
自然に涙がぼろぼろとこぼれおちるが、ぬぐうこともできない。いや、涙をぬぐってくれるのは、ユウトに立ちはだかる空気の壁や顔の雲たちだ。
こぼれおちた涙はクラヤミの中に静かに消えていくが、そのやさしさと思いやり、そして決意のこもった涙のしずくは、無意味にクラヤミにとけこんでいるのではないように思えてくる。
そして前に進み続けたユウトは、クラヤミの、本当にかきわけられないくらい固い壁のところまでたどりつく。
それは今までおそってきた顔のかたまりたちが空気と一つになってできあがった壁。人が痛みと恐怖に苦しみ、そしてそれを嘆いてできた壁だった。
「まさに嘆きの壁ってやつか……」
壁が持っている気迫に、押しつぶされてしまうような気持ちになるクーラリオ。それはほかの精霊たちも感じているらしく、羽かざりにマフラー、ブレスレットにアミュレットが小きざみにふるえている。
「大丈夫だよみんな。こわがらないで」
おびえるみんなをはげましたのは、いままではげまされてばかりだったユウトだった。
「大丈夫。ここまでずっと、みんなと一緒にがんばってきたんだよ。負けるもんか。ここまで来て負けるもんか!」
ユウトは嘆きの壁をあけようと、大勢の人の顔がうかびあがっている壁に手を当てて押しはじめた。指先が壁にしずんでいくと、たちまち壁から耳と心を引きちぎるようなけたたましい悲鳴があがり、そのさけびがユウトたちを打ちのめす。
「がんばれユウト!オレ様たちがついているんだ。このまま前に突き進め!」
涙目になりながらも、ユウトは涙をぬぐって前にふみだす。すると涙でぬれた手の先が、すっとなめらかに壁の中をかきわけていく。ユウトの心の結晶が、嘆きの壁を少しずつとかしているのだ。
「ボクたちは負けない……。痛さやこわさになんて絶対負けない。ボクたちは、勝つまで負けないんだ!」
その想いが、その叫びが、ついに嘆きの壁をつらぬいた。スローモーションで割れた水風船のように、嘆きの壁がくだけちって飛び散り、そのしぶきが七色の光のしずくになって雨のようにふりそそぐ。
「いよっしゃぁ!」
クーラリオは歓声をあげるが、当のユウトは光のしずくに見とれながらゆっくりと前に進んでいく。そう、壁をぬけるのが目的なのではない。とにかくクラヤミの一番奥に行って……、何をどうしたらいいのだろうか?




