タイとかカンボジアとか
小倉雪奈の目撃情報は尾道市内の複数店舗で仕入れることができた。
何しろ派手な外見なので目立つのである。昼間は一人で行動し、本当にスケッチをしていたらしい。最初の晩はまだ台風が来る前で、一人でホテル近くの飲食店で食事をし、その後も一人でホテルに戻った。
フロント係によれば彼女の部屋を訪ねてくる人間はいなかったという。
和泉と聡介は彼女が宿泊したホテルを見せてもらった。発見が早かったので、清掃を止めてもらって、保存された現場を探る。
彼女は外見に似合わず几帳面な性格だったようだ。
カバンの中は整理されており、画材道具なども整然と並んでいる。ただ、ベッドサイドのテーブルの上には、飲みかけの薬を入れたケースが中途半端にフタを空けて転がっている。中身が残っていたので、和泉はそれを証拠品としてビニール袋に保存した。
それからクローゼットを空ける。ホテル備え付けのバスローブと浴衣、それからタオル類。金庫。金庫はホテルの人間に頼んで空けてもらい、中を確かめた。
すると驚いたことに現金が200万円、札束が2つも入っていた。
父と息子は顔を見合わせた。
「なんだ? これは……」
「一万円札の束です」
「そんなもの、見ればわかる。どうしてこんなものを持ってるんだ? と言ってるんだ」
中を確かめてみると、一番上と下だけ本物で中身はただの紙切れということはなく、本当に一万円札が100枚ずつ束になっており、それが2束あった。
「よほど景気がいいんでしょうね、MTホールディングスは。アルバイトのボーナスに200万も支給できるなんて」
和泉が言った軽口には答えず、聡介は携帯電話で鑑識を呼び出した。
「口止め料、でしょうか」今度は真面目な意見を投げかける。
「どうだろうな。逃亡資金かもしれん」
「逃亡資金?」
「東南アジアあたりなら、これだけの金があればしばらくは遊んで暮らせるだろう」
「逃亡資金とすると、つまり小倉雪奈が桑原圭史郎を殺害したということですか? その事実を隠蔽するために高島亜由美が彼女に金を与えて、ほとぼりが冷めるまで身を隠せと。自分の店の従業員から殺人犯が出ては困る……そういうことでしょうか」
「それも一つの可能性だ。それより彰彦、お前は口止め料だと言ったな?」
「ええ。以前うさこちゃんが言っていました。MTホールディングスには捜査2課が睨んでいる黒い噂があると。もしも小倉雪奈が何らかの方法でその事実を掴み、社長を強請ったのだとしたら?」
聡介はしばらく考え込む表情を見せて、それからいきなり言った。
「お前、周君のことどう思ってるんだ?」
「……はい?」
さすがの和泉もこれには面喰った。
どう考えたって脈絡がおかしい。
「お前の機嫌の善し悪しも、やる気の有無も、どうもあの子が深く関わっている気がしてならないんだが……」
ずばりその通りである。
「それが……自分でもよくわからないんですよね。なんか、あの子が関わって来ると平静ではいられないって言うか……わかってますよ、そんなことじゃ刑事失格だってことぐらいは」
「俺はただ、あまりそういうのを表に出すなと言ってるんだ」
「僕に、葵ちゃんみたいになれと?」
聡介は何を想像したのか頭を抱えた。
「そうじゃない。ただ、まわりの人間に気を遣わせるなって言っているんだ。あいつらは全員、お前が思っている以上に、お前のことも、他の仲間のことも大切に思ってるんだからな」
そうでしょうか、と言いながらも本当は和泉だってわかっている。
みんな、聡介ほどではないにしろ、意外とお人好しなのだ。