回復しました
ただいまもどりましたー、という声だけで、聡介は和泉が通常通りに戻ったことを悟った。何があったのかは知らないが。
「おう、なんだった? 粗大ゴミでも不法投棄しようとしてたか」
友永が声をかけると和泉はにっこり笑って、
「とっても可愛い拾いものをしてきました」
濡れたレインコートを脱ぐと、バスケットがあらわれる。
ふたを開けると三毛猫が飛び出してくる。
「きゃあ、可愛い!!」結衣が歓声を上げる。
「なんだよ、迷子の子猫ちゃんってか?」
聡介に猫の見分けなどつかないが、どう見てもどこかで見た猫だ。三毛猫は聡介と目が合うと、にゃーんと鳴いて飛びついて来る。
もしかして……。
「そうだ、班長……」
どこかで電話をかけていた日下部が部屋に戻って来る。
彼は猫の姿を見ると、うわっ!! と叫んで後ずさった。
「な、なんでこんなところに猫が?!」どうやら苦手らしい。柱の陰に大きな身を潜めるようにしてこちらを見ている。
「皆さん初めまして、プリンでーす」
和泉は三毛猫の前肢を手に持って横に振る。
プリン……隣家の猫じゃないか。
「おい、彰彦……」どういうことだ、と問い質そうとしたが、息子はおとなしい三毛猫を抱き上げると、
「仲良くしてね、日下部さん」わざと日下部に近付ける。
「バカ、やめろ! 俺は猫がダメなんだ!!」
「知ってます。嫌がらせですから」
バカバカしくて聡介は捜査資料に目を落とした。
詳しいことは聞かなくてもいい。和泉が元に戻ったことだけで充分だ。
ふと、駿河が少し落ち着かない様子なのに気付く。もしかして猫を触りたくてウズウズしているのではないだろうか。
聡介はプリン、と猫の名前を呼んだ。
彼か彼女かは知らないが、三毛猫は和泉の手から滑り下りると、迷わずに傍にやってくる。
聡介はプリンを抱き上げて駿河に手渡す。人造人間の顔に少しだけ喜色が宿った。
結局、この状況がよくわからないまま、とにかく台風の去るのを待つことにした。
※※※※※※※※※
小倉雪奈が飲酒運転の上、自損事故で死亡したとの連絡が聡介の携帯電話に入ったのは台風が過ぎ去った翌日のことだ。
現場はしまなみ海道入り口の尾道駅前港。車ごと海に転落した。
この地域に監察医はいない。解剖は行われず、検視官の判断で事件性は無し、自殺と断定。
「自殺で間違いないでしょうな」検視官は言った。
「遺書は?」
「今のところ発見されていません。しかし、他殺を裏付ける証拠もありません」
「自殺だと断定できる材料もありませんよね?」
和泉が口を挟むと、検視官は嫌な顔をしたが、すぐに冷静さを取り戻す。
「この件は自殺で完了です」
検視官は言い捨ててさっさと帰り道を急ぐ。
「……どう思います? 聡さん」
「どうもこうも、お前は納得がいくのか? 彰彦」
「行く訳ありませんよ」
二人は顔を見合わせてニカっと笑った。
「どう考えたって、桑原圭史郎の事件と無関係じゃないですよね」
「よし、じゃあ前日の小倉雪奈の行動を手分けして聞き込み。彰彦、俺と一緒に来い。日下部、うさこの面倒を見てやれ」
駿河と友永は今朝早くに宮島へ向かった。
結衣は明らかに不満げな顔をしている。自分が聡介と組みたかったのだろう。
和泉が勝ち誇ったような顔で見ているのに気付いて余計に腹が立ったのか、行きましょう! と大股で歩き出した。
現場付近の聞き込みをしていて、いくらかの目撃情報が出た。
小倉雪奈は一昨日からスケッチのために尾道へやってきており市内のホテルに宿泊していた。
昨夜はあの暴風雨の中を近くの居酒屋まで飲みに出掛けたらしい。
「彼女は一人でしたか?」
髭をたくわえた居酒屋の店主はニヤッと笑って、
「途中で男の人が来ましたよ、初対面みたいでしたけどね……あれじゃないですか? 出会い系サイトで知り合ったとか。しかしまぁ、よくあんな雨の中をねぇ」
「車でお越しになりましたか?」
「ええ、電車は止まっていましたからね。店を出る時に代行サービスを頼むって仰ったんですけど、どこもつながらなくてね。結局、台風が過ぎるまで車の中で待機するって二人で店を出ましたけど……車の中で何をしてたんだか」
この店主は相当、下世話な話が好きらしい。しかし好きではない聡介に気を遣って、和泉は話を進めることにする。
「男の顔を覚えていますか?」
「ええ、そりゃもう。あんな台風の夜に来たお客さんですからね。忘れられませんよ」
「どんな男でした?」
「背が高くて……そう、刑事さんぐらいでしょうか。髪はわりと長めで、ちょっとだけそのスジの人かと思いました」
「そのスジの人とは、つまり暴力団関係者だと?」
「いや、なんとなくですけどね」
二人は浴びるほどに酒を呑んだ。フラフラと足元のおぼつかない小倉雪奈を抱えるようにして、連れの男は店を出て行ったという。
ふと和泉は聡介が何か考え込んでいることに気付く。こういう時はそっとしておくのが最善だ。
しかし、そんな和泉の気遣いを踏みにじるように、誰かが聡介の携帯電話を鳴らした。