悪代官と越後屋:1
高島亜由美が新しく出店するのは、東京都内とはいえあまり認知度は高くない文京区駒込駅前の雑居ビルの一階。
ここはどちらかといえばオフィス街ではなく、古くからの住宅街である。
それでも人通りは多く、やはり巣鴨が近いせいか、年配者の姿が大半を占めている。
こういう場所でリーズナブルな和食専門の店があれば確かに流行るかもしれない。
なんて、そんな分析は日本経済新聞社に任せておけばいい。
先程、高島亜由美と野村彩佳、石岡孝太が入って行ったのを確認した。
ガラス窓には9月下旬オープン予定の張り紙。
そこへおそらく建設業者と思われる作業服姿の男性が3人ほど入って行く。和泉と村本の2人はビルの陰に身を潜めて様子を伺う。
どうにか高島亜由美だけを捕まえて事情聴取ができないものだろうか。
「……で、MTホールディングスの黒い噂って何?」和泉は村本に話しかけた。
「よくある話です。二重帳簿や粉飾決済、政治家への不正献金だとか、あとは暴力団関係者とのつながり……」
「盛りだくさんだね。それは内部告発?」
「ええ、内偵の結果、ほぼ疑惑に間違いないのはわかりましたが、巧妙に隠していてなかなかしっぽを掴めません」
その時、彩佳と孝太の二人だけがビルの外に出てきた。
孝太は彩佳の肩を抱いて、それこそカップルのように寄り添いながら歩いている。
こちらに背を向けているため、どんな表情をしているのかわからない。あの男、何を考えている……?
それからすぐにトンカチや鋸を使う音が聞こえてきた。
「裏に回ってみよう」
和泉が言い、村本が頷く。おそらく従業員専用出入り口になるであろう場所から、高島亜由美が一人で出てくるのが見えた。
「下手な陽動作戦だね。警察を甘く見てもらっちゃ困る」
彼女は時計とあたりを気にしながら、まっすぐにJR駒込駅に向かった。
刑事達は尾行を続ける。既に時刻は午後5時半を回っている。
日も暮れて、山手線は帰宅ラッシュの時刻へ突入した。
見失わないように慎重に後を追う。
高島亜由美は東京駅で下車した。
まさかこれから広島に帰るのだろうか? そう思ったが、彼女は改札から外に出た。
それから、最上階がはるか雲の上にありそうな背の高いビルの入り口に入っていく。どうやら今夜宿泊するホテルのようだった。
「どうします?」村本が言った。
「もちろん、尾行は続けるよ」
「そうじゃなくて、ここだと中央南署かなぁ? それとも丸の内北署……」
「何ぶつぶつ言ってるの?行くよ」
和泉さん! と、村本は肩を掴んできた。
「……なに?」思わず眉間に皺を寄せてしまう。
「まずいですよ、ここは天下の警視庁管轄直下です。我々のような地方警察官が挨拶もなしに勝手にウロウロしたら、後で何を言われるか……」
彼の言うことはもっともである。
警察組織の面倒なところは、そういう強い縄張り意識だ。
「だったら君一人で行ってきてよ。僕はここで高島亜由美を張ってるから」
「そんな、一人でなんて心細いじゃないですか」
いい歳をした男が情けない。
わかったよ、と和泉は答えてフロント係に近づいた。
警察手帳を見せ、この客に何か動きがあったらすぐに報せてくれ、と携帯電話の番号を渡しておいた。
面倒な儀式を終えてホテルに戻ると、フロント係が和泉を手招きした。
まだ若い、おそらく新卒間もないであろうホテルマンは、よほど刑事ドラマや推理小説が好きなのか、やや興奮気味に、和泉の耳元にこそっと話してくれた。
「先ほど、たぶん政治家っぽい白髪頭の男性と一緒にホテル内のレストランに、例のお客様が入って行かれました」
どうもありがとう、と和泉は礼を言ってレストランに向かった。
高島亜由美は確かにそこにいた。彼女と向き合っている白髪頭の男性は……。
「……川西幸雄……」村本がぽつりと言った。
「誰? それ」
「県議会議員ですよ! 我々が今もっとも注目している、黒い噂の張本人です!!」
村本は携帯電話を取り出し、向こうに気付かれないように必死で写真を撮っている。
後で聞いた話だが、川西幸雄は宮島再開発推進派にとって重要な人物だということだ。
その計画を進めるためには紛れもなく何億円単位の闇献金が必要だっただろう。
かつて某宅配業者と大物政治家の間であった汚職事件に似て、そこには暴力団関係者の影もちらついていたに違いない。
高島亜由美と川西幸雄の様子をじっと見守っていると、さすがに越後屋と悪代官のような遣り取りは出てこなかったものの、こちらにはまるで気付かない様子で、楽しそうに談笑しながら食事をしている。
それでいて実はテーブルの下で、現金の束を詰め込んだ菓子折りの受け渡しが行われているのかもしれない。
「村本君、盗聴器持ってないの?」和泉が言うと村本は驚いて、
「持ってる訳ないじゃないですか!」
「とりあえず、近くに寄って録音する」
和泉は背広を脱いだ。




