3ちゃんねる
時計を確認すると、ちょうど板場の従業員も仲居達も休憩する時間だ。
駿河は友永に急ぎましょう、と声をかけた。
まずは女将に会いに行く。
彼女は昼の休憩時間、いつも事務室にいる。
女将の寒河江里美は駿河を見ると、ひどく驚いたような、申し訳ないような顔をした。
「……今日は、美咲のことではありません。石岡さんと話したいのです」
「孝ちゃんと……?」
「いらっしゃいますよね? 石岡孝太さん」
「ええ……」
「呼んでいただけますか? できればここに」
戸惑い気味に女将は事務室を出て行く。
しばらくして本人が一人でやってきた。
初めて駿河が彼と出会ったのは、まだ美咲と付き合い始めたばかりの頃だ。彼女と一緒に歩いている時、偶然に出会い、紹介された。
同じ旅館で働いている板前で幼馴染みだと。それ以上の情報は一切なかった。
一目見だけで、この男性が美咲に想いを寄せていることはわかった。
しかし彼は笑顔を取り繕い、少しも恨みがましい眼で見ることなどなく祝福してくれた。
とっても優しいのよ、と少し妬けるぐらいに美咲は孝太を評価していた。
「また来たのかよ、刑事さん」
ぶつぶつ言いながら入ってきた孝太はしかし、その刑事が駿河だとは思っていなかったようだ。眼を見開き、息を呑む。
「……なんで、あんたが……?」
「いろいろとお聞きしたいことがあります」駿河は言った。
「俺には話すことなんてない、忙しいんだよ」
「長州安芸連合会魚谷組の支倉をご存知ですね?」
部屋を出て行こうとした彼は、足を止めて振り返る。
「その舎弟である辻、浜田、茂木という男達は皆、かつてあなたの弟分だった。宮島を守る会の集会で彼らと再会しましたね?」
「……それで?」
眼に怪しい光が灯った。
知り合ってから初めて、彼のそんな顔を見た。
「菊之井で集会があった時、彼らはあなたを挑発するようなことを言ったそうですね? それが何だったのか、教えていただけますか?」
「そんなこと聞いてどうするんだよ? あいつらの中の誰かでも死んだ?」
白衣のポケットに両手を突っ込んで、孝太は壁にもたれる。
「そうではありません。あなたは先日訪ねてきた刑事に、桑原さんと口論になったことがあると言っています……ある女性のことが原因で」
すると彼はくくっと笑い、やがて腹を抱えて笑い出した。
「はっきり言えばいいだろう? 美咲だって」
「そうです。あなたは旧姓寒河江美咲に想いを寄せていた……けれど彼女は、他の男と結婚してしまった。そのことでバカにされて頭にきたと仰いました。でもそれは、桑原さんではない。彼はあなたを本当の兄のように慕っていたと聞きました。口論の相手は宮島を守る会に所属する魚谷組の組員の連中とです。なぜそんな嘘を言ったのですか?」
孝太は笑いを引っ込め、厳しい眼で駿河を見つめてくる。
「……誰に聞いた?」
駿河が黙っていると、
「ああ、そうか。八塚のオヤジか。余計なこと言いやがって……」
「では認めるのですね? 事実だと」
孝太は手近にあった椅子を引き寄せ、腰を下ろした。
「あいつは、圭史郎は表では俺を兄みたいに慕ってくれていたけど、裏じゃ俺のことバカにしてたんだってわかったんだ」
頭を抱えるようにして彼は言う。
「どういう意味ですか?」
「……ネットの掲示板に、俺やあんたのことが書き込まれてた」
「石岡さんや私の……?」
孝太は女将がいつも座っているデスクの上に置いてあるパソコンをみつめた。そこに答えがあると言わんばかりに。
「わかるだろ? トンビに油揚げをさらわれた哀れな男二人、それも一人は二重に失恋した挙句、同じ職場で毎日顔を合わせなければならない、気の毒極まりない男だってさ」
確かにそうだろう。美咲は結婚後もよくこの旅館に働きに出ていた。
気まずくて、普通なら耐え難いことだ。
そのことを揶揄してインターネットに書き込みをしていたのだとしたら、確かに立派な動機になる。
「だから俺があいつを殺したんだ、それが事実なんだよ。ほら、逮捕しろよ」
孝太は両手を差し出す。
駿河は首を横に振った。
「あなたの言うことが真実だという裏付けをとらなければなりません」
「なんでだよ!」
急に声を荒げ、孝太は駿河に掴みかかってきた。
「俺がやったって言ってるんだ! それでいいだろ?! 俺には前科があるんだ、それだけで立派に疑う理由になるだろう!!」
なぜだ?
彼はいったい何を考えている?
「サキちゃんは、俺のことを疑ってた……」




