自分は政治家じゃない
今の県警本部長である谷原警視正はキャリアであり、年齢は50代中盤。
背丈はそれほど高くないものの、恰幅があるので貫禄があり、声も大きいのでかなり威圧感がある。
「お呼びでしょうか?」
聡介は直立不動の姿勢で上官の前に立つ。
だいたい言われることの予想はついている。
「例の、新聞記者の事件はどうなってるんだね?」
「桑原圭史郎の事件なら、目下捜査継続中です」
「まだ目星もつかんのかね?」
「……現段階で公表できることはまだありません」
本部長は溜め息をついた。それから、
「……MTホールディングスの、高島社長の身辺を嗅ぎ回っているそうだね」
やはりそれか。
「捜査上、必要だと判断したからです。相手が誰であろうと関係ありません」
再び、溜め息。
「君ねぇ、青臭い新米刑事じゃないんだから。今は部下を束ねる警部の立場だろう? 班長さんだろう? もう少し政治的なことにも気を遣ってもらわないと」
「自分は政治家ではありません、刑事です」
「だから……実を言うとね、ついさっき高島社長から正式に抗議があったんだよ。身に覚えのないことで警察に身辺をうろつき回られて、非常に不愉快だとね。聞けば、東京にまで追いかけて行ってるそうじゃないか」
「その必要があると判断したからです。それに……」
「それに? なんだね」
「捜査2課も動いていると聞いています。そもそも生口島で起きた事件の背景には、MTホールディングスに関連した経済事犯に端を発していると我々は考えています」
本部長は席から立ち上がると、窓の方を向いて言った。
「その話なら私も聞いているよ」
「ならば……」
「だがね」県警トップは聡介の方を振り返る。「立場というものがある。わかるだろう? 動かせない証拠でもない限り、下手に動き回る訳にはいかないんだよ」
「ですから、今その証拠を集めるために奔走しているんです」
なんだかんだと言いながら、結局、圧力がかかっているからこれ以上動き回るなということなのだろう。
「……君にはわからんだろうね」
「……?」
「君の子供さん達はもう既に成人して、独立しているんだろう? そういう人間にはわからないさ。まだ小さな子供がいて、仕事を失う訳にはいかない人間の気持ちなんて」
かつては自分もそういう立場にあった。
聡介はそう口にしかけたが、黙っていることにした。
きっと何を言っても無駄だ。
「お話はよくわかりました」
聡介が言うと、本部長はホッとした顔でそうか、と言った。
「目立たないように動き回ればいいんですね?」
失礼します、と聡介は本部長室を後にした。
ああして圧力をかけてくるということ自体何か後ろ暗いことがある証拠だ。本部長が何か言っているが、とりあえず無視。
捜査1課の部屋に戻ると、部下達が全員心配そうな顔で聡介を見つめてきた。
彼らには何も言わず、聡介は携帯電話を取り出した。和泉の番号にかける。
「彰彦か? お前、確か有給休暇が腐るほど残っていたよな? ……ああ、そうだ。とりあえず3日やる。こっちのことは心配しなくていいから、好きなだけ東京都内を観光して来い……なに?」
気がつくと全員がまわりに集まってきている。
「子供か? お前は! だいたい今時、携帯でも地図が見れるだろうが!! ……本当に困ったら、必ず助けに行くから……」
まったく、と溜め息をつきながら聡介は電話を切った。